【プロローグ:神、ブラック労働にキレて現場に降りる】
「吾輩は神である。名前は……えーと、
この物語が始まったらつける予定だ。
今はまだ、便宜上『神様(仮)』とでも呼んでおいてくれ」
白い雲の上、全知全能の特等席。
最高級の革張りソファだが、周囲には下界から取り寄せた
供物のスナック菓子が散乱している。
私はそこで、世界の一つや二つ吹き飛ばしそうな
勢いで、盛大な溜め息をついた。
この「吾輩は〜」というフレーズ。
確か別の神が管理している並行世界の、
近代文学にあったような気がする。
一時期、神仲間との飲み会で、
「吾輩は神であるが、昨日は二日酔いで
太陽を西から昇らせそうになった」
なんて名乗るのが妙に流行ったっけな。
だが、今の私にはそんな冗談を飛ばす余裕など、
微塵も残っていない。
「……また出たよ。おい、ルナリエ」
「はい、お呼びでしょうか、神様(仮)」
月のように静謐な美しさを湛えた秘書、
ルナリエが音もなく現れる。
彼女の銀髪は夜空のような深い青のリボンで結ばれ、
その手にはいつもの「絶望の報告書」が握られていた。
「魔王だよ。第666代目だ。
おい、先代が倒されてからまだ三日だぞ?
どうなってるんだ、この世界の出現周期は!
期間限定のタイムセールじゃないんだぞ!」
「はい。先代魔王を倒したばかりの勇者一行は、
今ごろ王都で凱旋パレードの真っ最中ですね」
ルナリエは淡々と、残酷な事実を告げる。
「紙吹雪の中、新しい魔王の出現を知らせる
『信託』を受け取った彼らの、あの世の終わり
みたいな顔……神様、モニターで見ますか?
絶望が煮詰まっていて、最高にいい表情ですよ」
「悪趣味なこと言うな! 勇者が過労死したら
私の管理責任が問われるんだぞ!
やってられっかぁぁぁ!!」
私は愛用の神デスクを粉砕せんばかりに叩いた。
本来、この世界は中世風の街並みに、
魔法がちょっぴりスパイスとして存在する、
長閑で平和な箱庭のはずだった。
それなのに、どういうわけか私が望んでもいない
「魔物」や「魔族」、果てには「魔王」という
物騒なバグが、湿気の多い場所に生えるカビのごとく、
次から次へと湧き出てくる。
「何なんだよ一体! 私はスローライフが見たかった。
勇者が祝杯を飲み干す前に次を派遣するなんて、
もはやブラック企業のシフト表じゃないか!
そもそも、三日前に世界を救ったばかりの奴らに、
また『行ってこい』なんて言えるか!
嫌われて神殿に石を投げられたらどうするんだ!」
「ですが、神様。放っておけば、あの魔王とやらは
一週間で大陸の半分を焦土に変えます。
……あ、既に別の候補者に『お前が新勇者だ』と
無理やり信託を送っておきました。
今ごろ、ただの村人だった若者が、
ひのきのぼうを握らされて震えていますよ」
「仕事が早すぎるよルナリエ!
そんなレベル1の素人が、パレード中の
ベテラン勇者を差し置いて何ができるんだ!
結局、私がモニターにかじりついて、
彼らが死なないように24時間監視しなきゃ
ならんのだぞ!」
これが、私の日常だ。
魔王が出るたびに、私は下界の誰かに
「お前が勇者だ」と丸投げするしかない。
だが、選ばれた勇者がちゃんと魔王を倒すまで、
私はモニター(神の眼)にかじりついて、
彼らが変なところで全滅しないか、
ハラハラしながら見守り続けなければならない。
これがまた、胃に穴が開くような監視業務なのだ。
勇者が最初のスライム相手に死にそうになったら、
こっそり運勢値を操作してクリティカルを出させ、
勇者が宿代に困って路頭に迷っていても、
神界の通貨は下界じゃただの『光る石』扱いで
使えないから、指をくわえて見てるしかない。
せめて勇者の武器を最強の聖剣に変えてやりたいのに、
神の干渉制限のせいで初期装備の『ひのきのぼう』が
折れるのを眺めることしかできん!
「もう嫌だ! 私は現場に行く!
なんでこんなに魔王が湧くのか、
なんで勇者はいつも宿代が足りないのか、
自分の目で確かめて、自分の手で解決しなきゃ
気が済まん!」
私は叫んだ。しかし、すぐに肩を落とす。
「……だが、無理なんだよな。
神が直接世界に関与することはできない。
それがこの世界の理だ。
私が降臨して、魔王を指先一つで消滅させたら、
世界の因果律が滅茶苦茶になってしまう……」
そこで、ルナリエが眼鏡のブリッジを
クイと押し上げ、事も無げに言った。
「神様。その『神は直接関与できない』というルール……
一体、誰が決めたのですか?」
「……俺だけど」
私は反射的に答えた。
そう、私がこの世界を創ったとき、
秩序を保つために自分で設定した制約だ。
「ですよね。ご自身が決めた設定なら、
ご自身で書き換えれば済む話ではありませんか?
他の誰でもない、あなたが『俺が行くからルール変更』
と宣言すれば、それはもう世界の真理ですよ」
「…………。
…………。
……よし、行ってみるか」
目から鱗が落ちた。
そうだ、私は神だ。全知全能なんだ。
自分で作ったルールに縛られて、
「やってられん」と愚痴をこぼすなんて、
なんという滑稽な話か。
「俺がルールだ! 制限なんてクソ食らえだ!
私は全知全能のまま降りるぞ!
擬態も封印もしない。神の姿のまま降りて、
文句を言う物理法則や魔王は、
全員黙らせればいいだけだ!」
「流石は我が主。清々しいほどの職権乱用ですね。
その方が、調査も捗るというものです」
「ああ! 現場主義の神様として、
魔王連続発生のバグを、私の圧倒的な神力で
直接叩き潰してやる!
ついでに勇者たちにボーナスでも
握らせてやりたい気分だ!」
「承知いたしました。では私もお供いたします。
神様一人では、下界の『物価』や『常識』の壁を、
物理的に破壊して更地にしてしまいそうですから」
こうして、仕事放棄……もとい、
緊急の現場調査という名の神の旅が始まった。
「吾輩は神である。そして、今日からは
この世界のルールそのものだ!」
空が割れ、黄金の光が下界へと降り注ぐ。
神の直接降臨という、世界始まって以来の
大惨事……もとい、世直しイベントが今、幕を開けた。




