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第78話「生命エネルギー搾取」

毎日17時に更新します,

完結まで、継続いたしますので、最後に【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして、毎日追って頂けたら幸いです。


浮遊都市滞在三日目。ルークは夜明け前に客室を出た。


灰色の麻布を二着、ザックが下位民街の宿に残していた荷物から調達してきた。背中には適当な四桁の番号を炭で書いた。ルークは3891、ザックは3892。急ごしらえの変装だったが、この都市では灰色の服を着た人間の顔を確認する者はいない。番号さえ見えれば、それ以上の情報は求められない。それが番号管理の盲点だ。


アリスとユイは浮遊都市に残した。セルジュの案内で学術院を視察する名目だ。ルークが抜けたことは半日程度なら気づかれない。気づかれたとしても、「体調不良で客室にいる」とアリスが対応する手筈だった。


転送陣は使えない。上位民の魔力認証が必要だ。代わりに、浮遊都市の外縁部にある廃棄物の投下口を使った。ユイが教えてくれた。地上の処理場に直結する垂直の通路で、ゴミと一緒に下降する。品のない方法だが、認証が不要だ。


暗い縦穴を百五十メートル降下する間、ルークは考えていた。


昨夜、ユイが話してくれた。


兄との再会から戻った後、客室のテラスで。花茶ではなく、船に残っていた最後のコーヒー豆で淹れた一杯を飲みながら。


「浮遊都市の魔力供給源について——お話しなければならないことがあります」


ユイの声は平坦だった。感情を切り離した声。宗家で教育された報告の声だ。


「地下区画に、施設があります。地上のスラムからさらに下。浮遊都市の直下——地下三十メートルに」


「何の施設だ」


「わたしたちは『鍵盤クラヴィーア』と呼んでいました」


地上に降りた。


早朝のラーシャ。下位民街はまだ暗い。浮遊都市の影が朝日を遮り、薄明かりの中を灰色の人々が無言で動いている。掲示板の前に列ができていた。今日の業務指示を確認する列だ。


ルークとザックはその列に紛れた。灰色の麻布は体に馴染まない。粗い繊維が首筋を刺す。一日中これを着ている人々の肌を想像し、ルークは眉を顰めた。


「ルーク様。地下への入口は——」


「ユイの説明では、港の第三倉庫の奥にある。業務指示に『地下作業』と記載された番号だけが入れる。だが——」


ルークは掲示板に目を向けた。番号と業務の一覧。最下段に、赤い文字で書かれた指示があった。


『0041号、0158号、0267号、0394号、0412号——地下C区画。終日。交代なし』


終日。交代なし。他の業務指示はすべて時間帯が区切られているのに、地下作業だけは「終日」としか書かれていない。終了時刻がない。


そして——0041。あの老人の番号だ。名前を知らない老人。


ルークの足が一瞬止まった。ザックが気づいた。


「ルーク様?」


「……行くぞ」


港の第三倉庫。


外見はただの石造りの倉庫だ。中には空の樽と漁網が積まれている。しかし奥の壁に、他とは異質な鉄の扉があった。魔法的な錠前——しかし、開いている。下位民には魔力がないのだから、魔法の錠前は意味がない。この扉は上位民の侵入を防ぐためのものだ。下位民の出入りは——そもそも制限する必要がない。逃げる場所がないのだから。


扉の向こうに、下りの石段があった。


暗い。壁面に埋め込まれた結晶体が、最低限の薄い光を放っている。上位民の居住区で見た温かな魔法照明とは別物だ。必要最低限。それ以上のコストをかける理由がない。


石段を降りる。十段、二十段、三十段。空気が変わった。湿度が上がり、温度が下がる。そして——音が聞こえ始めた。


低い振動音。一定のリズムで脈動する、機械的な振動。壁を伝い、床を伝い、足の裏から骨に届く。


石段が終わった。通路が広がった。天井が高い。地下とは思えない空間が開けている。


そして——ルークは、それを見た。


部屋の中央に、装置があった。


巨大だった。天井から床まで、高さ十メートルはあるだろう。金属と結晶体で構成された円柱形の構造物。表面を無数の管が走り、管の中を青白い光が脈動しながら流れている。装置の上部は天井を貫いて地上へ、さらにその上の浮遊都市へと接続されているのだろう。


装置の名は「鍵盤クラヴィーア


今、ルークは理解した。なぜ語れなかったのかを。


装置の周囲に、椅子が並んでいた。


椅子と呼ぶべきかどうか。金属のフレームに革の座面。背もたれと肘掛け。それだけなら椅子だ。しかし——座面と背もたれから細い管が伸び、中央の円柱に接続されている。管は透明で、中を流れる光が見える。青白い光。魔力の光だ。


椅子には人が座っていた。


灰色の麻布の人々。番号を背負った人々。目を閉じ、動かず、椅子に深く沈み込んでいる。管が体に接続されている。腕に、首の裏に、脊椎に沿って。接続部の皮膚は変色し、紫がかった痣のようになっている。



ルークは椅子の数を数えた。この区画だけで三十脚。すべてに人が座っている。管の中を青白い光が流れている。人体から装置へ。装置から天井の管へ。天井から地上へ。地上から浮遊都市へ。


