13. 残された者
暴行事件をきっかけに、ユリウスが軟禁されている部屋の看守は、入れ替えられることになった。
任務内容は今までと変わらず単純だった。ユリウスが妙な真似をしないか、たとえば再び自死を図ろうとしないかを監視すること。それから、内部の者が彼に危害を加えないよう目を光らせておくこと。
要するに、命を見張るという名の子守りだった。
コートニーもその人員に組み込まれた。理由は聞かされなかったが、おおよその見当はついている。ヨハンがユリウスと自分の関係を探るため。そして、その関係がどうであれ、使えると踏んだのだろう。
胃袋事件から始まり、暴行事件まで。いろいろあったわりに、最初の数日は驚くほど何もなかった。
コートニーが部屋の隅の椅子に腰かけている間、ユリウスは与えられた本を黙々と読んでいた。声をかける気は起きなかったし、向こうから話しかけてくる気配もない。互いに空気のような存在として、ただ同じ部屋で時間だけをやり過ごしていた。
かかわらなければ、心を無駄に消耗せずに済む。コートニーは、内心その無言の空間に感謝していた。
このまま、過去の幻影が大人しくしていてくれれば、私は自分の人生を進める。
そう思っていた。
だが、その淡い期待は、あっけなく打ち砕かれた。
ユリウスと無言の時間を過ごして四日目のことだった。
「君はどうして今の職につこうと思ったんだ?」
本のページをめくる手を止めないまま、ユリウスがふと尋ねてきた。
「言う必要あります?」
即座に突っぱねた。
コートニーは、他人に自分の来歴を語ることに慣れていない。語ったところで同情されるのも、憐れまれるのも嫌だった。何より、もうユリウスとかかわりを持ちたくなかった。
「暇なんだ。付き合え」
ずいぶん身勝手な理屈だと思った。だから、コートニーは聞こえないふりをする。
「なるほど。ヨハンに喋るなと言われているのか」
「喋るなとは言われてません。もはや外交の駒でしかない捕虜のあなたと、私が会話を交わす必要を感じないだけです」
冷めた声で言い返し、コートニーは腕を組んだ。視線はユリウスではなく、固く閉ざされた木製の扉へ向けたままだ。
「外交の駒、か」
ユリウスは短く鼻で笑うと、開いていた本を膝の上で静かに閉じた。
「……自分が捕虜にでもならない限り、この戦いは終わらないと思ったんだ」
淡々とした口調だった。
「長引けば長引くほど、失われる命が増えるだけだ。ならば、俺の命ひとつが失われることで、終わるきっかけになるなら、それでいい」
その言葉を聞いた瞬間、コートニーの腹の奥が熱くなった。
何よ、それ。
自分の命くらい、もう少し大事にしなさいよ。
勝手な計算で捕虜になったのだとしても、その根底にある考え方が、あまりにも軽々しかった。自分ひとりの命を差し出せばすべてが丸く収まるとでも思っているのか。
「……何それ」
低く押し殺した声が漏れる。
コートニーは腕をほどき、金色の瞳を真正面から見据えた。
「自分一人で悲劇の英雄気取りですか。あなたが命を捨てて戦いが終わったあと、残された人間がどんな顔をして生きていけばいいのか、考えたことはあるんですか」
言い切った瞬間だった。
「あ」
自分で自分に刺さった。
あまりにも見事なブーメランだった。
先にその身を投げ打ち、ユリウスを遺して死んだのは他ならぬ自分だ。残された者がどれほどの孤独と痛みを抱えるのかなど、死んでしまった自分には知る由もなかった。
コートニーは、それ以上何も言えなくなった。
そんな彼女を見つめ、ユリウスは静かに目を細める。その視線が、胸の奥に隠したものまで見透かそうとしているようで、落ち着かない。
「……忘れてください。今のは、ただの看守の軽口です」
あえて冷たく言い放ち、視線を逸らす。握り締めた拳に爪が食い込み、鋭い痛みが走った。
