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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第3部】封じられた秘めたる想い
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逸る心と葛藤

 静かに、ドアが開く。

 それは、気配を極限まで殺したような本当に微かな音だ。



 しかし、それよりもさらに静かな空気の中では、どんな微かな音でさえも大きく響いて聞こえてしまう。



 時刻は朝の四時を回ったところ。

 日はまだ昇っておらず、辺りは冷たく()えた静寂と闇に満たされていた。



 しんと張り詰めた空気が、そこにいるだけで自然と緊張感を引き立ててくる。



 そんな空気の中、実は人一人が通れる程度に開いたドアの隙間から、壁一枚が隔てるその先へと体を滑り込ませた。



「……ふぅ。」



 閉めたドアに寄りかかり、細く息を吐く。



 数日前まで毎日のように過ごしていたはずなのに、自分の部屋を見るのがひどく懐かしく思えるのだから不思議だ。



 感慨深い気分もそこそこに、薄暗い部屋の中を迷うことなく進んで目的のクローゼットへ。



 そんな自分の耳に、規則正しい寝息の音が聞こえた。

 無意識に、そちらへと目を向ける。



 ベッドの上では、もう一人の自分が眠っていた。

 今の自分とは正反対の、穏やかな寝顔で。



 実は自分の身代わりである影に近寄ると、無言で手をかざした。



 彼には、もう少し代役を担ってもらう必要がある。

 そのためにも、魔力を十分に供給しておいた方がいいだろう。



 ついでに、拓也たちだけではフォローしきれないであろう、細かい自分の性格や思考をインプットしておく。



 影に対する用が終わると、実はクローゼットを開いててきぱきと身支度を整え始めた。



 これから、どうしてもやらなければいけないことがある。



 拓也たちに散々注意されたので、しばらくは言われたとおりに大人しくしておいたが、それに耐えるのも限界。



 何もせずに休息を取る時間は、自分に苦痛しかもたらさないのだから。



 拓也たちにこの行動を知られれば、再び厳戒態勢を敷かれてしまうのは必至。



 安静にしていたものの、極度の精神疲労の影響か熱がなかなか下がらず、今も本調子ではないのだ。



 正直なところ、動くのも億劫(おっくう)な状態である。



 しかし、体調なんかどうでもいいと思えるくらい、自分の中で荒れ狂う衝動に()かされているのが現状で……





『会いたくはないか? 涼霧桜理に。』





 何度も何度も脳裏に()(だま)して消えない、レティルの言葉。

 それが、自分に休むことすら許してくれないのだ。



『お前が会いたいと望むなら、私がその手助けをしてやろうというのだ。』



 記憶の声は心にねっとりと絡み付いて、自分を一向に離さない。

 まるで、今も常に耳元で(ささや)かれているかのような気分だ。



『気が向いた時で構わない。こちら側に来るといい。その時、私はお前を涼霧桜理の元へと導いてやろう。』



 噛み締めた奥歯が、(きし)んだ音を立てる。



『もっとも、お前の中に〝行かない〟という選択肢はなさそうだがな。』





 ―――ガンッ





 乱暴な音が静寂を破る。

 実の拳がクローゼットの扉に打ち込まれた音だった。



「くそ…っ」



 実の表情が、様々な感情に彩られて険しく歪む。



 何もかも知っているかのようなレティルの口調が、(しゃく)(さわ)って仕方ない。

 彼の誘いに乗って動いていることが悔しい。

 そして、レティルの言葉を覆せないことが、どうしようもなく情けない。



 自力で桜理を捜すと言い切れたら、どんなに楽だっただろう。



 けれども、あの時の自分には桜理を捜す有力な手がかりもなければ、レティルの手を振り払うだけの余裕もなかった。



 何よりも―――桜理に会いたいと願う気持ちが、レティルを拒むことを許さなかった。



 桜理がさらわれてから、この世界でもあの世界でも何年も過ぎた。

 今さら彼女を捜したところで、どれくらいの時間がかかることか。



 それに……もし、彼女がすでにこの世を去っていたら。



 そんなことばかり考えて、この罪悪感には耐えるしかないんだと思っていた。

 そんな時に、桜理に会える可能性を突きつけられたのだ。

 それを拒むことなど、どうしてできようか。



 闇雲に彼女を捜すよりも、レティルの情報に頼った方が確実性は高い。

 しかも、彼が自信満々でああ言ったということは、桜理は確実に生きているのだ。



 ならば、何を躊躇(ためら)う?

 そもそも、躊躇う資格が自分にあるとでも?



 桜理に会いたいのなら、どれだけ不本意でも確実なものにすがるべきだ。

 今回は、すがるべき情報源がたまたまレティルだっただけ。



 冷静な理性はそう分析して、この現実に納得しようとしている。

 けれど、胸の中には激しい怒りと悔しさがくすぶったままで……



 割り切ってしまえば、一気に楽になるのは分かる。

 でも、理性じゃ割り切れない心が悲鳴をあげている。



 ―――この言葉に従ってしまえば、運命から(のが)れられなくなるのではないか。



 そんな危機感が、脳裏を埋め尽くす。



 桜理に会いたい。

 しかし、彼女に会ってしまえば、自分は心をもあの世界に(とら)われてしまう。



 桜理を地球に連れ帰ることもできるだろうが、自分以外の人間が彼女を忘れてしまったこの世界で、果たしてそれが現実的かどうか。



 考えれば考えるほど、複雑な気持ちが広がる。



 どれだけ逃げても、どんなに拒絶して別の道を模索しても、定められた運命はどこまでもついてくるようで。



 運命からは、絶対に逃げられない気がして―――



「………」



 実は固く口を引き結んだまま、未だにクローゼットに打ち込まれている拳を見つめた。



 ―――本当に、桜理に会いに行くの?



 怯えた心が、そう問いかけてくる。

 だけど……



(もう、今さらだよ。)



 何度考えたって、自分が取るべき行動は変わらない。

 そうとしか思えない理由が、自分の手元にある。



(桜理のことからは、結局逃げられてないんだもん……)



 クローゼットにかかっていた制服のとある一点をなでて、実は泣きそうな顔で目元を歪めた。



 どこか諦めに似た気持ちになりながら、ふと目に入ったカーテンを少しめくる。



 夜明けが近いのか、遠くの空がわずかに白んでいる。

 そして、窓の外には相も変わらず桜の花びらが舞っていた。



「桜理……」



 彼女に会えば、何かしらの答えが得られるだろうか。

 自分でも出口を見出だせないこの葛藤(かっとう)に、決着をつけられるだろうか。



「もう、行かなくちゃ……」



 ぽつりと呟いて、実は部屋を後にした。



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