死のクリスマスイブ・3
三
十二月 十一日 (月)
「あなたたちは非常に大きな任務を与えられたのです!」
市長は特別会議室の演壇に立ち、大きな体を震わせながら演説を続けている。暖房がやけに効いているせいか市長は体中から汗をふきだし、それはまるで鯨が潮を吹いているように見えた。
克行はそんな市長の姿を眺めながら、子供の頃に深夜のテレビで観た「白鯨」という映画を思い出していた。
特別会議室には内側からしっかりと鍵がかけられ、市の関係者と特権者以外は出入りが許されないようにされている。学校の教室程度の特別会議室のなかには克行を含めて、三十名ほどの特権者が長机を前に座っている。ただし、実際にはここ以外の場所でも同じような説明会がされており、全ての特権者がここにいるとは限っていなかった。ほとんどの者がその市長のつまらない演説にあきあきしたような顔をしながら市長の演説が終わるのをじっと待っていた。
克行はこれが終わりしだいすぐに会社へ行くつもりで、いつものようにベージュのスーツを着て出席していた。もちろん会社へは遅れる本当の理由を伝えてはいない。体調がすぐれないため、病院に寄ってから出社すると既に連絡済だ。
「この政策はこの日本を、そして世界を救済するために設けられたものです。つまり、あなたたちは世界を救済する者として選ばれたのです!」
ヤニで黄色くなったような歯を剥き出しにしながら、市長のお世辞にもうまいとはいえない演説は続いた。
(よくこれで選挙に通ったものだ)
克行は冷ややかな目で市長の姿を眺めていた。多少の緊張感はあったが、不思議とそれほどコチコチになるほどではなかったし、昨日通知をもらった時ほどの不安も感じてはいなかった。特権者といってもしょせんただの権利に過ぎない。権利を放棄することで翌年すぐに特命者にされるというのも、根も葉もない噂かもしれない。克行はなるべく楽観的な考え方をするように務めた。ただ、市長の演説を聞いているうちに体のネジがきしんでくるような感覚に襲われていた。そこで、克行は出来るかぎり市長の声を聞かないように心がけながらそっと他の特権者たちを盗み見た。
スーツ姿の四十過ぎのサラリーマン、まだ大学生らしい若者、いったいどんな方法で選んだのだろうと思うほどさまざまな人々が集まっている。
みんな、どんな思いでここに集まっているのだろうと克行は思いめぐらせた。だが、どんな思いであろうとここに集まった者たちはみな、殺人者となる可能性を持っていることだけは確かだ。もちろんそれは合法的なものとしても、それでも人を殺すという行為に違いはない。
ここにいる人たちは皆本当に人を殺すことになるんだろうか。
窓際の前の席に座っている若者が市長の演説に抗議するつもりなのかあからさまにあくびをした。だが、市長はいっこうに臆した素振りもみせず、淡々と演説を続けている。その市長の態度に以前聞いた噂を思い出していた。
――あの市長はずうずうしさだけで選挙に当選したのさ。あいつが市長になりたい一番の訳は特権者優遇計画を自分の思いのままに操りたいからなんだ。それにな、ここだけの話だが特権者の数は国から指定されることになってるんだ。けど、毎年決まって市から指定される特権者はそれよりも一人少なくなってる。なぜかわかるか? つまり、あの市長が自ら特権者になるってことだ。
(なるほど……)
克行は改めて市長を観察した。あの時はまさかと思ったが、この市長ならばありえる話だ、と克行は市長の狂喜とも言える熱意のある演説を聞き思った。
「この世界を救って下さい! 人々を救って下さい! それが出来るのはあなたたちだけなのです!」
突然、市長の叫び声とともに演説が終了した。誰一人として拍手をしようとはしなかったし、市長もまたそれを期待しているようではなかった。
市長が満足そうに演台から下りると、すぐに傍らで待機していた市職員の一人が入れ代わった。
「では、これより「特権者優遇計画」を実施するにおいて、規則、注意等について説明をさせていただきます」
牛乳瓶の蓋のような分厚い銀斑の眼鏡をかけた職員は、そう言ってから一度特権者たちをぐるりと見渡した。気のせいかその目は克行のところでほんの一瞬だけ止まったように思えた。その姿は一種独特な不気味な雰囲気を持っていた。
「まず、みなさんがたの席の前に置かれた封筒を開けて下さい」
