死のクリスマスイブ・5
五
克行がマンションに戻った頃にはすでに昼を過ぎていた。市役所に寄った後、そのまま会社へ向かうつもりでいたが、今ではそんな気持ちも失せてしまっていた。自分の持つ特命者リストのなかに、会社の人たちも数名載っている。彼らにどう対応したらいいかわからなかった。それに何よりも拳銃を持ったまま仕事をする気にはならない。
克行はコートを着たままダークグレイのカーペットへ腰を降ろした。まだエアコンがきいていないために、部屋の空気もカーペットもひんやりとしている。
克行はバッグのなかから書類を出してテーブルの上に広げた。拳銃の入った包みがコトリと音をたてて落ちる。
そっと包みを開くと黒く真新しい小型の拳銃が姿を現した。見た目は玩具の拳銃と変わりないのに、実際に握ってみるとそのずしりとくる重さで、それが玩具などではないと改めて実感させられる。弾倉にはまだ弾は装填されていない。試しに拳銃を操作してみると、思った以上に扱いが簡単に出来ていることに驚いた。説明書のようなものが一枚封筒に入っていたがそれを読まずとも扱うことは出来そうだ。
見ると小さな透明のプラスチックのケースに金色の弾が六発、奇麗に並べられてい入っている。一つ一つには丁寧にナンバーがふられている。克行の弾丸にはTR13-TX-6001から6006までのナンバーが刻まれている。このナンバーによって、誰が殺ったものか判断するためなのだろう。
(まるで小学校の時の無記名アンケートと同じだな)
克行は心のなかで嘲った。
克行が今でも憶えている小学校の時のアンケート。それは教師が子供たちに無記名だということをくどいほど説明した後、結局は席順ごとに並べて回収されるという卑怯な手段のものだった。そして、それは子供たちが秘密にしておきたいものに対してほど行われた。もちろんそれが実行出来たのは低学年のうちだけだったが、それでも克行はそのからくりに気づいたとき教師に対して強烈な不心感を抱いたことを今でも憶えている。
克行はケースのなかから一つ取り出し、試しに一発だけ弾倉に装着してみた。ガチャリという音で弾倉が拳銃の中心に吸いこまれてゆく。まるでそれを待っていたかのように。この型の銃は外側からは弾の有無を判断することは出来ない。
何の気なしに部屋の隅の花瓶に狙いをつける。ふと、妙な感覚が心のなかに走る。そして、同時に今まで知らなかった自分が眠りから醒めるようなそんな不安が湧き上がる。
克行の瞼にヘラヘラ笑いながら楽しげに拳銃を乱射する男の姿が蘇った。
寺泉とか、泉谷とか、確かそんなような名前だったと克行は記憶している。
昨年の冬、克行が特権者優遇計画を初めてこの世のものと実感した時だった。深夜、仕事の帰りに克行は駅のホームで最終より二、三本前の電車を柱に寄りかかるようにしながら待っていた。ホームには克行と同じように仕事で疲れ今にも眠りこみそうにしている中年のサラリーマンや、デートの帰りらしいカップルがベンチに座りながら話をしている。少しして克行は泥酔状態でふらふらとホームの端から端を歩いている男が目に入った。男は電車を待つ人々に一々何かをつぶやきながら、ただふらふらと歩いていた。たいがいの人たちは男が何を言おうと何をしようと無視して構おうとはしなかった。男はベンチで身を寄り添わせているカップルにも同じように近寄り何かをつぶやいた。それはたんなるカップルに対する冷やかしのものだったのかもしれないし、あるいは女性に対して卑猥な言葉でからかったのかもしれない。どちらにしてもさほどたいしたことでないことだろうと克行は見ていた。しかし、それに対し青年はからかわれたことに怒りを覚えたのかすっくと立ち上がり、そして泥酔している男に対して怒鳴り始めた。
「おまえには関係ないだろう! どっか行け!」
青年の声は離れた場所にいる克行にさえ聞き取ることが出来た。周りの人たちはやれやれとばかりにぼんやりと横目でちらちらと見ている。
青年は二度、三度男を突き飛ばし男が黙っているとジロリと睨つけさっさと彼女のいるベンチへと戻って行った。
アナウンスが聞こえ電車が入ってくることを伝えている。
誰しもこれで酔っ払いと青年との争いは終わったのだろうと思った。青年もすっかり深夜に出会った酔っ払いのことなど忘れてしまったかのようにベンチから立ち上がり入ってくる電車に合わせるようにホームで二人立っている。しかし、酔っ払いは真っ直ぐに背を向けている青年の背後につかつかと近寄ると何か黒いものをポケットから取り出し青年に向けた。
ズガーン!
