30. 来世じゃなくて
ある日、コートニーはヨハンから「個人的な用件だ」と呼び出された。
「げー、最近音沙汰なかったのに」
ユリウスと正式に付き合うことになったと報告して以来、ヨハンから二人の関係について何か言われることはなかった。できれば、このまま嵐が過ぎ去ってくれればと淡い期待を抱いていたのだが、やはり甘かったらしい。
気乗りのしない足取りで執務室の重厚な扉を叩き、入室の許可を得て中へ入る。
「失礼いたします」
部屋の奥、書類の山に囲まれたデスクに座るヨハンは、ペンを動かす手を止めると、鋭い瞳でコートニーをじろりと見上げた。その顔には、隠しようもない不機嫌さが滲んでいる。
「ようやく来たか、コートニー」
低い声とともに吐き出された溜息に、背筋を正した。
「僕がどうして君を呼んだか、わかるよね?」
「はい……というか、目の下の隈、すごいですよ、殿下」
いつもは澄ました顔で、美青年ぶりを遺憾なく発揮しているヨハンが、珍しく疲労の色を隠しきれずにいた。
「アイツの担当に君を任命した自分の采配を悔やんで、眠れぬ夜を過ごしているんだよ」
はぁぁ、と、これみよがしにヨハンが大きなため息をつく。
それは、まあ、自業自得なのでは?
コートニーは内心で冷ややかに突っ込んだ。そもそも自分を牢へ送り込んで、今回の騒ぎのきっかけを作ったのは、他ならぬヨハン自身なのだから。
「君は、本当にアイツでいいの?」
「はい」
「弱みを握られてるわけじゃないんだよね?」
「はい」
ヨハンの盛大なため息が、もう一度落ちる。
「君は、僕の側にずっといるもんだと思ってたんだけどな」
「がっかりさせてしまい、申し訳ありません」
「ほんとそれ」
ヨハンは、恨みがましい目でコートニーを見た。
「君は、僕を敬愛しているんだよね?」
「はい。その気持ちは、変わらず持っています」
コートニーは、団服の胸に刺繍された銀色の薔薇へ、そっと拳を当てた。
「ヨハン殿下に拾い上げていただいたことは、心から感謝しています。私は死ぬまで殿下に忠誠を誓います」
「だったら、アイツと別れてよ」
「それは無理です」
「でも、僕には死ぬまで感謝するんだよね? 矛盾に気づいてる?」
「殿下に寄せる思いは敬愛です。ユリウス殿下に寄せる思いは、世界にたった一つしかない、特別な気持ちです。だから、矛盾はしていません」
きっぱりと言い切った。
ヨハンは呆れたように肩をすくめると、椅子の背もたれに深く身体を預けた。
「恋とは、人をこんなにも愚かにするものなんだな」
そう呟いてから、少しだけ悪戯っぽく口元を歪める。
「まあ、いいさ。ライトリムの次期国王を骨抜きにして、我が国にこれ以上の敵意を持たせないどころか、繋ぎ止めておけるというならば、君のその忠誠の形も悪くはない」
「殿下、それはさすがに言い方が……」
「事実だろう? これで我が国の貴族どもから『銀薔薇の魔女の件をどう扱う気だ』と突き上げられても、僕にはいくらでも突っぱねる大義名分ができたわけだ。まったく、胃薬の量を増やしてまで君たちの手綱を握ってあげるんだから、感謝してほしいものだね」
不機嫌そうに呟きながらも、ヨハンはどこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「今まで、自分から欲しいと願うものを持たなかった君が、初めて欲しいと願う男に出会えたことは……」
ヨハンがじっとコートニーの目を見つめた。
「きっと、喜ぶべきことなんだろうね」
その目が、わずかに寂しさを帯びる。
「君とは、随分長い付き合いだから。手放すには惜しいんだけど」
ヨハンはゆっくりと息を吐いた。
「まあ、今まで役に立ってくれた分、僕がなんとかするよ」
「殿下……ありがとうございます」
「礼はいらないよ」
ヨハンは照れ隠しのように顔を背けた。
「というか、なんだ。その……こちらこそ、今までご苦労だった。それから、あいつに伝えておいて。『我が国の宝を攫っていくからには、相応の覚悟と対価を用意しておけ』って」
「……ヨハン殿下」
「勘違いしないでくれ。君をみすみす他国に奪われるくらいなら、僕が利用できるだけ利用してやるというだけの話だ。もういいよ。業務に戻って」
追い払うように手を振るヨハンを前に、コートニーは深く、深く頭を下げた。
「御心遣い、心より感謝申し上げます」
執務室をあとにしたコートニーは、ゆっくりと息を吐き出す。
二人の恋路を認めない勢力の先頭に立ちはだかる強敵。ずっとそう思っていたヨハンが、まさか、こんな形で味方についてくれるとは思いもしなかった。
身分差や政治的な思惑など、乗り越えるべき壁はまだまだ山積みだ。それでも、自分の居場所を守りながら、ユリウスと共に進むための足場は、確かに固まりつつあった。
