08. ユリウス攻略法・フランカの場合
これで四度目の人生だということに、コートニーは今更ながら気が滅入っていた。
しかも今回は、これまでの中でも群を抜いて条件が悪い。自分はギルテールの魔法剣士で、相手は敵国ライトリムの王太子。恋愛以前に、まともに顔を合わせているだけでも軍法会議ものの危険な関係である。
それでも、このまま手をこまねいて死を待てば、また同じ惨劇を繰り返すだけだ。次の生ではもっと身分が離れ、出会いは遅れ、記憶が戻った頃には八方塞がり。そうやって摩耗を重ねた末、最終的にもふもふの聖獣か喋る絵画にでも生まれ変わる未来を想像すると、コートニーは本気で寒気がした。
だから、今度こそ攻略する。
決意は固い。だが、その決意とは裏腹に、コートニーには苦い記憶があった。男爵令嬢として転生した二度目の人生で、前世の知識をそのまま使ってユリウスを口説こうとし、盛大に失敗した過去がある。あのときのことは黒歴史すぎて、今でも思い出すだけで頭を抱えたくなる。
二度と同じ轍は踏まない。絶対に。
すれた自尊心を固く閉ざしたコートニーが頼ることにしたのは、『銀薔薇の刃』きっての工作員たちだった。男を落とすことにかけては、自分より遥かに場数を踏んでいる先輩たちの知恵を借りるしかない。
真っ先に尋ねたのは、女性工作員のフランカだった。ウェーブのかかった艶やかな栗色の髪に、どこか投げやりで煙草の煙がよく似合う妖艶な面立ち。手先が器用で、これまで落とした敵国の男は数知れず、ヨハンからの信頼も厚い。頼れる先輩であることは間違いなかった。
「フランカ先輩。男を落とす方法を教えてください」
コートニーの思いがけない質問に、フランカの鋭い眼光が一瞬だけ丸くなった。紫煙をくゆらせていた指先がぴたりと止まり、口元から煙草が離れる。
「あらあら。好きな男でもできた?」
「違いますけど」
「じゃあ、何でそんなこと聞いてくるのよ」
不躾な指摘に詰まり、コートニーは喉の奥で舌打ちした。失敗した。ここで引き下がれば、明日には団内で妙な噂が広まるだろう。それだけならまだしも、あの腹黒いヨハンに余計な弱みを握られるわけにはいかない。
「敵の……心の隙を突く参考にしたくて、聞いただけです」
「ふーん」
あからさまに「嘘ね」と言いたげな疑いの眼差しに、冷や汗が背中を伝う。
「まあ、いいわ」
深く追及されなかったことに安堵する一方、フランカが何を考えているのかわからないことに、コートニーはかえって落ち着かなかった。そんなコートニーをよそに、フランカは煙草の灰を落としながら、あっさり本題を告げる。
「手っ取り早く胃袋を掴めば、男なんてイチコロよ」
「それだ!」
コートニーは即座に食いついた。
剣術や魔法なら嫌というほど叩き込まれてきたが、料理となると完全に盲点だった。何より、これまでの三度の人生で一度も試したことのない攻略法だ。その目新しさに、持ち前の警戒心はあっさりと溶け落ちた。
「題して、胃袋攻め作戦ね」
そうと決まれば、決行あるのみ。コートニーはその足で厨房へ向かった。
「おばちゃん、厨房を少し借りるね!」
厨房を取り仕切る大柄で威勢のいい料理長のおばちゃんに声をかけると、コートニーは隊服の袖を捲り上げた。
「まあ、銀薔薇の魔女じゃない。あんた、今度は料理人になるつもりなのかい?」
「違うよ。ちょっと真面目な攻略の準備中なの」
腰に手を当てて威勢よく言い返しながら、コートニーは手際よく食材を取り揃えていく。
戦場で敵から恐れを込めて『銀薔薇の魔女』と呼ばれようと、今の自分にとって、ここは戦場以上の真剣勝負の場だった。
「絶対、あいつを落としてやるんだから」
コートニーは並々ならぬ気迫で包丁を握った。その気迫を感じ取ったらしいおばちゃんが、何も言わずにエプロンをかけてくれる。
「よし、やってやる!」
コートニーが頼りにするのは、三度目の人生で平民として生きた頃、母親だった女性に叩き込まれた調理の手順と、かつてユリウスの傍らにいた頃の記憶に残る、うっすらとした味覚の面影だった。
手掛けるのは、ライトリム王国の素朴な郷土料理――ラム肉と根菜の黒ビール煮込み。
大きめに切った羊肉と玉ねぎ、カブ、ジャガイモ、人参を、コクのある黒ビールとタイムやローズマリーなどの香草でじっくり煮込む濃厚なシチューだ。仕上げに少し固くなった黒パンを浸してとろみを出すのが、味の決め手になる。
寒冷なライトリム王国で、農民たちが寒さを凌ぐために食べる温かな家庭料理。洗練された宮廷料理とは程遠いが、誰の記憶にも深く刻まれているソウルフードである。
「手際だけは一人前だねぇ。あんた、見かけによらず家庭的なんだねぇ」
感心したように見守るおばちゃんをよそに、コートニーは鍋を睨みつけた。湯気とともに立ち上る懐かしい香りに、確かな手応えを感じている。
「胃袋を掴めば、男なんてチョロい」
数時間後。
コートニーは完成した料理をトレイに載せ、牢から出されて快適な部屋に軟禁されているユリウスのもとへ、意気揚々と運び入れた。
「ユリウス殿下。あなたの食が進まないと報告を受けたので、差し入れに参りました」
銀の蓋を外すと、黒ビールのほろ苦く香ばしい香りと、タイムやローズマリーの爽やかな風味が一気に部屋へ広がった。深みのある褐色のスープの中で、ごろりと大きく切られた羊肉やニンジンが存在感を放っている。
ソファーに深く腰掛け、窓の外を所在なさげに眺めていたユリウスが、ゆっくりと視線をこちらへ向けた。疲弊しているように見えるその顔には警戒の色が濃く浮かんでいたが、漂ってきた香りに、ほんのわずかに眉が動いた。
その小さな変化を見逃さなかったコートニーは、心の中で拳を握る。
食いついた!
