死のクリスマスイブ・27
二十七
空は暗く、街は店頭に輝く装飾品でキラキラと輝いている。街行く恋人たちは腕を組み、悲しみの一つもないように明るく寄り添っている。おそらく彼らにとってはお互いの存在だけが全てで、それ以外の誰のことも頭にないのだろう。
先日までは克行もそういう人たちのなかの一人だった。克行にとって麻美との愛情だけが全てだった。回りの人々がどのような生活をしているか、もちろん政治のことなど興味がなかった。けれど、今は特権者優遇計画の影響か、周囲の人々の行動全てが気になっている。どこかで起こっている事件が皆自分に関係しているような気がしていた。
克行は彼らの姿をぼんやりと見つめながら駅前のベンチへ腰かけていた。ここから麻美のマンションまで十分もかかりはしない。だが、克行はなかなか動こうとはしなかった。目の前の噴水に青や赤の光が灯り、クリスマス・イブを盛り上げている。
やけに空気が冷たい。今にも雪が降りそうな天気になってきた。おそらく今夜雪が降るという気象庁の予想は当たることだろう。ホワイトクリスマス、白一色のイメージの街のなか、赤く血塗られた道を一人歩いて行かなければならない。
何かが心の片隅に引っかかっている。
康子が帰ったあとも克行はすぐに麻美のもとへ急ごうとはせずに、涼子の死についてずっと考え続けていた。
(……俺のために……)
おそらく涼子はシークレットファイルに近づいたために殺されたのだろう。それも特権者優遇計画に関わる者によって……。康子もそのことはすでにわかっている。
だが、康子にしてもこんなことは一日も早く忘れたほうがいい。いや、忘れることでしか救われる道はないだろう。忘れなければ彼女自身も危険なことになりかねない。
(俺のせいだ。俺があいつを巻きこんだ。俺がシークレットファイルの中身を知りたがったためにあいつは殺されたんだ。俺の……俺のせいだ)
自責の念が心を揺さぶっていた。
――愛してる。
頭に響く涼子の声。
(俺はなんてことをしてしまったんだ。俺はあいつの愛を利用したんだ)
涼子と過ごした日々のこと、そしてあの夜のことが目まぐるしく頭のなかを駆け巡っていく。
自分のやったことが全て間違いだったようにさえ思えてくる。涼子に出会ったこと、自らの立場を涼子に喋ったこと。特権者たちを次々に殺したこと。すべてが間違いだったのかもしれない。気持ちが後もどりしそうになり、克行はぞっとした。
(だめだ! まだだ! まだそんなことを考える時じゃない! 今、弱気になるな!)
克行は思いを打ち消した。
まだ特権者優遇計画が全て終わったわけじゃない。あと一日、今夜一二時をすぎるまで特権者優遇計画は終わらない。感情に浸るのはその後からでなければならない。麻美を守り切ったその後だ。
サンタクロースの姿をしたケーキ屋の店員たちが店先で鐘を鳴らしている。ケーキ屋にとっても、そして「特権者優遇計画」にとっても今夜こそが最も盛大になる。
「どうかしたかい?」
一人の男が隣に座り込み、克行の顔を覗いた。「せっかくのクリスマスにうかない顔してるじゃないか」
日曜だというのにスーツを着込んでいる。なにかの営業だろうか……
「……」
「まるで死神にとりつかれてるみたいだ」
男の言葉に克行はギクリとした。
「図星って顔してるねえ。ひょっとしたらあんた――」
そこで男は声を潜めさらに続けた。「――特権者なんじゃないかい?」
「何で――!」
「おっと、そう大きな声を出すもんじゃないよ。そうかい、やっぱりあんたも特権者なのかぁ」
「それじゃ――」
克行はまじまじと男を観察した。三十半ばのどこにでもいそうな、とりわけ特徴のない男だ。この男が特権者として日夜殺人を犯しているのだろうか。嫌悪感はあったが怖くはなかった。
「そう、私も特権者さ。『類は友を呼ぶ』っていうけど本当だねえ」
そう言って男はポケットに突っ込んでいる右手をほんの少し出してみせた。黒い固まりがしっかりと握られている。
「なぜわかったんですか?」
