神という存在は……
「ごめんなさい……ごめんなさい…っ」
両手で顔を覆い、詩織は泣き崩れてしまう。
「私のせいで、あなたにもエリオスにも、苦しい思いばかりさせて……」
「詩織さん……」
すぐには、何かを言うことができなかった。
ずっと傍にいてくれた彼女が、世界を滅亡させるきっかけの一端となった人物だったなんて。
反射的に否定したい気持ちになりながらも、その裏で悟ってしまった自分がいる。
今目の前で震えている彼女から感じる魔力。
それは確かに、自分の中にも存在する力と同じもの。
自分と彼女が同じ力を宿しているという事実に辻褄を合わせるならば、彼女の話を事実として受け止めるしかないのだ。
「本当にごめんなさい……」
詩織は、壊れた機械のように懺悔を繰り返すだけ。
実はそれを、なんとも言えない気持ちで聞き続けるしかなかった。
「ごめんなさい…。それと、お願い。―――私から、今すぐに逃げて。」
「え…?」
ふいにそんなことを告げられ、実は目を丸くする。
「ど、どうして……」
無意識のうちにそう言ってしまったのは、自分が一人になりたくなかったからだと思う。
詩織がどんな存在だったにせよ、これまでずっと自分の傍にいてくれた彼女と離れたくない。
不安で凍えそうな心が、そう叫んでいるのが分かった。
戸惑う実に、詩織はふるふると首を横に振る。
「だめなの。あなたを追ってこの世界に戻ってきてから……あなたと過ごしてきた記憶や、今までの感情が……どんどん薄らいでいくの。」
「―――っ!!」
詩織の言葉に、実はハッとして息を飲む。
(まさか……抑止力が……)
彼女の身に何が起こっているのかは、世界の真理を知り尽くした今となっては明らかだ。
一度はディライトに力を与えながらも、それを悔やんで彼や〝鍵〟を殺してでもその力を回収しようとしたこと。
それは少なからず、彼女自身がそう思ったからというのもあるだろう。
しかし、その大部分は抑止力に意識を矯正された結果だ。
そして、とっさの感情で地球に逃れた彼女は、次元を超えたことで一時的に抑止力の影響を受けなくなった。
それ故に自分という存在の歪みに気付いて苦悩してきたのに、この世界に戻ってきた今、再び抑止力によってその存在を正されようとしている。
記憶も苦悩も書き換えられて、世界にとって都合よく動くようにされようとしているのだ。
「次に会った時の私は……きっともう、あなたが知っている私じゃない。あなたに、残酷な選択を突きつけるだけの存在になってしまう。そうしたら……優しいあなたはきっと、私に裏切られたと傷ついて、それでも私の言葉を真に受けて悩んでしまう。そうでしょう…?」
「………」
否定はできない。
彼女が注いでくれた愛情が本物だと知っている自分は、裏切られたからといって、彼女の言葉を頭ごなしには拒絶できないだろう。
こちらの無言を肯定と受け取ったのか、詩織はさらに言葉を連ねる。
「あなたにそんな悲しい思いをさせる前に、今の私のまま消えようとしたけれど……現実は非情ね。私は……自分の意志で、死ぬこともできないの。」
その言葉にも、何も返すことができなかった。
神が消える可能性としてあり得るのは、何かしらの事故か、レティルが終焉の力を使って存在を滅した時。
確か、ウォルノンドがそう語っていたか。
詩織の話を加味すると、その事故に自殺は含まれないようだ。
また一つ、神という存在の仕組みが見えてくる。
「お願い、これだけは覚えていて。次に会った時の私があなたに何を言ったとしても、真剣に取り合っちゃだめよ。ただの戯言だと切り捨てて、どうか傷つかないで。エリオスのように、神は皆敵だと憎んでちょうだい。あなたと過ごしてきた私は、あなたに何かを強要するつもりはないの。世界なんてどうでもいい。あなたはあなたのために、あなたが幸せになれる道を選べばいいの。だから…っ」
そこまでが、詩織の限界だったのだろう。
その後の彼女は、先ほどと同じように独り言のような懺悔を繰り返すだけになってしまった。
本当は、自分が後始末をつけなければいけない問題なのに。
どうして、優しいあなたに全てがのしかかってしまうのか。
自分はどうして、何事にも〝きっかけ〟を与えてやることしかできないのか。
彼女の嘆きは、自分が次元の狭間で初めて創造の力を使った時に思ったことと同じだった。
世界が何を目的として、それぞれの神に特定の権限しか与えなかったのか。
それは分からない。
だが、レティルや詩織の苦悩を思うと、切なくて胸が潰れそうになる。
そして、こう思うのだ。
神という生き物は、なんて憐れな存在なのだろうと。
彼らが求められていることは、ただ与えられた役割に従って世界のバランスを保ち続けるだけ。
そこに、彼ら自身の意思など不要なのだ。
彼らには〝誰かを助けたい〟という、そんなささやかな願いを抱くことすらも許されないのか。
自分を生み出した世界という親に対して、自我を持って意見することも敵わないのか。
それこそ救いがない。
まさに、レティルが言っていたとおり。
神という存在は、抑止力という糸に囚われた操り人形だ。
それを身をもって痛感すると同時に、怒りとも悔しさともつかない感情で体が震えた。
世界とは、なんと傲慢な存在だろうか。
確かに、世界という土台がなければ生き物たちは生きていけない。
だから世界が一番偉いのだと言うのなら、それは一つの真実だろう。
そこは否定しない。
だが、自身が生き続けるためならば、そこで紡がれる数多の想いは全部切り捨てていいというのか。
泣き伏している詩織のように、己の歪みに気付いて嘆いた命が、これまでにどれだけあっただろう。
そうして誰にも気付かれることなく消えていった想いが、どれだけあったのだろう。
それを思うと、レティルがあんな手段に訴えたのも仕方なく思えてくる。
今までの自分が、ただ操られているだけだったと知って。
そう気付いたことで得られた自我も、強制的に消されそうになって。
自分ではこの呪いに抗えないと悟った彼は、誰かに自分の想いを受け継いでほしかったのかもしれない。
自分は確かにここにいたんだと、誰かに覚えていてほしかったのかもしれない。
それがきっと、彼が本当に望んだこと。
どんな非道な手段を取ってでも、何を犠牲にしてでも叶えたかった、最初で最後の願い―――
(そっか…。そうだったんだ……)
そこまで思い至った瞬間、荒れ狂っていた激情がすっと凪いだ。
「ねえ、詩織さん……」
小さく震える体に、そっと手を伸ばす。
ずっと触れることを躊躇っていたその肩に、優しく手を置く。
自分に応えて顔を上げた詩織の瞳をまっすぐに見つめ、実はこう口にした。
「俺に、全てを委ねてくれないかな?」
<第6章 もう一つの物語>END 次章へ続く…