市職員の指示に従い特権者たちは自分の前にある封筒に手をかける。
克行もみんなに習い封筒を手にとった。封筒の膨らみで封筒の中身は想像がついていた。紙包みでくるまれた拳銃がそのなかから姿を現す。実際に取り出してみるとそのずしりとくる感触が妙に生々しい。もちろん拳銃を手にするのは初めてのことだ。
「みなさんが手にしているのは今年使用されることになったK-9-6Mという型の拳銃です。これは毎年、ある限定された数だけ国によってこの特権者優遇計画のために作成されたもので、これにあう弾丸も支給されるものしかありません。以前にも特権者として登録され弾丸を残されているかたもいるかと思いますがそれらは使用出来ませんのでご注意ください。弾丸は後ほどみなさんが退出する時に各々六発づつ支給します」
まるでテレビショッピングのコマーシャルでもするようにあっさりと市職員は説明し続けた。
「この拳銃ですが、これは実に簡単な操作で実に正確かつ十分なほどの威力があります」
そう言うと職員は突然、サンプル用の拳銃を構えると部屋の隅に用意された人形の頭めがけ引き鉄を弾いた。弾けるような火薬の音と共に弾丸が放たれ、人形の頭を吹き飛ばした。その爆音に特権者たちの何人かがびくりと肩をすぼめた。
「実際にはこのように人の頭を吹き飛ばすほどの威力はありませんが、それでも殺傷能力は十分にあります」
(つまりそれだけ簡単に人が殺せるということだろう)
克行は心のなかでそう罵った。
「次に規則について説明します。封筒のなかにさらにもう一つ黄色い封筒がありますので出して下さい。ありましたか? それが今年みなさんに配布される「特命者リスト」です。決して他の人には見せないようにして下さい」
さすがに手が震えた。自分の手のなかに、これから最優先で殺される人々の名簿があるのだ。
「特命者は一人につき、およそ五人の特権者のリストに名前を載せられています。同一の特命者に対して五人の特権者ということで実行時にダブルのではないかと危惧されるかと思いますが、一人の特権者のリストには三十人の特命者が名前を連ねているのですから、そうそうダブルことはありません。もし、自分のリストに載っている特命者が無事、この世から削除されましたら皆さんのリストでもこまめに削除して余計な手間のかかるようなことを避けるようにして下さい。なお、これは言わずとしれたことですが、このリストの中身についての口外は一切禁止します。もしも、それを破った時にはその人にはしかるべきペナルティが与えられることになります。厳重に注意して下さい。また、その他の規則についてですが――」
市職員はさらに続けた。だが、克行の頭のなかにはさらなる規則の説明よりも、特命者リストのことが頭にひっかかっていた。特権者のほとんどはすでに封を開け、なかのリストを取り出して見ている。なかには何が楽しいのか笑みを浮かべている者さえいる。
克行は封筒を手にすると思いきって中のリストを取り出した。ざらざらとしたあまり良質とはいえない白い紙に印刷された名前が縦に並んでいる。克行はその名前の列を読みながら、自分の顔から血の気がひいていくのを感じた。
(なぜこんな……こんなことって……どうなってるんだ!)
今にも叫び出したいようなそんな苛立ちにも似た恐怖感が克行を襲った。まるで自分一人だけが群れから取り残され、どこか遠い世界に消え去ってしまうようなそんな感触に包まれているような気がしていた。
克行は震える手で必死にリストを押さえながら回りの特権者たちの行動を見回し、それからもう一度視線をリストへ向けた。
そこに書いてある名前の半数は、克行の見知った者たちだった。会社の同僚、近所の老人、そして……そして何よりもショックだったのはそこに恋人である五十嵐麻美の名前があったことだっだ。
楽観的に考えようとしていた気持ちなど遠くへふっとんでしまい、代わりに大きな恐怖が押し寄せていた。全身の毛穴から汗が吹き出している感じがした。
克行はそこの欄を何度も何度も見直した。ひょっとしたら見間違いじゃないかと思い、同姓同名の別人であることを祈った。しかし、そこに書いてある名前に間違いはなく、住所、そして職業ともに麻美本人と認めるほかなかった。
(なぜ……なぜ麻美がリストのなかに……なぜだ?)