サイクルが見えた。


下位民の体から何かを抽出し、管を通じて浮遊都市に送っている。「何か」が何であるかは、装置の横に設置された管理板に記載されていた。シャングリア語で書かれた数値表。ユイに読んでもらう必要はなかった。数字は万国共通だ。そして「入力」と「出力」の関係性も。


入力:生体魔力。微量だが、下位民にも存在する生命維持に最低限必要な魔力。


出力:精製魔力。浮遊都市のインフラを稼働させるための高純度エネルギー。


変換効率:約四パーセント。


そして管理板の隅に、もう一つの数値があった。


「推定寿命影響:一回の接続につき、平均〇・三年の短縮」


ザックが声を出したのは、ルークより先だった。


「これは——」


——目の前の装置が何をしているのか、即座に理解した。


「人間を——燃料にする工場だ」



管理板の数字を読み続けていた。一回の接続で〇・三年。年間接続回数の欄。月に四回。年間四十八回。年間で約十四・四年の寿命短縮。


十四・四年。


下位民の平均寿命をユイに訊いたことがある。四十歳前後だと言っていた。上位民の平均寿命は百二十歳を超える。その差、約八十年。ルークは当初、医療や栄養の格差だと推測していた。


違った。


寿命が「削られている」のだ。物理的に。装置によって。下位民の生命エネルギーを抽出し、浮遊都市の電力に変換している。花が永遠に咲き続けるのは、誰かの寿命を吸い上げているからだ。噴水が虹色に輝くのは、誰かの命が燃料だからだ。温度が完璧に制御されているのは、誰かの体温が奪われているからだ。


浮遊都市の繁栄は——カウントされていないコストの上に成り立っている。


経済学では「外部不経済」と呼ぶ。ある経済活動に伴うコストが、その活動の当事者ではなく第三者に転嫁される構造。工場が川に汚染物質を流す。利益は工場が得る。コストは川下の住民が負う。浮遊都市が光り輝く。快適さは上位民が享受する。コストは地下の下位民が——命で支払う。


昨夜の宴が蘇った。


あの料理。光る果物。虹色のワイン。永遠に散らない花。


すべてのコストが、この地下の椅子に座った人々の寿命から捻出されている。


そして——上位民はそれを知っている。知った上で、「彼らのために」と言っている。休日を与えないのは彼らのため。名前を与えないのは彼らのため。すべてが善意だ。善意で、人間を燃料にしている。


名前を奪ったのは、このためだ。


名前のない存在は、消費されても悲しまれない。番号が一つ消え、新しい番号が一つ追加される。帳簿上の増減。それだけだ。名前があれば、死は記憶される。番号なら、死は処理される。


完璧な制度設計。


ルークは品質管理の人間として、その設計の精緻さを理解した。


三秒。五秒。十秒。


この状況に対する「穏便な対処」が存在しないから。事なかれ主義の原則は「波風を立てず、仕組みで解決する」だ。しかし——仕組みそのものが人を殺している場合、「仕組みで解決する」という原則自体が矛盾する。


ルークは装置に歩み寄った。椅子の一つに、見覚えのある数字があった。


0041。


あの老人だった。


目を閉じ、管に繋がれ、微かに呼吸している。皺だらけの手が肘掛けの上で力なく垂れている。皮膚の下を、青白い光が脈動しながら管を通じて流れ出していく。


命が、抜かれている。


名前も知らない老人の命が、浮遊都市の花を咲かせるために。


ルークは老人の前に立った。割れたカップの破片が、血と一緒に足元に落ちた。


声を出さなかった。


出さなかったが——拳を握った。


今度は開かなかった。


地下から地上に戻ったのは、正午過ぎだった。


ザックの羊皮紙は七枚に及んだ。装置の寸法、管理板の全数値、椅子の配置図、接続部のスケッチ、管の流路図。品質監査の記録として見れば、完璧な調査報告書だった。


二人は灰色の服のまま、下位民街の路地を歩いた。


ザックが口を開いた。


「ルーク様」


「何だ」


「あの装置——壊せますよね。アリスなら」


「壊せるだろうな」


「じゃあ——」


「壊さない」


ザックが足を止めた。


「なんでですか」


ルークも足を止めた。振り返った。ザックの目が赤い。泣いていたのか、怒りで充血しているのか。


「あの装置を壊したら、浮遊都市の魔力供給が止まる。都市は落ちる。百五十メートル上空から。真下にあるのは——このスラムだ」


ザックの顔から血の気が引いた。


「浮遊都市の住民数千人。と、地上のスラムの住民全員が犠牲になる。装置を壊すのは簡単だ。だが壊した後の被害は——取り返しがつかない」


ルークの声は静かに戻っていた。


「仕組みを壊すんじゃない。仕組みを変える。代替のエネルギー源を確保し、鍵盤を停止させ、下位民を解放する。その順番を間違えたら——ブラック騎士団を倒したときと同じ轍を踏む」


ザックは黙って頷いた。



「帰るぞ。アリスとユイに共有する。全部だ。数字も、装置も、椅子も、0041のことも」


ザックが頷いた。


二人は灰色の服のまま、スラムの路地を抜け、港の第三倉庫に向かった。


浮遊都市が頭上に浮かんでいる。光り輝いている。永遠の花が咲いている。魔法の噴水が虹を散らしている。


その光の一粒一粒が、誰かの命を燃やした残り火だった。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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