68.起源
世界の始まり。
そこには最初、何もなかった。
明暗も、遠近も、上下左右の概念すらない。
あるのはただの「無」だ。
何もないという言葉の意味を、俺は初めて理解したと思う。
そこから爆ぜる世界の息吹。
無から生じた新しい力が拡散して、広がるだけ広がってから収束する。
収束した力は天地を創造し、世界は誕生した。
最初こそ大地と空だけしかない殺風景な世界だったが、そこに木々が生まれ、水が流れ、雲が漂い雨が降る。
徐々に、本当にゆっくりと世界は今の形へ進化していった。
そして――
「最初の命が生まれるよ」
「最初の命……」
「それは私たち人間じゃない。他の動物ではない。植物を命の分類から除外するなら、世界で初めて生まれた生命は――」
「精霊か」
ローウェンが答えるより少し早く、俺は答えにたどり着いた。
世界の誕生から約十億年。
初めて二本足で大地に降り立った生命は、俺たち人間ではなく精霊たちだった。
「彼ら彼女らは、世界の管理者として生まれた存在だよ。世界を構築する上でもっとも大きい要素は自然だ。その自然を司り、守る為に精霊はいる」
「そうか。だから湖とか、大地の精霊がいる」
「そう。彼女たちは今でも、世界を守る為に存在しているんだ」
俺たちが出会った湖の精霊ウルネ。
そして、これから出会う精霊たちは皆、世界のために生き続けている。
ふと思う。
なら、世界にとって俺たち人間はどういう存在なのだろうか。
果たして世界に、人間は必要なのかと。
「その答えなら、もうすぐわかるよ」
ローウェンが小さな声で呟く。
彼の表情はとても悲しそうで、辛そうだった。
何だか見なくても、答えがわかってしまいそうだ。
それから世界は進み、新しい命が次々に生まれていく。
動物、昆虫、海の生物。
最後に誕生したのが、俺たち人間の原型。
「生まれたばかりの人間は、今の形をしていない。毛むくじゃらで原始的。知性も今ほど高くはなかったはずだよ」
「それが進化して、今の俺たちになったんだな」
「そうだ。人間は進化し、文化を築き上げた。それはとても素晴らしいことだけど、代償もあったんだ。もうわかるだろう?」
俺は頷き答える。
「大自然を削いで、人間は進化した」
「その通りだ。私たちは進化の過程で様々な物を活用した。知恵を絞り、技術を身につけ生み出した物は全て、大自然を材料にしている。私たちにとっては生きることが優先で、木々の一本を切り落とすのはさした問題じゃない」
「だけど、世界にとってはそうじゃなかった。特に精霊たちには、俺たち人間が悪い存在に見えたのか」
「ああ」
それからしばらく、精霊と人間の対立構造が続いた。
大自然を守りたい精霊と、自分たちの生活を守りたい人間。
互いに守りたいものが異なり、そのためには他を害することになる。
何度も争い、話し合いの場も持たれた。
力では圧倒的だった精霊だが、人間は数が多く知恵もあった。
勢力は均衡していた。
その状態が長く続けば、有利なのは人間だった。
なぜなら彼らは増えていく。
対して精霊たちが守りたい大自然は、増えた人間の数だけ減っていく。
「私たちの生活は便利になった。それとは逆に、精霊たちの居場所は縮小していった。かつてはたくさんいた精霊も、依代を失って消滅した」
ローウェンの言葉を聞きながら、精霊ウルネのことを思い出す。
彼女もまた、依代である湖が失われかけたことをきっかけに、存在を保てなくなっていた。
同じことが大昔にもあったんだ。
今ならわかる。
ウルネは人間に対して好意的だったけど、あれは町の人たちが自然を大切にしていたからだ。
もし、彼らが自然を蔑ろにしていたら、きっと対応は変わっていただろう。
「精霊たちは基本的に人間を好いていない。特に原初から存在する精霊たちは、人間によって生きる場所を追いやられた。彼らにとって我々は排除すべき敵なんだ」
「敵……か。なぁローウェン、もしかして呪いの王は……」
途中まで出かけた言葉を飲み込む。
俺は思ってしまった。
呪いの王は精霊に近い存在で、彼は人間を滅ぼす存在だった。
世界にとって人間が病だとするなら、呪いの王は世界にとっての薬だったんだじゃないか。
あの男が生まれたのは俺たちの感情からだけど、本当は世界の意志なんじゃないか。
だとしたら、俺がやってきたことは……
「そうかもしれない。でも君は知っているはずだよ?」
ローウェンが言う。
「人間が生み出す物は、決して悪い物ばかりじゃない。彼らが必死で生きているように、私たちも必死に生きた。その生きた証が今の世界だ」
「……そうだな」
俺の中にいる英雄たちも言っている。
間違ってはなんかいない。
ただ滅ぼされ、消えていくことが正しいわけがない。
そしてそれは世界も、精霊たちも同じこと。
「やるべきことは一つだ。最初の邂逅から数十億年たった今こそ、私たちは向き合う必要がある。世界と、精霊と本気で向き合って、互いの未来を守るんだ」
「……難しそうだな。今度は人間だけじゃなくて、世界もか」
「君なら出来るさ。私たちも一緒なんだから」
「ああ、心強いよ」
世界の記憶は今へとつながる。
その中で人間は、俺たちは必死に生きていた。
俺たちの存在が世界にとっての病だとしても、必死に生きて紡いできた時間の全てが、間違いだったなんてありえない。
それを、伝えに行こう。
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