「……宮廷料理人が腕を振るった料理すら喉を通らないというのに、わざわざ君が持ち込んだ怪しい物を俺が食べるわけないだろう」
「でも、これはどうしても殿下が食べたくなる味だと思いますけど」
コートニーはにやりと笑い、とろみのついたシチューをスプーンですくうと、わざとらしく彼の前へ差し出した。
「冷えた体を温める、ライトリムの誇るソウルフードです。固くなった黒パンでとろみを出す、あの懐かしい味。一口だけでも、試してみる価値はあると思いますけど」
ユリウスは、差し出されたスプーンから立ち上る湯気をじっと見つめている。
黒ビールの芳醇で香ばしい匂いと、ハーブの清涼感。そして、スープに溶け込んだ黒パン特有の甘酸っぱい香りが、静かな室内に広がった。
「……馬鹿馬鹿しい」
ユリウスは吐き捨てるように呟き、コートニーの手元から視線を逸らした。
「そんな露骨な郷土愛に訴えかけるような真似で、俺の口が割れるとでも思っているのか? どこまで浅はかなんだ、君は」
「口を割らせるためじゃありませんよ。もう、その必要はないですし」
コートニーは眉ひとつ動かさず、差し出したスプーンを引っ込めると、そのまま器の端にぽんと戻した。感情を剥き出しにされても、ここで腹を立てては作戦が台無しになる。
「毒の心配はありません。なぜなら私が完璧に調理したものだから。何なら、目の前で毒味して差し上げましょうか?」
「結構だ」
「なら、冷めないうちにどうぞ」
「いらん」
ユリウスは短く拒絶すると、そのままコートニーから顔を背け、再び窓の外へ視線を戻した。まるでコートニーという存在そのものを無視するかのような横顔に、胸の奥で苛立ちの火種が弾ける。
なんでこんなに可愛げないのよ。
湧き上がる怒りを引きつった笑みの下へ押し込み、コートニーは腕を組んで挑発するように鼻を鳴らした。
「そこまでおっしゃるなら、私がここで全部平らげますけれど。手間暇かけて作ったので、捨てられるのは嫌ですし」
わざと意地悪く言ってみせる。
すると、ユリウスは苦々しげに息を吐き、嫌々ながらといった様子で肘掛けから身体を起こした。
重厚な魔力遮断の腕輪が、金属特有の擦れ合う冷たい音を立てる。ユリウスはコートニーを観察するように鋭い視線を向けたあと、諦めたように息を吐き、テーブルの上のスプーンへゆっくり手を伸ばした。
「……味付けが合わなかった場合、二度と俺の前にその面を晒すな」
「ご期待に添えるよう、全力を尽くしましたので」
コートニーは恭しく一礼しながら、内心で小さくガッツポーズを作った。
よし、まずは一歩前進。
「……郷土料理で毒気を抜こうという作戦か」
ユリウスは鼻で小さく笑い、冷ややかな視線をシチューへ向けた。
スプーンが深みのある褐色のスープを掬い、薄い唇へと運ばれていく。その一口が口に入った瞬間、コートニーは彼の喉が動くのを、息を詰めて見守った。
「敵国の料理を完璧に模倣して警戒を緩めさせようとは、おめでたいな」
氷のような毒舌を淡々と吐きながら、ユリウスは優雅な手つきでスプーンから持ち替えたナイフとフォークを動かしていく。文句を言う口とは裏腹に、料理を口へ運ぶ手は一度も止まらなかった。
「味付けの塩梅は雑だし、煮込みも甘い。我が国の市場で売られている安飯以下の代物だ」
散々に貶しながらも、ユリウスは一切れ残さず、スープの一滴まで綺麗に完食した。
その様子を見ていたコートニーは、思わず身を乗り出した。
「どうですか? 私の優しさにグッときましたか?」
すると、ユリウスは口元をナプキンで拭い、冷めた一瞥をコートニーへ向けた。
「二度とこんな不愉快な茶番を仕掛けるな。下げろ」
「……っ」
完璧に平らげた上で叩きつけられた容赦ない酷評に、コートニーの顔が屈辱で赤く染まる。
完食しといて何なの、その言い草は!? どこがイチコロなのよ、バカじゃないの!?
怒りと惨めさで吐き気がした。胃袋作戦は、見事に大失敗である。
コートニーは空になった皿を乱暴にトレイへ回収すると、捨て台詞ひとつ残さず、殺気立った足取りで部屋をあとにした。
「胃袋作戦、ただ無駄骨を折っただけなんだけど」
自分の甘さを深く呪いながら、コートニーは廊下を歩いた。前世の記憶というものは、時にこういう形で牙を剥く。便利なようで、まったく信用ならない道具だった。