しばらく沈黙が続いた。やがて、ユリウスが静かに口を開く。
「残された者はどんなに深い傷を抱えていても、生きている限り前へ進むしかないんだよ」
波ひとつ立たない湖面のように静かな声だった。けれど、その言葉には妙な重みがあった。
コートニーは、逸らしたばかりの視線をゆっくりと戻す。
「どれほど理不尽に置いていかれても、遺された側には『生き続ける』という選択肢しか残されない。だからこそ、終わりを悟った者が払う犠牲には、それに見合う意味がなければならない」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
その言葉は、あまりにも実感に満ちていたからだ。
まるで、本当に「遺された側」の痛みを知っている人間の言葉だった。
「なんなの、それ」
掠れる声で呟くコートニーの背筋を、冷たい戦慄が走る。
ユリウスに前世の記憶などあるはずがない。一度目の人生で自分を失ったあとも、二度目、三度目と人生を重ねるたび、姿形は同じでも、彼はコートニーのいない人生を歩んできたはずだ。
それなのに、今の彼が口にした言葉は、まるで誰かを失った人間だけが知る痛みを帯びていた。
ほんの一瞬、コートニーの脳裏にありもしない光景が浮かぶ。
自分が死んだあと、一人残されたユリウス。その後、彼がどんな人生を送ったのか。どれほどの時間をかけて自分の死を受け入れたのか。誰かに支えられたのか、それとも誰にも見せない場所で、ずっと傷を抱えていたのか。
勝手に死んだ自分には、そんなことを考える資格などない。
それでも、目の前の男が見せる一瞬の陰りが、どうしても気になってしまう。
試されているのは、私の方なの?
恐る恐る、その顔を見つめる。けれど、端正な顔立ちをどれほど凝視したところで、「覚えている」などと、はっきり額に書いてあるはずもない。
静謐な瞳の奥にあるのは、冷ややかな知性と、捕虜としての諦めだけに見える。
鋭い洞察力でコートニーの本質を突き、揺さぶっているだけなのか。それとも、何かを知ったうえで、あえてこんな言葉を投げかけているのか。
どれほど探ろうとしても、彼の真意は煙に巻かれたように見えてこなかった。
こういうの、疲れる。
この男を前にすると、前世の記憶が邪魔をして、思考の軸が簡単にぶれてしまう。
ただの敵国の捕虜として接していればいいものを、過剰に言葉の裏を探り、勝手に踏み込まれ、一人で混乱して勝手に疲弊している。
向こうは何ひとつ手の内を明かしていないのに、自分だけが勝手に踊らされているような気分だった。
それも全部、前世の自分のせいだというのが、さらにきつい。
この男と対峙すると、過去の記憶に引きずられて、今の自分の気持ちを素直に口にできない。言葉を重ねるほど矛盾は膨らみ、その刃は自分の喉元へ跳ね返ってくる。
過去の自分に足を引っ張られ、今の自分まで否定されていくようで、たまらなく苦しかった。
私はもう、あの頃の哀れな令嬢じゃない。
コートニーは膝の上で拳を握りしめる。
自由になりたいのよ。あなたからも、あの過去からも。かつて愛し、愛された記憶の重荷をすべて捨てて、一人の人間として未来へ歩き出したい。
それだけなのに、目の前にいる男は、その存在そのものが、コートニーを過去という名の檻につなぎ止める鎖だった。
「……余計なお世話でした。忘れてください」
動揺を押し殺し、コートニーはもう一度だけ冷たく言い切った。
ユリウスは追いすがることもなく、ただ静かにこちらを見つめている。
その視線から逃れるように、コートニーは深く息を吐いた。
それでも、胸の奥で渦巻く焦燥と、過去を断ち切りたいという切実な渇望だけは、重く冷たいまま消えてくれなかった。




