語られざる歴史
学問的な枠組みが崩壊した中村は、新たな問いに導かれていた。それは、これまで見過ごしてきた声、沈黙させられてきた記憶を探す旅だった。彼は、高度経済成長期に事務員として工場で働いていたという老婦人、佐々木玲子を訪ねた。
彼女の家は、塵一つなく整頓され、その几帳面な空間自体が彼女の人生を物語っていた。玲子の語りは、これまでの男性たちのドラマチックな出来事とは異なっていた。それは、日々の小さな侵食、見過ごされた貢献、そして静かなフラストレーションの歴史だった。
「私のアイデアは、いつも男性の先輩の手柄になりました」彼女は穏やかな、しかし芯のある声で語った。「大きなプロジェクトを成功させた時も、評価されたのはチームの男性たち。私の名前は、報告書のどこにも載りませんでした」
最も心を抉られたのは、家庭での出来事だった。彼女が考案した業務改善策の功績を、夫が自分の手柄として会社で自慢し、それが出世の足がかりになったというのだ。
「夫は言いました。『家族のためじゃないか』と。私の努力は、いつの間にか夫の成功物語の一部にすり替えられていたのです」
このインタビューは、物語全体の「ミッドポイント(中間点)」となった 。中村は、雷に打たれたような衝撃を受けた。彼がこれまで集めてきた「集合的記憶」は、あまりにも男性中心的なものではなかったか。経済成長の輝かしい物語も、その後の衰退の悲劇も、すべて男性の視点から語られてきた。その背後で、玲子のような無数の女性たちの貢献と犠牲が、意図的にか、あるいは無意識にか、歴史から消去されてきたのだ。
中村の研究の問いは、根本から変容した。もはや問題は「何を記憶しているか」ではない。「誰が記憶することを許されているのか」、そして「誰の記憶が沈黙させられているのか」ということだった 。彼は、公式の歴史の下に埋もれた、広大で静かな、語られざる歴史の存在に気づいたのだ。