「さあ、なぜだろうねえ……あんたのその疲れたような顔、去年の私にそっくりだ」
「去年? それじゃあなたは二年目?」
「そうだよ。しかし、今年は去年と違って非常に楽に感じてる。『習うより慣れろ』ってことかな。あんたもすぐに慣れるよ。人間ってのはもともと好戦的な動物なんだ。自然に身を任せればいいさ」
「あなたは人を殺すことに何のためらいもないと?」
「ないね……私は去年家族を全員殺したんだ。あの時はさすがに辛かったが、あの後はもう全然」
「なぜ……家族を?」
「なぜだろうねえ……実を言うとあの晩のことはあまりよく憶えていないんだ。飲み潰れちまってね。ただ……子供の鳴き声が聞こえて……ふふふっ、なあにあの時は気が動転したが冷静になりゃあたいしたことじゃあない。気にするほどのことじゃない」
男は美しい思い出を語るかのように笑みを浮かべながら答えた。その男の笑みに克行は自分のなかの狂喜を垣間見たような気がして思わず身震いがした。
狂ってる。この男は狂ってるんだ。克行は必死にそう思いこもうと努力した。目の前にいるこの男が正気であるはずがない。
「おや? なぜそう驚いたような顔をしているんだ? 人殺しが罪だとでも? もしそう思っていたらそりゃあ大きな間違いだ。君は理性で動いている。正義のために動いている。そう思っているだろう。だがね、この世の中にそんなものは存在してなんかいない。こいつが全てを教えてくれる。誰も彼も人を欺いて生きているのさ」
「だから人を殺してもいいと?」
「人を殺すのは真実を導き出すため。嘘で生きるのはつらいことだ」
「あなたの言っていることは僕にはわかりませんね。少なくとも僕はあなたのような考え方はしたくない。僕にしてみればそこらへんの酔っ払いのほうがあなたよりもよほどまともな頭をしていると思いますよ。あなたも彼らを見習ったらどうです?」
「ごめんだねえ、こいつを手にして酒を飲む気にはならんよ。酒など口にしたら自分の頭にこいつを当てちまいそうだ。それになによりも君は嘘をついてる。私にはわかる。君はそれに自分で気づこうとしていないだけだ。……さてと、私はもう行くよ。今夜は忙しいんだ」
男はふわりと立ち上がると紙切れを眺めながらゆらゆらと駅へ向かって歩き出した。その紙切れが特命者リストであることはすぐにわかった。男の背後から弾丸を打ち込んでやりたくなった。だが、この男のリストのなかには麻美の名前はない。そしてこの男がリストをもとに人殺しをするのならば麻美に危害を加えることはないだろう。克行はしばらくの間、その男の後ろ姿をじっと見送っていた。
男がいなくなってから三十分後、克行はやっと麻美のマンションへ向けて動きはじめていた。いつまでもためらっているわけにはいかない。
それにしても気になるのは涼子の持って出たという書類のことだ。それがシークレットファイルの内容であることはほぼ間違いないだろう。問題はその内容がいったい何であるかだ。
克行と麻美に関わること。
――彼女は大丈夫!
(なぜあんなことが言えたんだ?)
だが、涼子がいい加減なことを言ったとは思えなかった。
涼子が言ったように麻美には危険はなかったのかもしれない。
(なぜ?)
考えれば考えるほどわからなくなっていく。しかし、涼子を死に追いやったほどの内容に克行と麻美が関わるというのはどういうことなのだろう。
シークレットファイル。
特権者としての克行と特命者の麻美。
涼子の死。
それがどういう意味があるのか。それらがどのようにつながるのか。
麻美の部屋の明かりが見える。どこか安心感があった。
(今日と明日……とにかく彼女を守る!)
決意を新たに克行は階段を登り始めた。
その間も克行の頭のなかはシークレットファイルのことでいっぱいだった。
――知らないほうがいいこともあるのよ。
(どういうことだ?)
――ミスよ。
――姉は死にました。
(?)
ふいに克行の心のなかに恐怖の一線が走った。だが、そんなことがあるはずがない。




