氷河期
次に中村が向かったのは、郊外にあるグループホームだった。田中のかつての職場への愛着が詰まった部屋とは対照的に、山田一郎の部屋は殺風景で、彼の人生が常に仮住まいであったことを物語っていた。山田は40代後半で、その目には同世代が持つはずの活気はなく、静かだが消えない怒りの炎が宿っていた。
彼の語りには、田中が持っていたようなノスタルジアは一切なかった。「希望なんて、最初からなかったですよ」山田は吐き捨てるように言った。
彼の物語は、1990年代後半の「就職氷河期」から始まった 。何十社と受けた面接、送られてくる不採用通知の山、そしてようやく得た非正規雇用の職。彼の青春は、社会から拒絶され続けた記憶に彩られていた。
「上の世代は言うんですよ、『努力が足りない』って。冗談じゃない。俺たちは、最初から席が用意されていなかった世代なんだ」
彼の苦難はそれで終わらなかった。不安定な契約社員の職を転々とし、2008年のリーマン・ショックでついに最後の職を失った 。彼は、年末に日比谷公園に設営された「年越し派遣村」で寒さを凌いだ経験を、感情を押し殺した声で語った 。
「あの時、俺は特定の政治家を憎みましたね」山田は、ある元首相の名前を挙げた。「『自己責任』という言葉で、俺たちのような弱い人間を切り捨てた。規制緩和だの構造改革だの、聞こえのいい言葉で、俺たちの人生をめちゃくちゃにしたんだ」
山田の話は、中村が抱いていた「戦後日本」という一枚岩のイメージに、深い亀裂を入れた。田中が語ったのは、かつて存在した「より良い過去」の喪失だった。しかし山田が語ったのは、最初から奪われるべきものさえ与えられなかった世代の、根源的な怒りだった。
同じ社会の変動でも、世代によってその記憶の質は全く異なる。一方は失われた共同体への哀愁を、もう一方は約束されたはずの未来への怨嗟を抱いている。中村は、自分の研究が、この世代間の断絶という、より根深く、厄介な問題に直面していることを理解し始めていた。




