死のクリスマスイブ・4
四
全ての説明が終わったのは十一時を少し回った頃だった。市長の演説分だろうか、予定よりもほんのわずかながらオーバーしている。特権者たちは皆それぞれ茶色の封筒を片手に市役所を後にした。
克行は足取りも重く、ゆっくりと会議室を出た。誰かにリストのことを問いただしたかった。だが、そんなことが出来るはずもないし、聞くことも怖かった。
(「だから何の問題があるというんです? あなたは特権者でこの女は特命者に選ばれた。あなたはこの女を殺さなければいけないんです!」)
もしそんなことになったら……。
会議室から市役所のロビーまでは十六段からなる階段四つと二十メートルたらずの廊下でつながっている。そのあちらこちらに大理石のテーブルが置かれ、その上に花が飾られている。
(何て嫌味な……)
克行はその花全てをひっくり返して歩きたい衝動に刈られた。花は今日に限ってか全て真っ赤なバラで統一され、その色は克行にどす黒い血の色を連想させた。
克行はなるべくその花から視線を逸らしながら、とぼとぼと出口の方向へと歩いて行った。頭の中は今カバンのなかに入っているリストのことでいっぱいになっている。ふと、どこからか誰かを呼ぶ声が聞こえてきたような気がした。だが、そんなことなど今の克行にはどうでもいいことに思えた。
「克行!」
声はもう一度克行の耳に届き、克行もやっとそれが自分を呼ぶ声だということに気づいた。振り返るとベージュのスーツを着た若い女性が走り寄ってくるのが見えた。その姿に克行は思わず驚きの声をあげた。
「涼子……」
三浦涼子とは大学時代に一度つき合っていたことがあったが、卒業以来一度も会っていなかった。
「久しぶりね」
涼子は軽快な足取りで走り寄ると懐かしげな視線を克行に向けた。長い髪がさらりと肩口で揺れている。
「どうしてこんなところにいるの?」
克行は涼子を見つめて言った。初めて見る涼子のスーツ姿がやけに大人っぽく感じられた。
「働いてるのよ」
「働いてる? ここで?」
克行は驚いて涼子を見つめた。涼子はもっと野心家だったはずだ。役所で事務員をやっているということは涼子には似合わないように思えた。
「そうよ。私らしくないかしら」
克行の心を読んだかのように涼子はクスリと微笑んだ。「それよりも克行こそどうしてこんなところにいるの?」
「……」
克行は何と言っていいのかわからず目をキョロキョロさせた。その克行の様子にさすがに涼子も気づいたようだった。
「まさか……克行が……?」
「ああ……」
克行はなるべく涼子の目を見ないようにして頷いた。涼子もまた市の職員だということが克行の心を暗くしていた。涼子もまた、そんな克行の心中を察したのか言葉を選ぶかのように視線を動かして誰にも見られていないことを確認するように周囲を見回した。それから、思いついたように克行の目を見据えると言った。
「ねえ、克行、今時間ある?」
「時間?」
「うん、ちょっとつき合って欲しいの。どっかでコーヒーでも飲みながら話でもしない。克行と会うのも久しぶりだしね」
その言葉の裏に克行は涼子が何を話そうとしているのかすぐにわかった。
「いいよ、少しくらいなら。おまえのほうはいいのか? まだ仕事じゃないのか」
「もう十一時を回ってるわ。もうすぐお昼じゃない。どうせお役所仕事だからさほど忙しくもないし、それに他の仕事と違って仕事に期限がないようなものよ」
涼子はそう言って笑った。その笑顔に克行は彼女の暖かい心づかいを見てとれた。
克行と涼子の二人はそのまま市役所を出ると少し市役所から離れた喫茶店に入った。市役所の近くの店には入りたくないと涼子が言い、克行もまた同じように思ったからだ。ただ、その涼子の言動は克行にはひどく危険なように見えた。
涼子はそこでコーヒーとサンドイッチを、克行はコーヒーだけを頼んだ。まださっきのことが頭にこびりついていて、とても食事をする気にはならなかった。
「それにしても本当に久しぶりね」
涼子は改めて克行の顔をじっと見つめ直した。その潤んだ瞳はつき合っていた頃とまったく変わっていない。それだけに克行はその涼子の眼差しがつらく感じられた。涼子と別れたのは彼女のことを嫌いになったためではなかった。ただ、まだ若かった克行にとって涼子のひたむきな愛が重荷に感じられたのだ。
「……うん」
「それで?」
克行の思いを察したかのように涼子はすぐに話題を変えた。
「……うん」
どう話していいものか克行は迷った。
「特権者に選ばれたんでしょ」
「先週通知が届いたんだ」
