第 1 部:白銀の国と気高き女王
プロローグ
水を生む国、氷を抱く国、そして情熱の火を灯す国。三つの国はそれぞれの恵みを分かち合い、長い均衡を保っていた。
──あの炎が、すべてを呑み込もうとするまでは。
第1部:白銀の国と気高き女王
ここは氷の国。一年の半分以上が真っ白な雪に覆われる国で、季節なんて言えるのは「春」と「冬」のふたつくらいしかない。
寒いのは嫌いじゃない。僕のふさふさした毛並みにはちょうどいいし、何よりこの街の匂いはいつも澄んでいて、どこか優しくて甘いんだ。
雪がしんしんと降り積もる城下町を、今日もスイが歩いている。スイは氷の国の女王様。だけど、城の奥深くにじっと閉じこもっているようなタイプじゃない。頭に重たそうな王冠をのせる代わりに、国民と同じ温かい服を着て、自分の足で街を歩く。
「スイ姉さま! 次はいつ僕たちと遊んでくれるの?」
「スイ様! うちの新作の温かいスープ、ぜひお召し上がりになってください!」
街を歩けば、どこからでも声がかかる。子供たちはスイの服の裾を引っ張るし、レストランの店長さんはできたての料理を湯気ごと差し出してくる。スイはそのひとつひとつに屈んで目線を合わせ、すっごく柔らかい笑顔で答えるんだ。
……あ、ちなみに! スイだけじゃなくて、実は僕も街では大人気なんだよ。
「スノウ! 今日も乗せてー!」
「僕も! 順番こね!」
街の子供たちがわっと群がってくると、僕は「よーし、しっかり掴まってなよ!」って言って、大きな背中に二人くらい乗せてあげて積雪の上を駆け抜けるんだ。フサフサの毛に顔をうずめて嬉しそうに笑う子供たちの声を聞くのは、僕にとっても大好きな時間。スイもその光景を横で優しく見守りながら、「スノウ、振り落とさないように気をつけてね」なんて笑ってる。
スイが前国王のパパからこの国を引き継いだのは、たった15歳のとき。隠居したパパから国の運営を任されたスイは、女王になってすぐに、びっくりするようなことを言い出した。
『移動するときの護衛も、料理の毒見も、ぜんぶ無しにします』
家臣たちは大慌てで止めたらしい。だけどスイは、凛とした声でこう言ったんだ。
『もしこの国の中で私の命を狙う者がいるとしたら、それは私の政治が間違っているからです。原因はすべて私にあります』
若いのに、めちゃくちゃカッコいいでしょ? 自分の国と民を、それだけ信じてるんだ。でも、さすがに丸腰すぎるって心配したパパが、護衛じゃなくて「パートナー」としてスイの隣に置いたのが、シベリアンハスキーの僕。
僕はただの犬じゃない。人間の言葉もちゃんとわかるし喋れる。スイが無理をしすぎていないか一番近くで見守るのが、僕のたいせつな役目なんだ。
スイは若くたって、国民のために毎日精力的に働いている。この氷の国には、他のどこにもない特別な宝物があるんだ。それが、北の山から採れる『氷晶石』。
ただの氷じゃないよ。どんなに激しい炎で炙っても、絶対に溶けない不思議な氷なんだ。「じゃあ使い終わったらどうするの?」って思うよね?
これが面白くて、要らなくなったらお水の中にぽちゃんって点けるだけで、すーっと綺麗に溶けてなくなっちゃう。ゴミにもならない、世界で一番やさしい氷なんだよ。
僕たちの国はこの氷晶石を、隣の「火の国」や「水の国」に分け与えている。火の国の信じられないような灼熱の夏も、氷晶石があれば涼しく快適に過ごせる。水の国のとれたての野菜や魚も、氷晶石で冷やせば、遠い僕たちの国まで腐らずに新鮮なまま届くんだ。
雪に覆われた厳しい真冬でも、僕たちが美味しい果物を食べられるのはそのおかげ。逆に、僕たちの城にある昇降機や街の暖房は、火の国から届く『黒炎石』っていう真っ黒な石炭を使った蒸気機関で動いている。
冷たさと、温かさと、豊かさ。そうやって三つの国は、お互いに足りないものを補い合いながら、絶妙なバランスで平和を保っていたんだ。
……少なくとも、あの男がやってくるまでは。
そんな平和だった僕たちの国に、おかしな知らせが届いたのは一ヶ月ほど前のことだった。火の国からの使者が持ってきた手紙には、信じられないような言葉が書かれていたんだ。
『火の国と水の国は、平和的に併合することとなりました』
手紙の最後には、火の国の王ヴァルガと、水の国の王アレンのサイン。そして「後日、氷の国へも挨拶に伺う」という不自然な一文。
水の国といえば、僕たちの国とは違って春・夏・秋・冬の「四季」があって、美しい自然と綺麗な水に囲まれた国だ。お肉も魚も、甘い果物も野菜も穀物も、なんでも豊かに実る。だから三国の誰もが、あの国のことを『三国の台所』って呼んでいる。
水の国の王様アレンは、すごく優しい平和主義者だ。自衛のための兵隊さんはいるけれど、他国を襲うような人じゃない。だから、軍国主義で争いごとが大好きなヴァルガとは、考え方が真反対なんだ。
アレンは今年29歳で、誰にでも気さくで友好的。まだ15歳で女王になったばかりのスイにも、色々と親身になって協力してくれた。スイはアレンのことを本当のお兄ちゃんみたいに信頼しているし、僕にもいつも優しく撫でてくれるから大好きだ。氷の国の女の子たちにもファンがいっぱいいるんだよ。
……で、問題はもう一方。火の国の王、ヴァルガだ。先に言っておくけど、僕はこいつが昔から大っ嫌いだ!
