死のクリスマスイブ・23
二十三
富士川との対決は克行にとって意外な形で終わることとなった。克行はそのまま逃げるように学校を後にしマンションへ戻った。やけに腹立たしく感じていた。正義面した教師たちの顔が思い出された。こんなことならばあの教師たちの群れに弾丸を一発、二発撃ち込んでくるのだったとさえ思ったほどだ。
マンションに帰って来た頃には陽がすでに落ちていた。やけに肌寒く、風が体温全てを取り去っていくようだった。帰ってみると西崎が部屋の前で待っていた。思わず時計を見るとまだ五時をまわったばかりだ。
なぜこいつはここにいる? 仕事は?
一瞬、そんな疑問が頭を霞めたが、そんなことはどうでもいいことだった。
西崎は克行の顔を見るなり嫌な物でも見るように視線をそらした。それは克行にしても同じ気持ちだった。
「どうかしたのか?」
だが、克行の問いに西崎は黙ったまま何も答えようとはしなかった。それでも克行はそんな西崎を黙って部屋へ入れた。
「いったい何の用だ?」
部屋に通してから克行は訪ねてきた西崎に尋ねた。今、知り合いの顔を見るのはつらかった。どんなに忘れようとしてもあの富士川の血に染まった姿が頭にちらついて離れない。いや、忘れようとしていなかった。ひっきりなしにあの姿を思い出そうとしている。
そして、富士川を殺したであろう立花。
(立花はいったいなぜ富士川を殺したんだろう?)
そのことがずっと気になっている。
だが西崎は克行以上に暗い表情をし、すぐには口を開こうとはしなかった。つい先日まで友人と思ってた克行が特権者として人を殺しているのだから、その様子も当然かもしれない。わかってはいたがそれでもそんな西崎の姿はどこかもどかしく腹立たしかった。
ポケットには拳銃がはいっている。
「おい……何か用があったんだろう。用があるならさっさとしてくれ」
克行はわざと冷たく言った。改めて事情を説明して理解してもらおうとは思わなかった。今更話すことなどもなかった。立花による富士川の死、それがまだ克行の頭にこびりついていた。
(なぜ立花は拳銃を使わなかった?)
些細なことかもしれないが、そのことも気になっていた。
「どこへ行っていたんだ?」
ふいに西崎が口を開いた。「いったいどこへ行っていたんだ? また誰かを殺してきたのか?」
克行の目を見ないようにしながら西崎は言った。そんな西崎に克行は悔しさよりも怒りを憶えた。
こいつはいったい何を言いたいんだ? 俺を怒らすためにわざわざやってきたのか?
それとも……
「どういう意味だ? そんな嫌味を言うために来たのか?」
強い口調で克行は言い返した。言い返しながら再び富士川の姿が脳裏に浮かんできていた。
「桜川部長が死んだ」
克行に視線を向けるのを裂けるかのようにしながら西崎はつぶやいた。その声が富士川の姿を裂いて脳裏に飛びこんできた。
「なんだって?」
「聞こえなかったのか? 桜川部長が殺されたと言ったんだ」
いくぶん口調を強めもう一度西崎は繰り返した。もちろん聞こえていた。ただ聞き返さずにはいられなかった。
「いつだ?」
「昨日の夜。会社から帰るところを襲われたんだ」
「いったい誰に――」
言いかけて口をつぐんだ。西崎の目が厳しく克行を睨んでいる。
「決まっているだろう。俺はてっきりお前が殺したのかと思ったよ。違うのか?」
本心なのか、嫌味なのか西崎の言葉に克行は胸を痛めた。
「……」
「いったい……なぜおまえ特権者になんかなってるんだ? おまえがそんな人殺しを楽しむような奴だとは思わなかった」
西崎は吐き捨てるようにつぶやいた。
「楽しんでるわけじゃない!」
思わず克行は叫んだ。わかってもらえるとは思っていなかったが、それでも誤解されたままでいたくはなかった。むしろ誤解している西崎に腹が立ったと言ってもいい。撃ち殺してやりたい。誤解通りにひと思いに殺してやりたい。克行はその気持ちを懸命に押さえた。今、怒りにかられて西崎を殺したところで自分自身が苦しむだけだ。
「なら――」
「別に好きで特権者になんかなったわけじゃない。おまえだって少しくらいはこいつについて知ってるんだろう。勝手に国が特権者と特命者選んで殺しを命じているんだ! 好き好んでこんなことするはずないだろう!」