「どうして克行が選ばれたんだろう」
涼子はまじまじと克行を眺めた。
「俺にもさっぱりわからない。確かに俺は刑事事件を起こしたわけでもないし、市や国に反することをやってるわけじゃない。でも、別段模範市民ってこともないと思うんだが――」
「そうね。本来なら――というより、去年、私が委員をやってた時なら克行は決して特権者になんか選ばれる立場じゃなかったと思うんだけど」
「委員をやってた?」
「そうよ、去年だけだけどね。ちょっとしたお手伝いみたいなものよ」
軽く笑って答える涼子の様子に克行は時間の流れをひしひしと感じた。
「それじゃ選定方法が変わったのか?」
「さあ……」
涼子は一つサンドイッチを取り上げ口に運んだ。
「おまえはどうして今年は特権者計画実行委員にならなかったんだ?」
「つまらないのよね……」
「つまらない?」
「そう、私は国の中枢で働きたかったの。いろいろ手を回したんだけど駄目だったの。だから仕方なく市役所に入ったんだけど。特権者優遇計画って国からの指示によるものでしょ。うまくいけばどこかの国家機関に入れるんじゃないかと思って志願したの。でもやってみたら全然そんなチャンスもなかってわけ」
「それじゃ辞めればいいじゃないか」
克行はインスタントじゃないかと思えるほど粉っぽいコーヒーを口にしてから言った。すると涼子はいとも簡単に答えた。
「うん、私も今それを考えてる」
あまりに簡単な返事に克行は驚きの目を涼子に向けた。
「本当か?」
「本当、もうほとほとあんな市役所なんか嫌になっちゃった。別に仕事が嫌いなわけじゃないの。仕事は楽だし給料だって悪くない。ただ上司とうまくいかなきゃ先だって見えてるようなもんでしょ」
「そう……」
「でも辞めるって決めたら楽になっちゃった。やっと私も自由になれるわ。ただ――」
涼子は突然表情を厳しくした。
「ただ――」
「心残りが一つ出来たわ」
「出来た?」
「克行のこと」
「俺の?」
「克行が特権者に選ばれるなんて……まったく思いもしなかった」
「そんなおまえが心配するようなことじゃない。いくら特権者に選ばれたからって何もその権利を絶対に使用する必要はないんだ。特命者にならないだけ良かったんだ」
克行は自分の心のなかにある不安すらも吹き飛ばすよう、わざと明るく振舞おうと試みた。だが、涼子はいっこうに表情を崩そうとはしない。それどころかますます表情を固くする。
「本当にそう思っているの? 本当にそれで済むと思っているの?」
「どういうことだ?」
「克行が特権者に選ばれるなんてどこか間違ってる。今年の特権者優遇計画は去年とはまるで違う」
涼子の目は真剣そのものでさっきまでの表情とはまるで違っている。克行は突然、思いもしない恐怖にさらされているような気持ちになった。
「それじゃ、おまえは俺が特権者に選ばれたのはどんな意味があるって言うんだ?」
克行は声を潜めて尋ねた。「特権者」という言葉を発するたびに自分自身に何か悪いことが起きるような気がしたし、さらに店のウェイトレスや客に聞かれたくなかった。
「それがわからないのよ。だからこそかえって不安になる。そもそも「特権者優遇計画」なんてものは間違った政策よ。それが毎年のように行われる。しかも国民のほとんどが知っているようでまるで知っていない。そんなものの裏にまともなものが潜んでいるわけないでしょう。それに私がそう思うのはもう一つ理由があるの。実はこれは噂なんだけど、特権者優遇計画の上でクーデターみたいなことが起きたらしいの。もしかしたらそれが影響しているのかもしれないわね」
確かに涼子の言う通りかもしれない。克行は特権者に選定される通知をもらってから得体の知れない不安にかられていたが、涼子の言葉を聞きその不安の姿が一部見えたような気がした。
「これを見てくれないか」
克行は涼子に全てを打ち明けようと思い、今日手渡された書類をテーブルに出した。
「これって特命者リストじゃないの」
「そうだ、こいつは俺が受け取ったリストだ。よく中を見てくれ。俺は今日同じ特権者に選ばれた男から少し特命者について聞いた。その男が言うには特命者というのは特権者にとってまったくの第三者的な人間が選定されていると言うんだ。つまり知り合いがリストのなかにいるはずがないって」
「その通りよ。まったく知らない人間ばかりというわけじゃないかもしれないけど、それでも直接的な知り合いと思われる人間はリストのなかには入れないことになってるわ」
「ところが、俺のリストのなかに入っている特命者の半数ほどは俺の直接的な知り合いなんだ」
