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第79話「代替エネルギーの着想と、『地熱』の可能性」

浮遊都市の客室に戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。


アリスとユイが待っていた。セルジュの案内による学術院の視察から戻った二人は、ルークとザックの表情を見た瞬間、何かが起きたと察した。


「座ってくれ。全員に共有する」


ルークはテーブルに着いた。。ザックが七枚の羊皮紙を広げた。装置の寸法図、管理板の数値、接続部のスケッチ、管の流路図。


三十分かけて、すべてを説明した。


鍵盤クラヴィーア。下位民の生体魔力を精製し、浮遊都市に供給する装置。一回の接続で寿命〇・三年短縮。月四回。年間十四・四年。下位民の平均寿命が四十歳前後である理由。浮遊都市の花が永遠に咲く理由。あの光の一粒一粒の正体。


ユイは最後まで黙って聞いていた。知っていたのだ。宗家の直系として、この事実を知っていた。しかし——改めて数字で突きつけられると、顔色が変わった。紫の瞳が暗く沈んだ。


「わたしが追放された理由は——この装置の廃止を求めたからです。リオが死んだのは水源の汚染が直接の原因でしたが、鍵盤の接続によって体力が削られていたことが、回復を妨げました。十四歳の少年は——本来なら、汚染水程度で死ぬ年齢ではなかった」


アリスが口を開いた。声が低かった。元ブラック騎士団副団長は、搾取の構造には敏感だ。


「この装置を止めれば、解決しますわね」


「止められない」


ルークが即座に返した。


「止めれば浮遊都市が落ちる。真下のスラムごと。そして——止めたところで上位民は別の方法で下位民を利用するだろう。エネルギー源がなくなれば、今度は直接的な労働搾取に切り替える。鍵盤を壊しても、構造は残る」


四人の間に沈黙が落ちた。


ルークはテーブルに肘をつき、両手を組んだ。

「問題を整理する」


品質管理の手法だ。問題が大きいときほど、分解する。要素に分ける。一つずつ扱う。


「上位民が下位民を手放さない理由。それは悪意ではない」


ザックが顔を上げた。


「悪意じゃない、って——あの装置を見て、それでもそう言うんですか」


「言う。あの装置を設計した者には明確な意図があっただろう。しかし今、装置を運用している上位民の大多数は——昨夜の宴の貴族たちと同じだ。『彼らのために』善意で制度を維持している。善意と搾取が同居している。それがこの大陸の構造だ」


ルークは続けた。


「善意を否定しても意味がない。感情で動かそうとしても響かない。レインが言っただろう。『論理で示せ』と。論理で示すなら——上位民にとって合理的な選択肢を提示するしかない」


「合理的な選択肢?」


「代替手段だ。鍵盤を廃止しても浮遊都市を維持できる方法があると証明すれば、上位民は乗る。人道的理由ではなく、コスト的理由で」


アリスが腕を組んだ。


「つまり——鍵盤より効率的で、人命を消費しないエネルギー源を見つけろ、と」


「そうだ」


「この大陸にそんなものがありますの?」


ルークは立ち上がった。窓辺に歩き、外を見た。浮遊都市の向こうに、シャングリア大陸の山脈が連なっている。朝の航海中に見えた稜線だ。そのさらに奥——内陸部に、白い煙が立ち上っている場所があった。到着初日から気になっていた。


「ユイ。あの山脈の内陸部に、火山はあるか」


ユイの目が見開かれた。


「あります。シャングリア山脈の中央に活火山が三座。宗家はそれを神聖な山として立入禁止にしています。地下の熱水活動が活発で、麓の温泉は——」


「地熱だ」


ルークが振り返った。


「火山がある。地下に熱がある。熱はエネルギーだ。そのエネルギーを魔力に変換できれば、人体搾取は不要になる」


エネルギー転換と社会変革。


田中修は品質管理の人間であって、エネルギー工学の専門家ではない。しかし、元の世界で仕事の中に、地熱発電所向けのタービン部品の品質検査があった。二〇一八年から二〇二一年にかけて、大分県の地熱プラントに納入した蒸気タービンの軸受け部品。ルークは図面の承認印を百回以上押した。


地熱発電の原理は単純だ。地下のマグマに近い岩盤層から高温高圧の蒸気を取り出し、タービンを回して発電する。燃料は不要。二酸化炭素の排出も最小限。太陽光や風力と違い、天候に左右されない安定した出力が得られる。


問題は、この世界では「電力」ではなく「魔力」が必要だということだ。地熱から蒸気を取り出すところまでは同じ手順が使える。しかし蒸気のエネルギーを魔力に変換するプロセスは——この世界の技術が必要だ。


ルークの手が、無意識にポケットに伸びた。


そこにあるのは——ガチャのコインだ。


サンアンド領を出発する前に、ガチャ筐体から排出されたコインをいくつか持ち出していた。筐体本体は持ち運べないが、コインがあれば小型の携帯用ガチャ——ユイが漂着時に偶然見つけた砂浜の漂着物で、手のひらサイズの簡易筐体——を使える。排出されるアイテムのランクは本体より低いが、ないよりはましだ。


「ガチャを回す」


ザックが弾かれたように立ち上がった。


「え、ここでですか?」


「ここでだ。十連回す。目当ては変換系のアイテム。エネルギー変換に関わるものなら何でもいい」


ルークは携帯ガチャをテーブルに置いた。手のひらに収まる金属の箱。投入口にコインを入れ、小さなレバーを回す。


カチャカチャカチャ——。


一回目。N。【消臭の粉】


二回目。N。【修繕テープ(小)】


三回目。R。【携帯浄水器】


四回目。N。【耳栓】


五回目。R。【簡易翻訳メモ帳】


六回目。N。【折りたたみ椅子】


七回目。SR。


カプセルの色が変わった。銀から金へ。


ルークはカプセルを開けた。


中から出てきたのは、手のひらサイズの金属製の模型だった。精巧なミニチュア。羽根車と軸と筐体で構成された——タービンだ。


【SR:魔力変換タービン】


説明文が浮かび上がった。


『地下熱水から蒸気を取り出し、回転エネルギーを魔力に変換する装置の設計図。設置には現地の素材と加工技術が必要。変換効率:約二十二パーセント。稼働条件:地下三百メートル以内に摂氏百五十度以上の熱源が存在すること』