「俺だってそれくらいは知ってる。ついでに言わせてもらえれば特権者の権利があくまで権利だってこともな。使う必要のない権利なんだろ。それをおまえは使っているんだ。楽しんでいないというならいったい何だと言うんだ! 俺の名前も特命者のなかに入っているのか? どうなんだよ!」
やけになったように西崎は叫んだ。
「それが知りたくてやって来たのか?」
「……いや」
怒鳴って気が済んだのか西崎はいくぶん落ち着きを取り戻した。そしてふっと溜め息をついた。
「西崎……俺だって本当に楽しんで人を殺しているわけじゃない」
言い訳をするように克行は言った。それは西崎にではなく自分自身に言い聞かせようとしているようだった。
好き好んでやってるわけじゃない? 本当にそうか? おまえは何かあるといつでも拳銃を握ろうとしているじゃないか。それでもそんなことが言えるのか? 今だっておまえはこいつを殺したいと思ったじゃないか。
心のなかでもう一人の自分がしきりに反発していた。
「わかってる……いや、わかってるつもりなんだ。おまえだっていろいろな事情があってあの二人を殺したんだろうな。俺だってそれはわかってるんだ。ただ、それでもどうしても……」
(二人じゃない……もう俺は三人殺してる)
「確かに俺は人殺しだ。それは否定するつもりはないよ。けど、俺だって間違ったことをしているつもりはない。俺が殺した奴らだって特権者だったんだ」
(そうだ、そう思うしかない)
「……本当か?」
驚いたように西崎はうつむきがちの顔をあげた。
「驚いたか? 坂本さんにしても波川さんにしても二人とも特権者っていう立場だったんだ。だからこそ殺したんだ」
残り二人、磯井と富士川の顔が思い出された。だが、別段彼らのことまで西崎に伝える必要はない。
「それじゃ、おまえは特命者を守るために殺してるってことか?」
「そう言えるのかもしれないな」
「そうか……」
ほっとしたような顔で西崎は克行の顔を見た。その顔に安心感が滲み出ている。友人の安心したような顔に克行はなぜか満足出来なかった。
(なぜ俺がこんなことを言ってやらなきゃいけないんだ?)
西崎の目の前に拳銃を突きつけ「安心するのは早いぞ!」と叫びたくなる。
(えい、くそっ! さっさと帰ってくれ)
「桜川部長が誰に殺されたのかは知らないが俺が殺したわけじゃない」
「そうか……こんなこと言ったら怒るかもしれないが、俺は怖かったんだ。あんな……あんな酷い殺されかたをするなんて……頭を撃たれ、そのうえ……二台の車に体を縛りつけられ……しかも、俺はそいつを見ちまったんだ……車の持ち主が気づかずに車を動かして……部長の体が……二つに……まっぷたつに……」
西崎は混乱する意識を押えつけるように頭を抱えた。桜川を襲ったのも立花の仕業だろうか。あの男は人を殺すことを一つの芸術のように楽しんでいる――だが拳銃は?
昨夜、市役所からの電話を受け取っていればきっと桜川の名前を聞くことになっただろう。最後に見た桜川の姿が思い出された。あの人もずっと恐怖に捕らわれていたことだろう。
「……」
「俺は死にたくない……」
その時になって初めて克行は西崎の顔がやけに疲れていることに気づいた。まるで何日も寝ていないかのように目がくぼんでいる。おそらく死に対する恐怖に襲われつづけていたのだろう。
「大丈夫。おまえは特命者になんか選ばれていない。少なくとも俺のリストにはおまえの名前はないよ。安心しろよ」
無論、それは真実ではない。西崎の名前はしっかりと特命者リストに、克行のリストのなかさえも載っている。
しかし、あえて克行はそのことを隠すことにした。克行自身、西崎を殺すつもりはなかったし、また、もしそれを伝えたとしても西崎を不安がらせるだけに過ぎない。今の克行に西崎のことを守ってやるほどの力もありはしない。
「……本当か?」
「ああ、おまえは殺されやしないよ。ただ特命者でなくても殺されることはあるんだ。なるべく気をつけろ」
克行は精一杯優しく声をかけた。しかし、西崎の表情は変わらなかった。何か言おうとためらっているのが克行にもわかった。
何だ? 何を言おうとしてる?
それが克行にとって嫌な言葉となるであろうことを彼は予感した。
やめろ! やめるんだ! 口を開くな!
