〝出して〟
苦しげにもがいていた獅子が、ふいに薄目を開ける。
間もなく命を終えるはずの獅子が―――にっと、笑った気がした。
「!?」
微かな動揺で魔法が乱れる。
その隙を見逃さず、獅子が咆哮をあげた。
空気を切り裂くような咆哮に魔法が壊されてしまい、魔力を放っていた手の辺りで火花が弾ける。
「くっ…」
思わず手を押さえる実。
「やっぱ……なんか、細工があるんだな。」
目の前には、魔法から解放された獅子がいる。
しかし、その様子は先ほどまでとは少しだけ違っていた。
建物と同じくらいだったはずの獅子は、今は普通に見られる獅子の大きさまでその姿を小さくしていた。
そして、半透明だったはずの体がほんの少しだけ白く色づいているように見える。
(なんだ、こいつ…?)
膨れ上がる警戒心。
それは自分の表層的な意識からではなく、もっとずっと深い所から訴えられているものだった。
―――――出して。
「―――っ!!」
胸の奥で、何かがのそりと鎌首をもたげる感覚。
「何してるんだ、避けろ!」
突如鼓膜を叩いた拓也の声で考えるよりも先に体が動いたが、一足遅かった。
コマ送りのように流れる景色の中、明らかに今までよりもスピードを増した獅子の獰猛な牙が、確実に自分の左腕を捉えているのが分かる。
しかし、覚悟していた痛みも衝撃もなかった。
あったのは、腕に風でもすり抜けていった感覚だけ。
獅子は半透明な体のまま、こちらの腕を傷つけることなく通り抜けていっただけだったのだ。
ついさっきまで、物理的に街を傷つけることができていたはずなのに……
そんな違和感を抱いていると―――急に、全身から力が抜けた。
「えっ…!?」
突然のことについていけず、実は跳躍した勢いのまま地面に激しく叩きつけられる。
「何……これ…っ」
すぐには立ち上がることができず、実は片膝をついた状態で呻いた。
一気に体の重さが増した。
まるで、何時間も休まずに魔法を繰り出し続けていたかのような疲労感。
泥の中にでも身を沈めているかのようだ。
鉛みたいに重たい頭を上げて獅子を見た実は、今度は疑いではなく、明らかな驚愕をその顔に浮かべることになった。
誰の目からも明らかなほどに、獅子の体は白く色づいていたのだ。
そして、全身を震わせる獅子からは、先ほどまで見えていたはずの疲労が綺麗さっぱり消えていた。
「こいつ……まさか……」
急速に組み上がっていく仮説。
それに、ざっと全身から血の気が引いていく。
「実!」
拓也の声がして、後ろから気配が近付いてくる。
「………っ!!」
実は大きく目を見開いて息を飲んだ。
見てしまった。
拓也の声がしたその瞬間、獅子がにやりと口の端を吊り上げたのを。
たったそれだけのことで、今後の展開が読めてしまった。
「だめだ、来るな…っ。拓也、逃げて!!」
背後を振り返った実は、全身全霊で叫ぶ。
その隣を、電光石火の勢いで獅子が通り抜けていった。
実ではなくこちらに向かってきた獅子に驚いた拓也は、もう身についた習慣からか、手を一閃させて自分の周囲に結界を張った。
「―――っ!!」
その光景を見た実は、音にならない絶叫をあげる。
「違う! とにかく逃げて! ―――そいつに、魔法はだめだ!!」
その悲痛な叫びが届くよりも先に、獅子の牙が拓也の結界を直撃した。
結界に牙を立てた状態で、獅子が肉を引きちぎるかのように首を回す。
すると、結界がまるで薄いビニールのように破れてしまった。
拓也に驚く隙すら与えず、獅子は拓也の体に突進する。
その体は実の時と同じように、拓也の体を傷つけることなくすり抜けていくだけ。
しかし、獅子が通り抜けていった直後、拓也の体が足の支えをなくして傾いでいく。
「拓也!!」
尚希と実の悲鳴が重なる。
実は未だに力が入らない足を叱咤して立ち上がり、意地で体を動かして拓也の元へと走る。
「おい、拓也! しっかりしろ!!」
慌てて駆け寄ってきた尚希の腕の中で拓也はぐったりとしていたが、その呼吸はまだしっかりとしている。
それにほっとしつつ、実は離れた位置でこちらの様子を窺っている獅子を睨んだ。
獅子はその口に、紺碧色に発光する球体をくわえていた。
それに顔を青ざめさせる実と、まるで見せつけるかのように球体を飲み込む獅子。
「うっ…っ」
途端に拓也が押し殺した呻き声をあげ、獅子の体が一層白さを増した。
実はそれで、自分の仮説が真実そのものなのだと思い知らされる。
「やっぱり、こいつ……他人の魔力を使って動いてるのか。」
実の出した結論に、尚希が目を剥いた。
だが生憎と、悠長に驚いている時間はない。
実は自分の手を見下ろし、ナイフで傷つけた人差し指を思い切り噛んだ。
鋭い痛みと共に傷口が開き、瞬く間に血があふれ出す。
「拓也、ちょっと待ってて。」
実は拓也の顎を捕らえて頭を上向かせる。
薄く開いた口に自分の人差し指をねじ込み、その口腔に血を垂らした。
拓也は血の味に顔をしかめていたが、実は拓也が血を飲み込むまで指を抜かなかった。
しばらく粘っていると、拓也の喉が嚥下するように動く。
それに実がほっとして指を離そうとすると、その手を拓也がしっかりと捕まえた。
「実……何をしたんだ?」
拓也の顔色は、先ほどより幾分もよくなっていた。
「俺は今、血を介して守護獣たちに力を供給してるんだ。だから、今なら俺の血を含むことで拓也にも俺の魔力が供給される。」
端的に説明すると、拓也の表情に動揺が走った。
「馬鹿! そんなことしたら、実が―――」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
たまらず怒鳴っていた。
今の拓也は、他人の心配をしている状況ではないはずだ。
表情を険しくしたまま、実は告げる。
「拓也。拓也があいつに奪られたの―――力の核だよね? このままじゃ、死ぬのは俺じゃない。拓也なんだよ?」