変換効率二十二パーセント。


ルークは鍵盤の数値を思い出した。人体からの魔力変換効率は四パーセントだ。地熱タービンはその五倍以上。しかも——寿命を削らない。燃料は地球が持つ熱エネルギーだ。枯渇するまでに数万年単位の時間がかかる。持続可能。再生可能。人命のコストはゼロ。


八回目。N。【干し肉(三日分)】


九回目。R。【地質調査キット


十回目。N。【石鹸】。


十連の結果。SR一、R二、N七。確率通りだ。しかし——このSR一つで十分だった。


ルークはタービンの模型を手のひらで転がした。小さな羽根車が指先で回る。


「これだ」


テーブルの上にザックの羊皮紙を広げ、その横にタービンの模型を置いた。


「説明する。長くなるが、全員聞いてくれ」


ルークは立ったまま話し始めた。


「元の世界——俺がいた世界では、エネルギーの転換が社会を変えてきた。最初は人力と畜力。次に水車と風車。それから石炭、石油、原子力、そして再生可能エネルギー。エネルギー源が変わるたびに、社会の構造が根本から変わった」


ザックがペンを走らせている。アリスは腕を組んで聞いている。ユイは模型を見つめていた。


「石炭が蒸気機関を生み、蒸気機関が工場を生み、工場が都市を生んだ。石油が内燃機関を生み、自動車と飛行機が距離を縮め、国際貿易が爆発的に拡大した。エネルギーは社会の形を決める。エネルギーを変えれば——社会が変わる」


ルークはタービンの模型を持ち上げた。


「シャングリア大陸の現在のエネルギー源は人体だ。鍵盤が人命を魔力に変換し、浮遊都市を維持している。このエネルギー構造が、上位民と下位民の階級制度を固定している。上位民は下位民なしには生活を維持できない。だから手放さない。手放す理由がない」


模型をテーブルに置いた。


「理由を作る。地熱タービンだ。火山の地下熱を蒸気に変え、蒸気の回転エネルギーを魔力に変換する。効率は鍵盤の五倍以上。コストは設置時の初期投資のみ。ランニングコストは保守点検だけだ。人命は消費しない」


アリスが訊いた。


「それを上位民に提案して、受け入れられますの? 彼らが鍵盤を手放す理由がありまして?」


「ある。コストだ」


ルークはザックの羊皮紙の余白に数字を書き始めた。


「鍵盤の隠れたコストを計算する。下位民の寿命短縮は、労働力の早期喪失を意味する。四十歳で死ぬ労働者と、七十歳まで働ける労働者。後者のほうが総生産量が高い。さらに、寿命短縮は出生率にも影響する。若年死亡が増えれば、世代の再生産が追いつかない。長期的に下位民の人口が減少し、鍵盤に接続できる人体が減る。エネルギー供給が先細りになる」


数字を並べた。仮の数値だが、構造は正確だ。


「鍵盤は持続不可能なエネルギー源だ。人口が減れば効率が下がり、効率を維持するために一人当たりの接続回数を増やせば、さらに寿命が縮み、さらに人口が減る。負のスパイラル。いずれ破綻する」


「つまり——人道的な理由ではなく、持続可能性の観点から、鍵盤は非合理であると」


「そうだ。そしてその代替として、地熱タービンのほうが長期的に合理的であると。論理で示す。レインが求めたのはそれだ」


ユイが口を開いた。


「兄は——聞くと思います。論理が通っていれば」


「根拠は」


「兄は宗家の制度を守ることに執着しているのではありません。シャングリア大陸の秩序を維持することに執着しているのです。秩序を維持する手段として鍵盤が最適だと信じているから、鍵盤を守っている。より優れた手段があると証明されれば——兄は、合理的に判断します」


ルークは頷いた。ユイの兄に対する評価は、ルーク自身の印象と一致した。レイン・シャングリアは狂信者ではない。冷徹な合理主義者だ。だからこそ——論理で動かせる。


「ザック。提案書の草案を始めろ。構成は三部。第一部、鍵盤の持続不可能性の数値的証明。第二部、地熱タービンの技術概要と設置計画。第三部、移行スケジュールと段階的廃止プラン」


「了解です」


「アリス。火山帯の地質情報が必要だ。学術院にデータがあるはずだ。セルジュに頼んで閲覧許可を取ってくれ」


「承知しましたわ」


四人が動き出した。


ルークはテーブルに残り、タービンの模型を手に取った。小さな羽根車が回る。指先で弾くたびに、微かな風が起きる。


この小さな模型が——大陸を変える最初の歯車になるかもしれない。


あるいは、ならないかもしれない。


半分の確率だ。いつもそうだ。全部上手くいく計画には、どこかに嘘がある。


しかし——半分で上等だ。


ルークは模型をポケットにしまい、窓の外を見た。山脈の奥で白い煙が立ち上っている。火山の蒸気だ。地球が何万年も前から放出し続けているエネルギー。誰の命も削らないエネルギー。


『新規プロジェクト登録:シャングリア大陸エネルギー転換計画。略称:PROJECT GEOTHERM

優先度:最高。必要工数:未確定。』



窓の外で、火山の煙がまっすぐに空へ昇っていた。

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