第六章:旅立ちのあわいに(五)
頼光が月守に報告に行ってから二日後、月の御所からの使いがやってきて、水の国と火の国に頼光らが訪問するという沙汰が伝わったことを知らされた。
頼光から金時、季武、澪にその知らせを伝えられ、一同は翌日に水の国へ出発することが決まった。
その日の昼間、澪は旅立ちの前に、少しでも刀を使った護身術をモノにすべく、綱に指示を受けていた。
すでに前日の最後には懐刀を使う訓練を受けており、前日のおさらいから始まっていた。
懐に収めた小刀の重みが、胸の内に淡い緊張を与えている。これは、昨日綱から受け取ったばかりの懐刀。貸与されたそれは、細身で扱いやすく、装飾も控えめな実用的な作りだった。
「構え方、思い出せるか?」
澪は覚悟を決めた用意に一呼吸した後に答える。
「はい、……この向き、ですよね」
澪は両足をやや開き、懐から刀を抜いて構える。姿勢はまだぎこちないが、指先には確かに緊張が宿っている。
「刃は下。体の内側を守るように構えて。懐刀は相手を斬るためじゃない。命を奪うより、生き延びるための武器だ」
綱の言葉は淡々としていたが、どこか澪の心に沁みるものがあった。
「この刀を出す時は、本当に危ないときだけにしろ。抜いた瞬間から、相手も命のやり取りを覚悟する。貴殿も、その覚悟で握るんだ」
「……はい」
澪は小さく頷いた。合気道と違って、刀を振るえば誰かを傷つけることになる。澪に人を切るという実感は全く持てず、覚悟も定まってなどいなかったが、自分を守ること、皆の足手まといにならないこと。そのことだけを考えるようにしていた。
「じゃあ、動いてみろ。俺が軽く攻める。逃げなくていい、姿勢を崩さないこと」
綱が木刀を下げて構えた。澪もそれを正面から見据える。
小さな一歩。綱の木刀が澪の肩に向かって滑るように伸びる。澪は半歩退いて受け流すように懐刀をかざすが、間合いが甘く、綱の木刀がわずかに彼女の袖をかすめた。
「っと……!」
綱はすぐに刀を引き、澪に視線を向ける。
「悪い。加減が出来ていなかった」
「いえ、手加減は無用です。私の構えが甘かったので」
澪の目は真っ直ぐ綱を見据えていた。
「……うむ、度胸は及第点だ。逃げなかったのだから」
「怖かったです。でも、練習で逃げていたら本番で絶対に使い物になりませんから」
「その意気や良し。今度は振り下ろす。手首を斬られる前提で動け。最悪、刀は落としてもいい」
「はい!」
そうして空が赤みを帯びるまで澪は何度も構え、受け、退き、構え直した。
木刀の軌道が宙に線を描くたびに、懐刀を持つ彼女の手に確かな感覚が宿っていく。
最初は怯えていたその動作も、やがてしっかりと“守る”意志を携えたものへと変わっていった。
最後の一太刀を受け流したところで、綱がふと微笑んだ。
「……最低限の身は守れるようになった」
「本当ですか?」
「嘘は言わない。ただし、これはあくまで練習。付け焼き刃なものだ。まずは逃げ延びることを考えろ」
「……はい」
夜の気配が空を染め始める頃、ふたりは静かに稽古を終えた。
*
澪が汗でほてった身体を少しでも冷まそうと手をひらひらとあおぎながら廊下を歩いていると、廊下の向こうから軽快な足音が近づいてくる。やがて現れたのは、上裸に羽織だけを引っかけ、髪がしとどに濡れている金時だった。
「あ、澪ちゃん! 今稽古終わり?」
「うん。渡辺さんに付き合ってもらって……金時さんはお風呂上がり?」
「そうそう。ちょっと外で走り回ってたから暑くて」
「髪の毛濡れたままだと羽織まで濡れちゃうよ。」
澪がそう言った時にはすでに遅く、金時の髪から滴り落ちた水は羽織の首元を大きくぬらしていた。
「うへ。やっちゃったな〜。ま、いいや寝る時はどうせ上半身裸で寝るし」
「ええ!?そうなの?」