克行の目に、一瞬スローモーションのように写し出された。
青年の体はつんのめるように軽く前に浮き上がり、重量の法則に従いそのまま電車のはいってくるレールの上へと落ちていった。
電車の急ブレーキ。
女性の叫び声。
そして、男のヘラヘラとした笑い声。
聞こえるはずのないもの、聞こえなければいけないものが交差しあいごちゃごちゃになって克行の耳へ届く。
男は青年を撃ったことで自制心を失ったのか、それとも酔っ払っていたことでもともと失っていたのか、触覚を失ったアリのようにうろうろとうろつき、至る所に拳銃を乱射しはじめた。当然のように誰も男を止めようとはせず、逃げ惑うだけだった。克行も例外ではなくただ驚くばかりで何をすることも出来なかった。結局男は拳銃に装填されていた全部の弾丸を撃ちつくし、それでも撃ち足りないのか弾丸の入っていない拳銃をカチリカチリと鳴らしているところを鉄道警備員に取り押さえられた。
男が特権者でそれがわかりしだい釈放されたということを、克行は翌日の朝のニュースで知ることになった。
本来、特権者優遇計画で犠牲(国に云わせれば受刑)になった者は被害者として扱われない。そのためマスコミでも事件として発表しない。しかし、この時はあまりにも事件が大きすぎたためにほんの二、三分だけだが放送されることになった。それでもキャスターが淡々と、事件のことを報じた後でこれは事件ではないという意味のことを付け加えた。
男の名前は忘れてしまったが、男の顔だけは忘れることが出来ないでいる。
(今度あの男がどうなったのか涼子に調べてもらおう)
今の自分の姿があの男の姿にだぶるようなそんな嫌なイメージが克行の頭を霞め慌てて弾丸を取り出すと銃をテーブルの上に投げ出した。
拳銃は軽く二、三回テーブルの上をクルクルと回ると銃口を克行のほうへ向けてピタリと止まった。それはまるで
(「おまえが撃たないのなら、俺がおまえを撃ってやるぜ!」)
と言っているようだった。
克行はすぐに銃をもとのように紙包みに包みどこにしまおうかと思案した。部屋には克行しかいないのだから、どこへしまっても良かったのだがそれでも出来るだけ目につかない場所へ、そしてすぐに何かあったら手が届き忘れてしまうようなことがないところへ置いておきたかった。部屋の家具といったらほとんどが棚の類いで引き出しのあるようなものは一切見当たらない。部屋を見渡した結果克行はベッドの引き出しへしまうことに決め、その一番奥へ拳銃を突っ込んだ。
(これで拳銃はいい、あとは……)
克行の目に市役所からよこされたいくつかの特権者優遇計画に関する書類が目についた。一番上に黒い厚手の表紙のついた特命者リストがある。
克行は恐る恐る手をのばし、もう一度リストを開いた。今度は市役所で見た時よりも一人一人じっくりと確認していく。確認のうえ別人であればいいと何度も何度も思いながら確認していく。けれど、克行の祈りは通じることなくやはりそれの多くは克行の知った人々の名前だった。そのなかでも何よりも麻美の名前がひときわ大きく克行には見えた。そしてそれは他の特権者にも同じように麻美の名前が特に目立って見えるのではないかという錯覚さえも引き起こした。
(五人、俺をいれて五人の特権者が麻美の名前の入ったリストを持っている)
そのことが何よりも心配だった。もし、自分のリストだけに麻美の名前があったなら何の心配をすることもないだろう。来年特権者を外されることを、最悪の場合自分の名前が特命者リストに載ることを覚悟すればいいだけの話だ。麻美に銃を突きつけられるよりも自分に銃を突きつけられたほうが数倍気楽でいられるだろう。