50歳ぐらいのおっさんで、本当の歳はよく知らないし興味もない。国民の気持ちなんて無視の完全な軍国主義者。自分の領土を広げることばっかり考えて近隣に戦争を仕掛けてるし、「自分が世界で一番強い」って本気で思い込んでる。自国の『黒炎石』が世界一の資源だと信じて疑わないし、人と話すときは絶対にマウントをとって他国を見下す。その上、スイのことも変な目で見つめてくるんだ。……ね? 嫌いなところしか思い浮かばないでしょ?
えっ? ヴァルガにもファンはいるのかって? うーん……僕の知る限りだと、あのおっさんを「かっこいい」なんて言ってるのは、街のタバコ屋のおばあちゃんくらいじゃないかなぁ。
「スイ、僕あいつのこと大嫌いだよ」
前にそう言ったとき、スイは困ったように微笑みながら僕の頭を撫でてくれた。
「スノウ、あなたの気持ちもわかるけれど、そんなこと言わないの。あれでも火の国の王様なんだから、うまく付き合っていかないといけないのよ」
僕には難しい政治のことはよくわからない。人間って大変なんだな、って思う。裏でヴァルガが何を企んでいるのか……でも、僕の「嫌な予感」は、最悪な形で当たることになっちゃったんだ。
ある日、ヴァルガが火の国のいかつい兵士たちを引き連れて、スイのもとへ乗り込んできた。
「これはこれは、氷の国のスイ姫。今日もお美しい」
「……そういうお世辞は結構です。見たところおひとりのようですが、アレン殿は一緒ではないのですか?」
急すぎる不自然な訪問に、スイはキッと強い目線を向けて皮肉を込めて尋ねた。けど、ヴァルガはへらへらしながら、のらりくらりと真実をごまかす。
「アレン殿とあなたでは、思想も国家運営の方針も一致するとは思えませんが」
「お互いの国の繁栄のためですよ。国の繁栄こそが、国民の幸せなのです」
(軍国主義者のお前がよく言うぜ……!)って、僕は足元で低く唸りながら心の中で毒づいた。
「ではなぜ、そのような大事な報告なのにあなたお一人なのですか? アレン殿は何をされているのですか?」
「まあ、細かいことはどうでもよいではありませんか」
「よくありません! 他国に対しては二人の王が揃って共同宣言するのが筋というものでしょう!」
問い詰めるスイに対し、ヴァルガはニヤニヤしながら話題をすり替えてきた。
「そういえば……スイ姫は、結婚するおつもりはないのかな?」
「……国民を守り、国民の幸せを実現することが私の使命です」
「おやおや、強がりはおやめなさい。なんなら私の『妻』として迎え入れてあげてもいいのですぞ? 富を分かち合い、豊かにすることこそが国民の幸せとは思われませんかな?」
げっ……!! 僕は犬だけど、全身の毛穴が逆立つくらいゾッとした。いい歳したおっさんが何を言ってるんだ!?
アレンならまだしも、お前だけは絶対にあり得ない! このロリコン親父!!
「いい加減にしてください! 代表として来られたのかもしれませんが、あなたとお話しすることは何もありません。どうぞお引き取りください!」
「……本当にいいのですかな? この私の誘いを断るとでも?」
「お引き取りください!」
スイが毅然と言い放った瞬間、ヴァルガの目がギラリと光った。
「手荒な真似はしたくないのですがね……」
ヴァルガの合図とともに、連れてきた火の国の兵士たちが一斉に剣を抜き、スイをぐるりと取り囲んだ。
「なんの真似ですか!?」
氷の国の警備兵たちも慌てて剣を抜こうとしたけれど、数々の戦場を潜り抜けてきた火の国の兵士たちが放つ殺気に気押され、一歩も前に出ることができない。城内が一瞬で凍りついた。
「おやめなさい。城が血で染まりますぞ?」
ヴァルガの余裕ぶった声を聞いたとき、僕はもう我慢の限界だった。気づいた時には身体が勝手に動いていた。スイを取り囲んでいた4人の兵士に飛びかかり、鋭い爪と体当たりで一瞬で蹴散らしていたんだ!