「何ですって?」
思わず涼子が驚きの声をあげ、その声に店にいた人々の視線を集める事になった。涼子はすぐに声のトーンを低くして喋り始めた。
「知り合いが? そんなはずないわ。有り得ない」
「本当なんだ。その有り得ないことが、俺のリストのなかには起こってるんだ。同姓同名ってことも一瞬考えた。だが、全員調べたわけじゃないが住所や職業、電話番号、どれを見てもそれは俺の知っている人なんだ」
克行の心のなかに麻美の姿があった。自分の持つ特命者リストのなかに麻美が入っている。そんな悪夢のような出来事から早く逃れたかった。
「……やっぱり何か間違ってる」
涼子の目がぼんやりと遠くを見つめるようになっている。
「涼子?」
「いいわ」
突然思い起こしたように涼子の視線は克行を捕らえた。
「どうしたんだ?」
「三日だけ待ってちょうだい。その間に私が調べてみる」
「調べる?」
「ええ、おそらく今年も特権者優遇計画に関する資料は、パスワードくらい変わっていても去年と同じディスクに入っていると思うわ。調べるくらいわけないわ」
「だけど、おまえ今年は実行委員からはずされたんだろう。そんなことしても大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。少しくらいディスクのなかを見たってバレやしないわよ。それにバレたところで何てことないわ。どうせ市長に恨まれたところで特命者リストに加えられるだけじゃない」
冗談交じりに涼子は言った。克行は驚きの目で涼子を見た。しかし、涼子のほうはまったく動じることなくニッコリ笑うとおもむろにバッグを開いて中を見せた。バッグの奥に何か黒い金属の固まりが見えた。
「それ……」
「スタンガン、FBC2X、克行も名前くらい知ってるでしょう」
克行もそのスタンガンのことだけは知っていた。見たことはないが聞いたことはある。三年も前に売り出されたものだが、売り出されてすぐにある事件にこのスタンガンの名前が出たことがある。事件そのものはどこにでもある婦女暴行事件だった。深夜、帰宅途中のOLが近所の大学生に襲われそうになったというものだった。だが、結末は他のものとは違っていた。襲われそうになった女性がこのスタンガンを持ち歩いていたのだ。スタンガンは通常のものよりも三倍もの電流が流れるようになっており、さらにその電流の発せられる部分はバネ仕掛けで目標に向かって十メートルは飛ぶようになっていた。あいにく夏の暑い時期で大学生はTシャツ一枚という姿だった。その裸同然の心臓部分にスタンガンは噛みつき、一気に電流を放電したのだ。大学生は一瞬のうちに硬直状態になり、騒ぎに駆けつけた住人によって救急車で運ばれたがそのまま目覚めることはなかった。あまりにも強力なそのスタンガンはその事件で社会的な問題にもなったが、その反面女性の強力な味方として人気を得ることになった。結局、スタンガンは改良され通常のものの二倍程度の電流に押さえられることになった。
今、涼子の持っているものは改良後のものではなく、旧式のもののように克行には見受けられた。
「おまえ、いつもそんなもの持ち歩いてるのか?」
「いつもじゃないわ。特権者優遇計画を実施期間中だけ、職員には皆これが配られることになっているの」
「何のために?」
「市で選んだ特権者に逆に命を狙われないためよ。私もまだこんなもの使ったことはないけどね。いくら何でもこいつを使うことにはならないでしょう」
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫、そうすれば克行がなぜ特権者に選ばれたのか調べられる」
「それならもう一人調べて欲しい人がいるんだ」
「誰?」
「特命者リストにある五十嵐麻美、彼女がなぜ特命者になったの調べられないかな」
言い出しづらかったがそれでも言わないわけにはいかなかった。危惧した通り麻美の名前に涼子の顔がこわばった。
「誰なのこの人? ひょっとして克行の恋人?」
「……うん」
二人の間に一瞬冷たい空気が流れた。一瞬、涼子がきつく唇を噛んだのが見えたが、それでも何も深くは聞こうとはしなかった。
「いいわ、そのリスト、今夜にでも私のところにファックスで送って」
涼子は克行から視線をそらすとポケットから名刺を取り出すとその裏に自分の携帯電話の番号と、ファックスの番号を書き込んだ。
「頼むよ」
克行はその名刺をクリップで特命者リストにはさむと書類といっしょに封筒のなかに入れた。




