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死のクリスマスイブ・31

   三十一


 三度読み直した。

 四度目にもう一度読み始めたが、途中で読むことをやめた。全てが無駄のように思えたのだ。

 克行はなるべく乱暴にその手紙をまるめるとマッチを手にした。

 オレンジ色の炎が手紙を焦がす。

(もうどうしようもないことだ……)

 克行は側に置いてある新聞をちらりと眺め、すぐに視線を炎へと戻した。新聞には内務省大臣大野敏が心不全のため死去したと報じられていた。麻美の父はこの新聞をどのような思いで見たことだろう。

 それとも彼もすでにこの世の人ではなくなっているだろうか。

 炎が指まで焦がしそうになり、克行はそのまま手を放した。パサリと軽い灰をまき散らすように手紙は炎に包まれテーブルの上に落ちた。

 それを克行は力なく見つめていた。

 今更こんな手紙が何になるというのだ。

 全てはもう終わってしまったのだ。命をかけて守りたいと思った麻美はもうこの世にはいない。あの夜、麻美の死によって全ては終わってしまった。

 麻美の遺体は警察によって、そして克行にジグソーパズルの重要なピースを渡してくれたルシファーは克行によってゴミ箱へと片付けられている。

 主人が死んだ今、ペットもいっしょに消えるべきだ。それにあのままあの薄汚い黒猫を生かしておきたくなかった。

 克行はふとあの黒猫のことを思い出していた。

 あの夜、麻美の体を抱き抱えている克行のところへルシファーはのそりと姿を現し主人の消えたことを知ってか知らずかそっとまとわりついた。おそらくあのまま何事もなければルシファーは部屋を追い出され、今頃はどこかの家の扉に爪をかけ、あの訴えるような鳴き声で新たな飼い主を見つけていたことだろう。しかし、あの時、ルシファーはこともあろうに亡き主人の体にまとわりつき、そして床に滴り落ちた真っ赤な血をぺろりと味わうように舐めたのだ。

 そうだ、あいつは麻美の死を知っていた。あいつは麻美に死を運び込むために送りこまれたのだ。

 克行はとっさにルシファーの体を左手で押えつけ、鳴き声一つ鳴かせる間もなくルシファーの頭を撃ち抜いていた。

 一月ももうすぐ終わりになるというのに克行はあの日以来ずっと会社を休み続けている。そして、毎日のように部屋に閉じ籠もり、電話にも出る事なくじっとうずくまるようにして一日を過ごすようになっている。

 今はもう何もしたいとは思えなかった。ただ、それでも死を自ら迎えようとは考えられなかった。

 麻美の父が危惧するように克行の命が危険にさらされることはない。それが克行にははっきりとわかっていた。


「風間克行様

 本日よりテストケースとして新・特権者優遇計画を実施いたします。その際、貴方は特別特権者として一年間に渡り登録されることが決定いたしました。

 つきましては特権者特別ライセンスと弾丸を一ケース、今月分の特命者リスト、そして新たに自動小銃を送らせていただきます。特命者リストに関しては今後一年間毎月リストを送付させていただきます。規則につきましては同封いたしましたルールブックをご覧下さい。

 それでは貴方のこれからの御活躍をお祈りしております。


      特権者優遇計画特別委員会」


 今日、麻美の父の手紙と一緒に届いたこの通知が全てを物語っていた。

 克行は狙われる側などではなくまったく逆の立場、狙う側に立つことになったのだ。こともあろうに「御活躍」を祈ってもらえる立場になったのだ。

 国が何を考えているのか、そんなことはもう克行にとってはどうでもいいことだった。もう守るべき人は誰もいないのだから。あとは己の意志のまま行動すればいいのだ。

 ちりちりと小さな音をたてて手紙は黒い灰の固まりへと変貌した。茶色のテーブルが少し焦げて変色してしまっている。今となってしまってはどんなことも気にならなくなっている。今はただ送ってよこされた自動小銃と馴染んでしまった拳銃に弾丸を詰め込む作業に気を配るだけだ。

 自動小銃、そして二丁の拳銃、これだけあれば十分に奴らを殺すことが出来る。克行の目標はすでに決まっていた。思いもよらぬことにあの市長の名前を特命者リストのなかに見つけることが出来たのだ。これはあの日以来の唯一の幸運だった。

 克行のなかに再びあの時の狂暴な心が目を覚ましつつあった。麻美の死という大きな傷のためその狂暴な心に歯止めをかけようという理性が薄らいでいる。

(どんな使い方を……)

 駅のホームで自動小銃を撃ち続けようか……あの男にはたった六発の弾丸しかなかったが克行には十分すぎるほどの弾丸が用意されている。

(それとも……)

 ふと立花の笑顔が脳裏に蘇った。

(そうだ、あんたは正しかった。人を殺すことを考えるのがこんなに楽しいこととは思わなかったよ)

――そうだろう、人間誰でも誰かを殺したいと思ってるんだ。ただ無意識のうちに以前に誰かが造りあげた法律を意識しちまってるだけなんだ。もっと自然の法則に従わななきゃいけないんだ。強い力を持った奴だけが生き残る。それがこの世の中なんだぜ。

 立花の声が聞こえていた。立花の魂が自分の心のなかに潜んでいるのがわかった。

(そうだ……そうなんだ)

 もう守るものなど何もない。その意識が克行を力づけていた。

 呆れるほど楽しかった。初めて拳銃を手にした時にはあれほどまで恐怖を感じたが、今では快楽になりつつある。

 拳銃と自動小銃は克行の手によりたっぷりと弾丸を身につけた。その銃口はまるで弾丸を吐き出すのを今か今かと待ち焦がれているようにさえ見える。

(待ってろよ、すぐにたっぷりと働いてもらうぞ)

 克行はふらりと立ち上がるとホルスターに拳銃と自動小銃を納めた。拳銃の重さが克行の体に快感となって伝わっていく。

 コートを身にまとい拳銃をとりあえず一目にさらさないようにした。実行までは騒ぎを起こしたくはない。

 麻美の写真が棚の上で笑顔を振りまいている。やけに幼く見えるその笑顔。その笑顔の奥に隠されていたものを克行は読み取ることが出来なかった。

――あなたが悪いのよ。特権者なんかに選ばれるから。

(そうだ、俺が悪いんだ。俺が……俺が……俺が……だから俺は……)

 初めて殺人を犯した時から必死に押さえようとしてきた自責の思いが強く克行の心を占めていた。麻美も涼子も自分が殺したに等しい。康子はどうしているだろう。まだ涼子の死を忘れられずにいるだろうか。

 窓から雪が見えた。

 あのクリスマス・イブ以来の雪。

(結局そういうことなんだな……)

 ふと滑稽な気分になり、克行の口許に微笑が浮かんだ。

 十二時をほんの少し過ぎた。

 これから出れば市役所に着くのは一時頃になるだろう。みんなが食事を終え満腹感にひたっているころだ。

 あの分厚い眼鏡をかけた職員の顔が真っ先に思い出された。そうだ、まっさきにあいつの顔に拳銃を突きつけてぶっぱなしてやろうじゃないか。

(誰を殺そうと俺の自由だと言ったのはあの男なんだからな)

 今なら出来る。

 本当にやらなければならなかったことを今なら出来る。守るべきものもなく、救うべきものもない今ならば。

 涙が流れていることに克行自身気づいていなかった。全ての五感は指先に集まっている。拳銃に集中されている。

 克行は自分自身不思議になるほど軽い足取りで部屋を出た。

 外は雪が舞っていた。

 頭のなかでジングルベルが鳴り響いている。


               了


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