克行は運命を呪った。自分の手のなかに恋人の命がある。しかし、もっと恐ろしいのは麻美の名前の入ったリストをあと少なくとも四人の特権者が握っているということだ。もし、克行のリストにだけ載せられているのなら麻美に危険はない。だが、克行以外にも四人の特権者が麻美を狙うことになると……。しかも、麻美の名前の載ったリストを持っているのが今ここに集まっている者たちだけとは限らない。特命者リストはあくまでも政府からの依頼でしかなく、特権者には実際には対象を自由に選ぶことが出来るのだ。
(どうしたら……俺はいったいどうしたらいいんだ……)
克行の頭のなかに麻美の姿がちらついた。麻美の愛らしい笑顔、あの笑顔がこの世から消える……。そう思うたびに克行の心はかきむしられるような苦しみに襲われた。
「あんた、大丈夫かい?」
隣に座っていた三十過ぎの男が克行の顔を覗き込んだ。だが、その顔は決して心から克行のことを心配してはいない。ただの興味本位でしかないことはすぐにわかった。克行は慌ててリストを封筒のなかに突っ込んだ。
「い……いえ……」
「あんた、今年が初めてなんだろ」
男はにやりと笑って言った。その男の落ち着いた素振りに克行は不思議そうに男を観察した。
黒いダブルのスーツに黒のネクタイ、まるで葬式に行くときのような格好だ。
「俺は立花勇作ってんだ。よろしくな」
男は名乗って左手を差し出した。
「え?」
「えっじゃないよ、ただ名乗ってるだけだ。別に特権者同士が名乗りあっちゃいけないって規則はないだろ。さあ、握手だ」
立花は克行の手を取ると無造作に握手した。それは握手というよりも一方的に克行の手を振り回しているというほうが近かった。
「で、あんたは?」
「風間です。なぜ僕が初めてだとわかったんですか?」
「そんなの一目でわかるさ。そんな拳銃を握って震えてるなんて、初めてに決まってるじゃないか」
「あなたは何回目なんですか?」
「俺かい? 俺は三度目さ」
立花は自慢げに答えた。
「そうですか、それじゃ拳銃のほうも慣れてるんですか?」
「慣れてるよ。けど、俺はもともとそういう仕事なんでね。慣れてるのが当然なんだ」
「仕事?」
「警察官なんだ」
「警察官?」
克行はどきりとして立花を見返した。人々の治安を守るべき警察官が殺人者の予備軍として克行の目の前に座っている。そのことに克行は不気味な感じを抱いた。
「変かい? 警察官が人を殺すのは。だが、特権者優遇計画ってのは別にどんな仕事をしていようがそれなりの資格がありゃあ特権者になってもいいものなんだぜ。警察官だろうが医者だろうが、それこそ政治家だろうが……」
立花はヒヒヒと薄きみ悪く笑うとじろりと辺りを見回した。「見なよ、現にあっちのは医者だぜ。それにあっちのは学校の教師とくらぁ」
立花は一人一人克行に説明していく。克行もそれに合わせて一人一人顔をじっくりと眺めていった。やけに神経質そうな者もいれば、自分の置かれた立場など気にも止めていないような態度でぼんやりと窓の外を眺めている者もいた。だが、ここに集められた特権者たちはどこか、一種独特な雰囲気を持っているように克行は感じた。
(このなかに麻美の名前の入ったリストを持っている者がいるかもしれない。ひょっとするとこの男が……)
克行は思いをめぐらせ、一人一人の顔をしっかりと覚え込むように心がけた。
「どうだい、こうやって見てるとなかなか面白いだろう。俺なんかここに来るだけでもう嬉しくなっちまう」
「嬉しい?」
「そうさ。なんといっても天下御免で人を殺すことが出来るんだぜ。そんな楽しいことはないじゃないか。それに人間、死を間近にすると心が表に出るのさ。普段見ることの出来ない人間の浅ましさがじっくり眺めることが出来る。こいつぁ、どんな芝居よりも面白いぜ。赤の他人が死ぬのにどうして躊躇する必要がある?」
「けど、特命者リストには――」
「特命者リストには自分の知らない人間しか載っていない。もちろんリスト以外の人間を殺すのも特権者の自由だがね」
克行は立花の言葉に一瞬唖然とした。
「それ、本当ですか?」
「何が?」
「本当に知らない人の名前しか載らないことになってるんですか?」
「そりゃそうさ。いくら何でも顔見知りの名前は載ってないだろう。そんなことをしたらさすがに殺しをためらう奴も出てくる。もちろん俺は別だがね。なんだ? あんたのリストには知り合いの名前でもあるのかい?」
「……い、いえ」
克行は口ごもりながらも答えた。自分のリストだけがなぜ他の特権者たちと違うのかそれはわからない。だが、この男に克行の置かれた立場を知られたくはなかった。
「なら問題はない。一人くらい顔見知りが入っていたところで三十人のうちの一人だ。気にすることなんかない。もし、他に殺したい奴がいるなら別にリストに載ってなくたって構わない。殺っちまえばいい。ただ、そうなると来年は特権者になりそこなうかもしれないがね」
立花の言葉はまるで市の圧力そのものに感じられた。克行は言葉を返すことも出来ず汗ばんだ手でリストを握りしめていた。