だが、西崎はそれでも口を開いた。
「それなら……それならなぜ俺のあとを付け回すんだ?」
西崎の目は何かにとりつかれたようにギラギラと光って見えた。
「なんだって?」
「おまえは嘘をついているだろう。おまえは俺を殺すつもりなんだ。おまえは殺しを楽しんでいるんだ」
きつく食いしばった歯の隙間から漏れてくるようなその声は克行の怒りをますます高めていった。
それでも克行は最後の理性を振り絞ってその怒りを押さえた。
「俺はおまえを殺すつもりなどない! さあ、もう帰ってくれ」
「それなら拳銃を渡せ! 俺を殺さないと誓うならばその証拠に拳銃をよこせ!」
馬鹿野郎!
ぷつりと心のなかで糸が切れた音が聞こえてきたような気がした。
俺は友人としてはっきりと約束した。それなのにこいつはその俺を信じようとしないのか? こうなったら――
ポケットのなかの拳銃へ手がのびた。そして、それとほぼ同時に西崎の体がテーブルを乗り越え克行へ飛んだ。その右手にキラリと光る物が見えた。
突然のことに克行はそのまま床に押しつぶされたが、しっかりと西崎の右腕だけはなんとか左手一本でささえた。もしその手を放したら西崎の持つナイフは間違いなく克行の喉をかき切るだろう。
こいつははじめから俺を殺すつもりでここへやって来た。友人としてではなく、殺人者として。
歯を食いしばりながら、西崎はそのナイフを懸命に克行の喉へ押しつけようとしていた。その瞳に克行は去年の夜の殺人劇を思い出していた。そうだ、この目はあの男の目だ。こいつは俺の友人なんかじゃない。ただの人殺しだ。
一瞬、その瞳の輝きが自分にもあるのだろうかという考えが頭をよぎったが彼はすぐにその考えを遠くへ追いやった。今考えなければいけないのは自分が生きることだった。
どこだ? 俺の右手は?
西崎は今両手でナイフをしっかりと握っていた。それに対しているのは克行の一本の左手だけ。かろうじてバランスを保つかのように押さえているが、そのナイフはじりじりと確実に降りてきている。冷たいナイフの刃が喉に触れる。克行はバランスを崩さないように、ポケットでゆっくりと休んでいる右手を引き抜いた。右手には彼の最後の切札である黒く頼もしい拳銃があった。
――ほんの簡単な操作で……
人を殺すのに十分の破壊力を持つ拳銃。
西崎はその動きに気づいていなかった。
さあ、どうする? いきなりこいつの目の前に拳銃を突きつけるか? それとも気づかないままにそのいまいましい頭にコードつきの弾丸を撃ち込むか? それとも……
克行はその拳銃を握り直すと、力一杯拳銃の柄で西崎の頭を殴った。克行の左手を押し切ろうとがんばっていた二本の腕から急激に力が失われるのがわかった。克行は続けざまに顎に拳銃を打ちつけた。
「ぐぁ!」
体がぐらりと揺れ、西崎の体が克行から離れた。その手からナイフが転がり落ちた。克行はそのナイフを拾いあげると拳銃を西崎へ向け立ち上がった。情勢は一変した。今、目の前にいるのはただ「死」に脅えている男にすぎなかった。
(どうする? おまえは自分の友人を殺すつもりか?)
一瞬、理性が戻りかけた。だが、彼はそれを再び遠くへ追いやった。
こいつは友人なんかじゃない。俺を殺しにきただけの男だ。
そして、その男は殴られた痛みを耐えつつもゆっくりと顔をあげた。その目にあったのは「死」にたいする恐怖と克行に対する憎しみだった。それが彼を刺激した。
「くそ!」
克行は左手に握ったナイフを一瞬のうちに男の肩に突き刺した。男は恐怖に満ちた表情で大きく口を開けた。だが、男の叫び声は克行には聞こえなかった。一切の音は聞こえなかった。ナイフを引き抜くと鮮血もまたそれと同時に飛び散った。傷は右腕の神経を麻痺させていたが、まだ他の肉体は十分に使うことが出来た。しかしすでに男は恐怖に捕らわれていた。抵抗すらしようとしない。ただ逃げることしか頭になかった。男は克行へ背を向け逃げようとした。
逃がすものか!
これほどまでに自分を挑発し怒らせた男をこのまま帰すつもりなどなかった。ついに克行は拳銃を使った。音は相変わらず聞こえなかったが、引き金を引いた時の感覚と飛び散る鮮やかな血の色が目的を達したことを物語っていた。
男が倒れた時、音が再び克行のもとへ戻ってきた。そして、それと同時に理性もまた彼のもとへ戻った。後に残ったのは友人だった西崎の死体だった。
まだ時計は六時を示していない。