「うん。あ、流石に澪ちゃんの前では慎むよ」
そう言って、引っ掛けていただけの羽織に袖を通した。
澪もあまり見ないように視線を逸らす。
「いよいよ明日から水の国だね。また長旅になるから、今日はゆっくり休んでね」
「ありがとう。金時さんも。そういえば水の国は女性の当主なんだよね?」
そう言って澪が次に訪れる国の話題を出すと、金時がパッと顔を輝かせながら答える。
「そう!!なんと言っても天女の如き美しさらしいんだよね!いや〜、どんなお姿なのか今からお会いするのが楽しみだなぁ」
「金時さんは女性だとみんな好きなんですか?特にこういう人がっていうのがあるの?」
澪はふと、気になっていたことを質問する。
金時はびっくりしたように目を丸くしたがすぐに笑って答える。
「まさか澪ちゃんにそんな質問されると思ってなかったなぁ。確かに女の子はみんな可愛くて好きだよ」
「そうなんだね。何か女性が全体的に好きになった理由ってあるの?」
「え!?なんかめっちゃ聞くじゃん!う、う〜んあんまり深く考えたことないかなぁ。どうして?」
「ううん、深い意味はないんだけど、金時さんみたいに女性に会いたい〜とか、可愛い〜ってこんなふうに直接表現する人、今までの人生であんまり出会ったことなくて、なんでなんだろうなって疑問に思っただけなの。不快に思ったらごめんね?」
「そっか、こういうの珍しいのかな?でも、オレは思ったことしか言ってないし、思ったことそのまま伝えたら大体みんなも喜んでくれるんだよね。そうやって喜んでくれる女の子の顔を見るのは、男と喋ってる時にはない癒しをもらえるって言うかさ……ってオレなんかめっちゃ恥ずかしいこと言ってんね。まあ、とにかくそう言うわけでひっくるめると女好きってことだよね」
そう言って歯を見せながら金時は笑って答えた。
「なるほど…面白い考え方だね。でも、金時さんには特別な人っていたりしないの?」
澪はつい疑問が口をついて、咄嗟にハッとして訂正する。
「あ!ごめんなさい、立ち入ったことだね」
女性はみんな可愛くて、みんな好き、喜んでもらいたい、という発想の金時に自然と疑問が湧いてのことだった。その質問に金時はきょとんとする。
「トクベツな人…?うーーん、そりゃ長く会ってる子だったら自然と特別になるんじゃないかな? 今だったら澪ちゃんがトクベツかな」
「そ、そっか。確かに”単純接触効果”っていう言葉もあるくらいだしね」
「たんじゅん・・な、何ソレ?」
「”単純接触効果”っていうのがあってね。繰り返し同じ人と会うことによってその人への好意が上昇するっていう効果があるんだ」
「へー!澪ちゃん物知りだね〜。確かに…ソレなのかな?」
「そう…じゃないかな?」
お互い考えるようにしばしの沈黙が訪れたところに、風呂上がりの綱が現れた。
「二人ともこんなところで何をしてるんだ?」
「あ、綱くん!今澪ちゃんに単純ナントカっていうのを教えてもらっててね〜」
「なんだそれは…」
何も情報がない話に綱が呆れたように返す。そして澪を見てから驚いたような顔をする。
「望月殿、まだ風呂に入っていないのでは?」
「あ、そうですね!」
「え!?あ!ゴメン澪ちゃん!足止めしちゃってた!行ってきて!!」
「ううん、私が話続けてたんだから気にしないで。じゃあ金時さん、渡辺さんまた夕食で」
綱の声かけにより、金時と澪は話を切り上げ、澪は湯殿へ向かった。
その道中で、先ほどの金時との会話を思い返す。
(金時さんから積極的に話しかけられてもいやらしさみたいなのを感じなかったのは、本当にそういった発想がないってことなんだろうな)
それはある種、幼子のようで、金時の年齢から考えると、少し歪にも思えるくらいだが、事情を知らないのに余計な勘繰りはしてはいけないと、澪は思考を止めたのだった。




