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Slow Encounter 04  作者: quiet
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4-3 ツッコミ待ち?



「おー。すっかり死んでる……」

「……本当に死んでたらどうする」

「泣いてあげる。……あ、嘘。不謹慎だね、今の」


 おじゃまします、と玄関でか細く呟いてから部屋まで上がってきた七澄は、「これ」と言ってコンビニの袋を柾から見える位置に置いた。


「何それ」

「スポドリとチョコレート。世界救ってるから休んでるのかなと思ったけど、純粋に風邪かな~とも思ったから、お見舞い用に」

「マジ? ありがと。結構助か……」


 けほ、と柾はまた咳をした。

 七澄はそれを心配そうな顔で見て、


「風邪、酷そうじゃん」

「……昨日進行態ってやつとやって疲れが出たんだと思ってたんだけど」

 そう言われるとそうなのかも、と小さく咳をしながら柾は言った。


 別に、疲れたということと風邪を引いたということは、原因としてどちらか片方しか選べないわけではない。

 疲れて身体が弱ったところに風邪のウイルスが入り込んできたという考えだって、かなりの妥当性があるはずだし。


「進行態?」

「中ボスみたいなやつ」

「ああ。……あれ。私、注意のマーカー置いてなかったっけ。強そうなやつには」

「え、あれそういうやつだったのか」

「うっそ。わかんなかった? 警戒色使ってるから大丈夫だと思ってたんだけど」


 うわーごめんね、と彼女は言う。


「最初にもっと説明しておけばよかったね」

「……まあ、訊かなかった俺も悪いし」

 ていうか面倒がらずに訊いておけばよかった、としみじみ柾は思いながら。


 しかし同時に、あんなのを放っておいて不意に地上に出てこられたりしたら――そう思うと、警告のマークに気付かずに突っ込んで行ったこともあながち間違いではなかったのではないかと思う。


「なんか食べたり飲んだりする?」

 七澄が言った。


「お兄さんいないんでしょ。それじゃ今日、飲まず食わずじゃん」

「あー……」

 どうしようかな、と柾は思う。


 飲まず食わずならそれでもいいかな、と思っていたのだ。

 なにせ食欲も何も湧かないし、今この状態で冷たい飲み物を胃の中に入れる気力があるとも自分では思えなかったから。


 けれど、折角七澄がこう言ってくれているのだし。

 それなりに目の前の彼女に面倒ごとを引き受けてもらえる理由もあると、心の中ではちょっと思っているし。


 飲まず食わずが明らかに身体に悪いということもわかっているわけだし。


 そう言ってもらえるならその機会を逃さないようにしよう――そう思って柾は「そうしようかな」と言ってから気合を入れて、がばり、とベッドの上で身を起こした。


「じゃあスポドリ貰っていいか? 布団で温めて常温にして飲む――何。どうした?」

「……ツッコミ待ち?」

「何が」


 七澄が、ものすごい顔でこちらを見ていた。

 見たことのない表情である。たとえるなら、動物園で大人気のコアラが突然お互いを木から蹴落とし始め、血で血を洗うバトルロワイヤルを開催し始めたのを見た幼稚園児のような驚愕。それが込められた、茫然の表情。


 柾は不安になった。

 ぼんやりしてるから昨日からあんまり記憶がないといえばないんだけど、俺、服着てなかったりしないよな、と思って。


 だから、毛布から飛び出た自分の身体を見下ろした。


 そして、七澄と同じ表情になった。


「…………」

「……ねえ、ツッコミ待ち?」

「………………」

「ねえってば」


 正真正銘だ、と彼は思った。

 自分が目にしているものをじっと見つめて……それが幻でもなければ何かの見間違いでもないことを確かめて。それで思った。



 正真正銘だ、と。


 掲げてみた。

 目の前に。


 動かしてみた。

 目の前で。


 七澄の顔を見た。

 彼女のまん丸い瞳の前で、それを動かしてみた。


「……何に見える?」

「何、って」


 彼女は答えあぐねている。

 表現する言葉を探しているからではない――ただ純粋に、それを口にしたら、この視界の中にあるものを追認したら、それで現実が確定してしまうのではないかと恐れているがために。


 そのことが、柾にはわかる。

 だって、自分も同じだから。


 自分でそれを認めるのが怖くて――代わりに七澄に、それを言ってもらおうとしているのだから。


 唇を舌の先で濡らしてから。

 七澄は、震える声で言った。




「――――虫の、脚、に」

 私には見えますけど、と。




 もちろん、彼女がそう見えると言ったのは、たった今ベッドから抜け出してきた柾の身体――右腕の先のこと。


 手首から先に、五本指の霊長類的なそれに成り代わって生えている、昆虫めいた手先のこと。


 そして奇遇にも。



「……だよな」

 柾にも、そう見えている。



 力を入れれば、ごりごり動く。

 虫の脚――ちょっとメタリックなそれが、自分の手首の先から生えていて、指の代わりとばかりにシャキシャキ動く。


 ある朝ベッドの上で一匹の巨大な毒虫に――丸々変わっていたわけではないけれど。


 部分的に、そうなっていた。

 部分的に、昆虫の身体になっていた。



 たっぷり十分。

 現実を、受け入れるまでに。


 そしてその十分の果てに――七澄がそのか細い人差し指を、柾に向けた。

 というわけで、柾も訳が分からないまま同じようにして指先――というか足先――を差し出した。


 指先と足先が触れ合って。

 感触があれば、お互い全てを理解して。



 おわあ、とか。

 きゃあ、とか。

 そういう文字では表せないくらいの絶叫が、部屋の中で響く。


 えらいこっちゃ、と落ち着くまでに、もう十五分。




  +   -   *   /




 潔癖なくらいに真っ白な建物の中だった。



 廊下を歩くのは長髪瘦身の男――塔山考一郎。

 柾には見せたことのないスーツ姿で、眉間に皺を寄せて、ぴっちりと締めていたネクタイを乱暴に緩めながら、深く息を吐いている。


「お疲れみたいね」

 はた、と革靴のその足が止まったのは、声をかけられたから。


「花か」

 振り向きもしないままで、考一郎は応える。


「爺さんたちに相当絞られたんでしょ」

「……ああ。レベルの上昇速度について、たっぷりな」

「当たり前。いきなりレベル7まで上げて……どうするの? そのペースで」


 心配は要らない、と考一郎は呟いた。


「処理は適切だ。進行態との接敵はこの時期に想定されていなかった。むしろ、レベル7程度で済んだのなら穏当な――」

「それ、さっきの詰め会議でも言ってきたの?」

「ああ」

「誰も納得しなかったでしょ」

「させたさ」


 ううん、としかし、考一郎と言葉を交わす黒髪の女性――前川花は、冷たい表情で首を横に振る。


「誰も納得なんてしてない。結局〈DPS〉の仕組みに一番精通してるのが……塔山先生たちの研究を継いでいるのがあんただから、仕方なく譲っただけ」

「……なぜそう言い切れる」

「私がそうだから」


 納得してないから、と。

 背を向けたままの考一郎に、ゆっくりと前川は近付いていく。


「お父さんも、お母さんもそう。研究畑の人ですら誰も……本当は誰も、納得なんかしていない」

「今さら混ぜ返す気か」

「今さら、じゃないでしょ」


 それからゆっくりと。

 考一郎の首に、冷たく細い、白い指をかけて。



「いつまで続けられると思ってるの、ってこと。

 そんな、家族ごっこ」



 考一郎は、ただ。

 その場に立ち止まったまま。


 何も答えることはなく、ただ、立ち尽くしていた。




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