「スイ! 今のうちに逃げて! ここは僕がなんとかする!」
「ダメよスノウ! みんな殺されてしまうわ!」
「ほう……たかが犬一匹に、何ができるというのかね?」
ヴァルガは慌てる素振りすら見せず、くっくと鼻で笑った。
「スイ姫、飼い犬の躾もできないようでは、我が妻は務まりませんぞ」
「僕をただの犬と思ってもらっちゃ困る!!」
僕はヴァルガに向かって威嚇の声をあげた。先代の王様が、スイを守るために僕を選んでくれたんだ。スイを守るために、僕は今日まで特別な訓練を積んできたんだ!
ヴァルガが大きな赤黒い剣を引き抜く。あの剣で斬られたらひとたまりもない。
(とにかく攻撃をかわして、相手をバテさせるんだ……!)
案の定、ヴァルガの振り下ろす剣は大振りだった。
「当たらないなら、どうということはない!」
僕は持ち前の素早さで必死に攻撃をかわし、相手の隙を伺った。
「ほう……ただの犬ではないようだな」
ヴァルガの目が冷たく細められた、次の瞬間──僕は信じられないものを目にすることになる。
「我! ……最強なり!!!!」
ヴァルガが地鳴りのような咆哮を上げると、周囲の空気が一変した。黒かった髪が燃え上がる炎のように赤く逆立ち、両目が血のように赤く光りだす。
覚醒したんだ!
さっきまで大振りだった太刀筋が、目にも留まらない信じられないスピードに変わる!
(こいつ……ヤバい……!!)
直感した時には、もう遅かった。かろうじて避けたと思ったはずの太刀筋が、僕の肩を深く切り裂いていた。鋭い痛みが走り、赤い血が床の上に飛び散る。
「スノウー! 私のパートナーを傷つけないで!」
スイが悲鳴を上げて、倒れかけた僕の前に庇うように立ちふさがった。
「スイ……ダメだ……逃げて……!」
「もういいの、スノウ。あなたやみんなを、これ以上傷つけさせたりはしない……!」
スイは涙をこらえながら、ヴァルガを凛と見据えた。
「ヴァルガ殿……もうおやめください。……あなたに従います」
ヴァルガはふっと息を吐き、赤い光を収めて元の姿に戻った。
「ほほう、わかってくれましたか、スイ姫。では私と一緒に、我が国へ参りましょうぞ」
「スイ……ダメだ……っ……」
血が止まらない。視界がぐにゃりと歪んで、だんだん意識が遠のいていく。スイの手の温もりを感じながら……そこで僕の意識は、ぷつりと途絶えてしまった。
──城の外は、大変な騒ぎになっていたらしい。
警備兵たちは火の国の力で口止めされ、身動きが取れない。街の人々は、なぜかヴァルガたちと一緒に城を出ていこうとするスイの姿を、不思議そうに見つめていた。
異変に気づいた子供たちが、スイのもとへ駆け寄っていく。
「スイ姉さま! どこへ行くの? スノウは?」
スイは溢れそうになる涙を必死でこらえ、いつもの優しい笑顔を作って屈み込んだ。
「スノウはね、ちょっとお怪我をしちゃったからお留守番なの。……すぐに帰ってくるから、みんなも良い子にしているのよ?」
「うん! スイ姉さま、早く帰ってきてね!」
何も知らない子供たちは、無邪気に手を振った。スイは小さく頷くのが精いっぱいだった。
けれど、街の大人たちは違った。スイの悲しそうな表情を見て、彼女が「もう二度と帰ってこられないかもしれない」ということに薄々気づいていたんだ。
「待て!! スイ様をどこへ連れて行く気だ!」
肉屋のおじさんが怒りに震えながら包丁を持ち出し、火の国の兵士たちの前に立ちはだかった。だけど、スイは彼に向かって、静かに首を横に振ったんだ。これ以上、自分のために大好きな民が傷つくのを見たくなかったから。
肉屋のおじさんは悔しそうに拳を握りしめ、力なく道をあけた……。
こうして、愛するスイは、冷酷な火の国の王ヴァルガの手によって連れ去られてしまったんだ。
(第1部・完)




