第五章:忍び寄る影(六)
ここは、月の御所の一室。
色とりどりの玉や呪具が御簾ごしの光を受けて、床に七色の影を落としている。甘やかな香が花のように漂い、広い空間を満たしていた。
そんな部屋で、二人の女性が対峙していた。
一人は一段高い床に優雅に座し、もう一人はその前にひれ伏している。巫女装束の四十路手前の女だった。
かしずく巫女は、目の前の高貴な女性に口を開く。
「月守命、昨夜、源頼光一行が土の国から帰還したとの報告がございました。本日、源氏をお呼びいたしましょうか?」
「そう……」
月守命と呼ばれた女性は、伏せた睫毛の影を揺らし、手元の勾玉を指で弄びながら、気だるげに答えた。
「悪いけど、今日は月の巡りがよくないから……あなたが代わりに応対してくれる?」
「かしこまりました。何か伝えておくべきことはございますか?」
「特にはないわ。ただ、“早く事件を解決して”と伝えて。何か気になることがあったら報告してちょうだい。……それじゃ、私は寝室へ戻るわ」
「はっ」
月守命はすっと立ち上がり、かしずく巫女の横を静かに通り過ぎていった。
そのたび、金箔の簪がしゃらしゃらと小さく優雅な音を立てていた。
*
頼光が広間を後にし、綱も続いて席を立とうとしたそのとき、澪が声をかけた。
「渡辺さん、すみません。少しだけお時間、いいですか?」
「……なんだ?」
声をかけられるとは思っていなかったのか、綱は意外そうに足を止める。
「もしよければ、今日、稽古に付き合っていただけないでしょうか?」
それを聞いた金時が、ぱっと身を乗り出す。
「え!? なになに!? どうして綱さんに稽古? それってどういう展開!?」
「旅の道中で、一度だけ私が現世で習っていた武術を渡辺さんに受けていただいたんです。でも昨日一昨日のことを思うと……自分の身体を動けるように整えておきたいと思いまして」
「そういうことか。それなら構わない。君の武術には私も興味がある」
「えーっ、じゃあオレも混ざりたいな〜。澪ちゃんと手合わせしてみたい!」
「ええ、坂田さんも、ぜひ」
「澪さん、ちょい待ち」
話がまとまりかけたところで、季武が手を挙げて割って入る。
「昨日は急ごしらえでボクの着物をつこてたけど、今後のこと考えたら、動きやすい服を持っといた方がええやろ? 稽古より先に、まずは服を仕立てに行こ?」
その提案に、金時の瞳がぱっと輝く。
「さすが季さん! 確かに澪ちゃんに似合う服を用意するのが先だよね!」
「確かにおっしゃる通りなのですが……私、お金を持っていないので……」
「そんなこと、気にせんでええよ。ボクら賓客扱いやから、ある程度使える金は用意されてるんよ」
「そうそう、オレら月世じゃわりと金持ちなんだよね! だから澪ちゃんも気にせず仕立てちゃお!」
「……たしかに、自分の動きやすい服を持つのは大前提です。では、稽古はその後に」
綱は服の話に興味がないといった様子で、あっさりと話を切った。
「服ができたら声をかけてくれ。それまで待っている」
そう言って、綱は早々に広間を後にした。
「綱さんはどっか行っちゃったし、季さんとオレとで買い物行こっか!」
金時がにっこりと笑いかけると、季武も同調するようにうなずいた。
「そうやね。じゃあ澪さん、後で準備できたら一緒に市に行こか。既製品があればええけど、なかったら布買うて仕立ててもろたらええし」
こうして、澪・金時・季武の三人の今日の予定が決まったのだった。
*
澪たちが支度を終え、月影離宮の門をくぐろうとしていたそのとき――ちょうど廊下の向こうから、眠そうな顔をした貞光が姿を現した。
「さっちゃん、おはよう〜!」
金時が手を振ると、貞光は軽く会釈を返す。
「おはようございます。……三人揃って、どこかへ行くんですか?」
「澪ちゃんに似合う着物を買いに市へ行くんだよ」
そう聞いて、貞光の目が澪の姿へと移る。
「なるほど。それで澪さんは、昨日と同じく男装されているのですね」
その言葉通り、澪は小袖を脱ぎ、旅のときと同じ装束に着替えていた。
「ええ。さすがに卜部さんや坂田さんとご一緒するのに、小袖のままでは目立ってしまうかと思いまして」
「そうなんだよ、残念だけど男装してる澪ちゃんも凛々しくて可愛いから、それはそれで良し!」
金時が茶化すように笑いかけると、貞光は少し真面目な口調で言葉を続けた。
「物草聖にも女性だと見抜かれたそうですし、今の格好も、よく見れば女性だと分かる可能性があります。対策を検討してもいいかもしれませんね」
「それはそうやなぁぁ……。例えば、肩幅とか胴回りに布を詰めて厚みを出すとかやろか?」
「おっしゃる通りです……やはり、髪も切ったほうが良いでしょうか?」
澪が問いかけると、金時と季武がほぼ同時に声を上げた。
「それはダメだよ!」
「それはアカンわ」
「そ、そうですか……?」
「そんな綺麗な髪、わざわざ切る必要なんてないよ! もったいない!」
「せやせや。もし髪が理由で何かあったとしても、頼光さんがなんとかしてくれるわ。澪さんは、無理のない範囲で備えればええねん」
(別に髪にこだわりがあるわけじゃないけど……ここまで言われると、切るって言わないほうがいいよね…)
そう思いながら、澪は言葉を飲み込んで微笑んだ。
「まあ、何をどうするかはお任せします。それじゃ、私はこれで。お気をつけて行ってきてください」
軽く一礼する貞光に見送られ、澪たち三人は市へ向かって歩き出した。
月の宮の市――見慣れない世界への期待と、身を慎まねばという緊張が、澪の胸の内に静かに重なっていた。




