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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第4部】その腕は禁忌への誘い
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想定外の邂逅


(嘘、だろ……)



 拓也は、そこにいた人物を茫然と見つめた。



 車椅子に乗った女性だ。



 ゆるく波打った黒髪は後ろで一つにまとめられ、まとめきれない分の髪が耳を隠すように下りている。



 微笑ましそうに細められた瞳は、藍色と紺色が混ざったような深い色。



 小さく震える体は華奢(きゃしゃ)で、その肌は白く、少し病的な青さを伴っている。



「ごめんなさいね。あなたの百面相が、見てて面白くて……」



 彼女はそう言って、笑い声を引っ込めた。

 そして、広い中庭を見渡す。



「ここ最近、うんと寒くなったでしょう? だから花たちも元気なくして、人も来なくなっちゃってね……」



 そこまで言うと彼女は拓也を見つめ、嬉しそうな表情で手を合わせた。



「でも、今日はあなたがいて、とても嬉しかったのよ。本当はすぐに声をかけようと思ったのだけど、あなたがあまりにも真剣にそれを読んでるから、邪魔しちゃいけないと思って見るだけにしていたの。そしたら表情がころころ変わっていくから、つい……ね。」



 そんなに面白い顔をしていただろうか。



 集中している時の表情など分からないが、そこまで笑われるようなものではないと思うけど……



 拓也は不可解そうに首を(ひね)る。



 彼女は拓也の反応に気付かないまま、拓也が先ほどまで見つめていた立て札を見下ろして……



「こういうの、好きなの?」



 そう訊ねてきた。



「………っ」



 下から優しい笑顔で覗き込まれて、心臓がどきりと跳ねてしまう。



「あ……いえ…。単なる暇潰しで読んでただけで…。保護者が来ないと家に帰っちゃだめだって医者が言うから、たまたまここに来ただけなんですよね。」



 頬を掻きながら、気まずげに拓也は言う。

 すると―――



「まあ大変! こんな所にいて大丈夫なの!?」



 途端に、女性が顔を真っ青にしてしまった。



 しまった。

 もう少し当たり(さわ)りのない言い回しがあったはずなのに。



「ええっと……ちょっと怪我しただけなんですよ。別に、大したことはないんで。」



 果てにはおろおろし始めてしまった女性に、拓也は慌てて言い(つくろ)う。



「そう…?」

「そうですって。ほら、おれ自身は元気でしょ?」



 心配そうに眉を下げる女性に、拓也は笑みを浮かべてみせる。

 ふとその時、中庭に強い北風が吹き抜けていった。



「……さむ。」



 思わず身を縮こまらせて、拓也は二の腕をさする。



 今は病院から貸し出された薄手の上着を着ているのだが、さすがにこの格好で外に出るのは馬鹿だったかもしれない。



 今さらながらに、寒さが全身に()み渡っていく。



「あらあら…。すっかり冷えちゃってるじゃない。」



 こちらの手を取った彼女は、目を丸くする。



 触れられた彼女の手がやたらと熱く感じるのは、それだけ自分の体が冷えてしまっているということなのだろう。



「あなた、ちょっといらっしゃい。」



 彼女は拓也の手を優しく引っ張りながら、片方の手でちょいちょいと手招きをした。



「え…? なんで……」

「いいから、いらっしゃい。」



 戸惑う拓也に、母親のような口調で言う女性。

 なんとなく逆らえなくなって、拓也はおずおずと身を屈めて女性に視線を合わせる。



 彼女は満足そうににっこりと微笑むと、自分の膝にかかっている膝かけを拓也の肩にそっとかけた。



「え…?」



 戸惑う拓也に構わず、彼女は丁寧な手つきで膝かけを拓也の胸の前で合わせる。



「かけていなさい。風邪を引いてしまうわ。」



 優しい表情で笑みを深めた彼女は、ごく自然な動作で拓也の頭をなでた。



「―――っ!!」



 ドクン、と。

 心臓が大きく鳴る。



 拓也は、目を零れんばかりに開いて女性を見つめた。



 まるで母親のような、慈愛に満ちた表情。

 大切なものに触れるような、慎重で優しい手つき。



 あまりに唐突すぎて、頭が状況についていけなかった。

 今目の前にある現実が、急激に色を失った幻のように見えてくる。



 そんな刹那の幻は、彼女と目が合った瞬間にあっという間に崩れてしまった。



「あっ……ご、ごめんなさいね。私ったら、何をしているのかしら。びっくりさせちゃったわね。」



「いっ、いいえ! 大丈夫です! 本当に、気にしないでください!!」



 慌てて謝る彼女に、拓也も慌てて手を振りながら言う。

 そんな二人の間に、館内放送を知らせるチャイムが響き渡った。



 ノイズ交じりの放送で呼び出されたのは、自分の名前。

 ある意味、救いの呼び出しだった。



「あ……尚希が来たのかな。」



 拓也は呟いて、膝かけに手を伸ばす。



「これ、ありがとうございました。もう大丈夫なので―――」



 膝かけを返そうと思って手をかけたのだが、何故か彼女はこちらの手を押さえてそれを止めた。



 きょとんとする拓也。

 それに対し、彼女は微笑んで首を振った。



「いいの。持っていきなさい。」



「でも……」



「いいの。私なら、いくつも持っているから。さ、早く行ってあげなさい。心配してるわよ、きっと。」



 ぽんと体を押され、拓也は渋々といった様子で女性から離れて、院内へと繋がる自動ドアに向かう。



 そんな拓也の後ろ姿に―――



「じゃあね、拓也君。」



 優しげな彼女の声。



「………っ」



 寂しそうな響きを伴った女性の声に、後ろ髪を引かれるようだった。

 その思いをぐっとこらえ、拓也は女性に向かって一礼してからその場を去った。



 足早に、尚希が待っているだろう受付に向かう。



 できるだけ、今の出来事を思い返さないようにして。

 尚希が待っているということだけを考えるようにして。





 そして―――拓也は、この場で感じた動揺と感情を意識的に胸の奥に封じ込めた。





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