ゴースト・ステーション
中村が最初に訪れたのは、元国鉄職員である田中和夫のアパートだった。古びた集合住宅の一室は、国鉄時代の記念品で埋め尽くされていた。色褪せた制帽、銀色のホイッスル、そして壁には蒸気機関車の写真が誇らしげに飾られている。その光景は、まるで時が止まった小さな博物館のようだった。
インタビューはぎこちなく始まった。中村は用意してきた質問リストに従い、臨床的な問いを投げかけた。「国鉄の民営化は、労働環境にどのような変化をもたらしましたか?」
田中は質問には直接答えず、遠い目をして語り始めた。「石炭の匂いがね、今でも忘れられないんですよ。機関車の釜から立ち上る煙の匂い、休憩室で仲間たちと交わしたくだらない冗談、遠くから聞こえてくる汽笛の音……。あれが俺たちの日常だった」
彼の話は、中村が求めるデータではなく、五感に訴えかける逸話に満てていた。彼は民営化を政策としてではなく、裏切りとして語った。それは、アイデンティティそのものを奪われる経験だった。
「会社は俺たちを引き裂こうとしたんだ」田中の声に、抑えられた怒りが滲んだ。「『あいつは動労だ』『こいつは国労だ』とレッテルを貼り、昨日までの仲間を互いに監視させ、疑心暗鬼にさせた。組合を抜けなければ、新しい会社には残れないと脅された者も大勢いた」
田中は、近所にあった小さな駅の話をした。民営化と共に廃線となり、今はもう跡形もないという。「ゴースト・ステーションさ」と彼は呟いた。「駅だけじゃない。俺たちの心の中にも、ぽっかりと穴が空いて、取り壊された駅みたいになっちまったんだ」
中村は、質問リストが全く役に立たないことを悟った。彼は事実を記録することはできるかもしれないが、この老人が抱える喪失感の深さ、奪われた世界の意味を捉えることはできない。インタビューを終え、田中のアパートを後にした中村の足取りは重かった。これは彼の研究の「発端となる事件(Inciting Incident)」だった 。彼は、データと生きた現実との間に横たわる深い溝に気づき、自分の方法論が根底から覆されるのを感じていた。




