実が懐いてくれるのは……
「……実様……実様?」
「ん…」
ハエルの呼び声がして、顔を上げる。
どうも意識がはっきりしない。
体と瞼が、ずんと重たかった。
実は、動かすのも億劫な手で目頭をこする。
「あれ……もしかして、寝てた?」
「ええ、死んだようにぐっすりと。なかなかお返事をしないので、本当に死んでるんじゃないかと思いましたよ。」
「そんな大袈裟な。」
苦笑すると、途端にハエルの赤い瞳にぎろりと睨まれてしまった。
底光りするその鋭い視線に、思わず少しだけたじろいでしまう。
(おお、怖い怖い。)
そんな感想を心の中だけで呟いていると、ドスの利いた声が脳内に響いてきた。
「大袈裟? どこがです? 行動が行動ですから、十分にありえるでしょう。」
「はいはい、悪うございました。」
「そんな上辺だけの謝罪なんていりません。少しでも悪いと思うのなら、もう少しご自分の体を労わってください。心配する方の身にもなってくださいよ。」
「もー…。そこまで言うなら、なんで俺を西の森まで連れてってくれたのさ。」
ハエルの小言にうんざりとして、実はしかめっ面でそう訊ねる。
「そんなの、決まってるでしょう。」
ハエルはふんと鼻を鳴らすと……
「見張りです。」
力強くそう言った。
「へ?」
予想外の回答だったので、実は目を丸くしてそんな間の抜けた声をあげた。
そんな実に、ハエルは本日幾度目かも分からない溜め息を吐き出す。
「仮に私が協力しないと言ったら、実様はお一人でもやりたいことをやりますよね?」
「うん、多分……」
「ならば、私の目的は見張り以外の何ものでもありません。あなたを一人で暴走させると、自滅コースまっしぐらですからね。いつでも力ずくで連れ帰る用意はしてるんですよ、私は。エリオス様からも、実様のことを頼むと申しつかっていますしね。」
「うわぁ…。信用ないなぁ、俺。」
「私の態度を変えたいなら、ご自分の行動で訴えてください。それに、実様は何も信じないのでしょう? それなのに、他人に信用を求めるのですか?」
途端に背後から伝わる、実が大きく目を見開いて息を飲む気配。
それを感じて、ハエルは自分の失言に気がついた。
心配が余ってつい口をついて出てしまったが、これはさすがに言いすぎだ。
埋め合わせの言葉を探すハエルだったが、それよりも前に息を吐いた実が脱力してもたれかかってきた。
「……そっか。そうだよね…。俺が相手を信じられないんだから、相手も俺を信用できないよね。だから、俺を殺そうとする奴らがいる。当然のことだよね。」
一人で納得してしまう実。
違う、と。
ハエルはそう思った。
本当は知っているくせに。
ついさっき同じ口で、拓也たちが自分を信じてくれているのが苦しいと言ったではないか。
それでもそう思い込みたいのは、そうすることで自分を守りたいからで……
(可哀想なお方だ……)
ハエルは目を伏せる。
イリヤたちは、実に関して大まかな事情しか知らない。
しかし、自分は実のことについて事細かにエリオスの口から聞いていた。
『この世界に戻ってきた実は、きっと人間ではない君に一番心を許すだろうから。』
あの時のエリオスが、どうしてそんなことを言ったのか。
今なら、その理由が痛いほど分かる。
偶然にもこの街で血縁の存在を知った実は、エリオスが言ったとおり真っ先に自分に懐いてきた。
先ほどの血を吐くような本音の吐露ができるも、こうして素直にすがりついてこられるのも、自分が人間ではないからなのだろう。
それほどまでに、実は人間という生き物が信じられないのだ。
人間に生まれながら人間から弾かれた存在とは難儀なものだ。
いっそ人間の温かさなど知ることがなければ、こうして自己嫌悪や罪悪感で苦しむこともなかっただろうに。
「本当に……放っておけない方ですよ。」
「ん…? なんか言った?」
独り言が聞こえてしまったらしく、実が首を傾げる。
ハエルはそれに首を振った。
「いいえ、何も。ほら、もう屋敷に着きますよ。」
言いながら、ハエルはこの街で一番大きな屋敷を囲う塀の上に着地する。
瞬間、実が背筋をきちんと伸ばした。
ハエルはそのまま空中を駆け、開け放たれた窓から実の部屋へと入る。
中の様子を見て、ハエルは先ほどの実の行動の意味を悟るのだった。
「おかえり。」