「次の手紙にはなんて書こうかな」
青く澄み渡る空を見上げながら、コートニーは口元をほころばせた。
*
コートニーとの面会を終えたヨハンの動きは、驚くほど早かった。
『銀薔薇の魔女だからといって、人として幸せになる権利がないわけじゃないよね』
そう主張して人権問題に取り組む活動家たちを次々に取り込み、議会での反対意見を鮮やかにねじ伏せていった。もちろん、コートニー自身も機密情報を口外しないことを誓う、分厚い書類の束に何枚も署名させられることになったが。
身分の問題についても、先の戦争での活躍に加え、調印式の夜、舞踏会で終戦反対派の刺客からユリウスを救った一件が大きな追い風となった。ギルテール王国は、コートニーにしかるべき名誉貴族位を授けることを決定した。
その裏で、あらゆる根回しをこなしていたのは、他でもないヨハンだった。
そうして一つひとつ、二人の間に立ちはだかっていた障害を取り除き、ようやくコートニーとユリウスは、結婚を許されることとなった。
二十歳だったコートニーは、二十三歳に。
二十一歳だったユリウスは、二十四歳に。
牢の中で、捕虜と尋問官として出会ってから、実に三年。
長いようで、振り返ればあっという間だった三年間を経て、二人はようやく夫婦になった。
王子と銀薔薇の魔女の結婚は、ライトリムとギルテール、両国の和平の象徴として、多くの民から祝福を受け、盛大に執り行われた。
*
昨日は、怒涛のような一日だった。
両国の重鎮たちが顔を揃えた盛大な結婚式典に、途切れることのなかった祝福の歓声、そして夜遅くまで続いた披露宴。大樹団での過酷な任務で鍛え上げられたコートニーでさえ、豪奢なドレスの重みと慣れない立ち振る舞いに、すっかり骨の髄まで疲れ果ててしまったほどだ。
ユリウス様も、本当に頑張ってたし。
普段は凛々しく勇猛な王子として、あるいは聡明な次期国王として振る舞っている彼が、昨夜は寝台に入った途端、コートニーを抱きしめたまま、あっという間に深い眠りへ落ちてしまった。
枕から零れ落ちた濡れ羽色の髪が、差し込む朝光を吸い込んで柔らかに煌めいている。
長く整ったまつ毛、すっと通った鼻筋、そして少しだけ緩んだ薄い唇。
かつての人生では、彼が隣でこんな無防備な寝顔を見せてくれるなんて、想像すらできなかった。
冷たい牢獄での緊迫したやり取り。そして、互いの過去と呪いを解き明かした、あの夜。
それから、血まみれの彼の腕の中で、微笑んで交わした約束の言葉。
『また、来世で』
『……ああ。必ず』
その約束の言葉は、呪いのような執念となって、コートニーを幾度も生まれ変わらせ続けた。
だが、その旅路の果てに、コートニーはようやく辿り着くべき場所へ辿り着いた。
数々の困難を乗り越え、何度も「来世」を夢見た末に手に入れたのが、この穏やかで、何の変哲もない朝なのだと思うと、胸の奥から愛おしさが込み上げてくる。
「もう、来世はいらないんだ」
小さく独り言のように呟いて、コートニーはそっと手を伸ばした。
彼の頬に触れるぎりぎりのところで、その輪郭を指先でなぞる。すると、規則正しかった寝息がふっと途切れ、ユリウスのまぶたが小さく震えた。
「……ん……コートニー?」
寝ぼけ眼のまま、ゆっくりと開かれた黄金色の双眸。そこに自分が映っているのを確認すると、ユリウスはふわりと目元を緩め、掛け布団の中でコートニーの腰を引き寄せた。
「おはよう……ちゃんと、俺の隣にいてくれたんだな」
まだ掠れた低い声で囁きながら、彼の顔が首筋へと埋められてくる。肌に伝わる体温と、寝起きの少し高い熱に、コートニーの頬が自然と熱くなる。
「おはようございます、ユリウス様。どこにも行かないです。私はもうあなたの妻なんですから」
照れくささを隠しながら答えると、ユリウスは満足そうに小さく笑い、コートニーの額に優しく唇を落とした。
コートニーはユリウスの頬にそっと手を添え、囁く。
「来世じゃなくて」
金色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめ返す。
「今度は、ずっと一緒にいてね」
「ああ。必ず君のそばにいるよ」
ユリウスが静かに目を細める。そして、コートニーの唇に優しく口づけた。
窓の外では、朝の光が少しずつ輝きを増していく。
赤い月の記憶は、もう遠い。
夢でも、幻でもない。
泥臭く掴み取った「今世」の、これが始まりの朝だった。
⋆⋅⋅⋅⊱∘――⋆完⋆――∘⊰⋅⋅⋅⋆
お付き合いいただきありがとうございました。
いつか書いてみようと思っていた輪廻ものでした。コメディとシリアスの割合に悩みましたが楽しんで頂けたら幸いです。また次回作でお会いできると嬉しいです。
ブクマにリアクション。それから評価もありがとうございます。とても励みになりました!!