(だが、今年銃を突きつけられてるのは俺じゃない。麻美なんだ)
克行の心のなかには暗く、重々しい影が広がっていた。例えそれが参考リストとはいってもリストに載っているのと載っていないのとは大きく違ってくる。
(何とか救えないだろうか)
克行は書類を袋から出し、その規則や条文を読み始めた。そのなかから麻美を救う手段をなんとか捜し出したかった。しかし、そこに書いてあるのは本当に簡単な今日あの分厚い眼鏡をかけた市職員が喋った以外のことは一切載っていなかった。確かに憲法のように細かく規則が載っていたところで裁判に持ちこむことが出来るわけもなく、市に麻美の名前をリストから削るように進言することも出来ないだろう。一つだけ特命者のリストからの削除という項目があったが、それはまったく話にならない。特命者リストから外される条件は唯一その当事者が特権者優遇計画の直前に死を向かえた場合、または他の特権者によって受刑になった場合だけなのだ。いずれにしても特命者の未来にあるのは死だけしかない。一週間逃げ続ければいいなどという考えも基本的に無意味な考えだ。なぜなら特命者リストに名前が載ったことは発表されるわけでもなく、また特権者が特命者に伝えるとその特権者は処罰(内容は不明)されることになっている。
(処罰?)
克行の心にある一つの思いが走った。
(処罰? そんなものくらいで麻美が救えるのなら……。それに特命者全員は無理だとしても麻美だけならば伝えたところで市役所にばれることだってない。そうだ、麻美に特命者リストに入っていることを伝えて一週間特権者から逃げればいいんだ)
それはごく単純な考えかただったが、暗闇のなかを暗中模索してきた克行にとって一筋の光となって未来を照らしているように思えた。
RRR……・・
突然、携帯電話の電子音が部屋中を満たした。部屋はすでに暖まり少し暑くさえ感じ出している。克行は思い出したようにコートを脱ぐとベッドへ投げ出し、その手で上着のポケットのなかから携帯電話を取った。
「はい」
――風間さんですか?
会社の後輩である磯崎和歌子の声だった。
「ああ」
――体、大丈夫ですか?
「体?」
――医者に寄ってから出社するって言ってましたけど。休まれるんですか?
磯崎和歌子の言葉に克行は具合が悪いと嘘をついたことを思い出した。時計を見るともう一時を過ぎている。
――もしもし……あの、そんなに悪いんですか?
克行の下で働いていることもあってかその声は本当に心配しているようだった。
「いや、そんなこともないけど……でも念のため今日は休ませてもらうよ」
実際に熱があがってる気がした。
電話をしてきたのが彼女でよかったと克行はほっとしながら答えた。彼女の名前はリストのなかに載ってはいない。今日はリストに載っている当事者とはまともに話が出来そうになかった。
――何か用事ありますか? 仕事のことで何か。
「そう……特に思いつかないな。この前頼んだプログラム、明日までに仕上げられるかい?」
――はい、大丈夫です。あ、西崎さんに変わりますか?
同僚の西崎の名前に克行はびくりと身構えた。西崎の名前はリストの十三番目に載っている。電話の向こうで電話が微かに西崎に送られる気配がした。
「いや、いいよ。別に用事はないから」
克行の言葉で西崎の出る気配が消える。
――そうですか。他に何か?
「ないよ、明日は出社するよ。それじゃ、明日」
――はい、お大事に。失礼します。
「さよなら」
克行は静かに、けれど素早く切った。