第四章:怠け者だった男の国(六)
土の国:豊かな土地があり、農耕を中心とした月世の食を支えている国
物草家:土の国の当主を務める一族
物草聖:物草家の当主であり、土の国の主
月の宮:月世の都。頼光らが滞在している場所
月守:月世を統べる一族。月の宮の中枢にいる。
月守命:月守の当主かつ月世の頂点の存在。
貞光と綱と別れてからというもの、澪と頼光は目的地に向かって静かに歩みを進めていた。
昨晩の出来事以降、二人で話す機会もなかったため、妙に気まずい空気がつきまとっている。頼光も、どこか言葉を探しているようだったが、やがて意を決したように話しかけた。
「澪さん……」
「は、はいっ!」
「……昨晩のことなんだけど……。改めて、すまなかった」
「い、いえ……。よく確認せずに着替えていた私にも非があります。お気になさらないでください」
澪には怒りなどはなく、ただ、恥ずかしさと動揺があっただけだった。しかし頼光の表情は晴れない。
「……幻滅、してないだろうか……?」
どこか幼子のようにしょげた頼光の様子に、澪は思わず吹き出す。
「ふふっ……幻滅なんて、とんでもないです。源さんがそこまで気にされていたとは思いませんでした」
そう微笑む澪の表情を見て、頼光も安堵の息を吐いた。
「よかった……君に距離を置かれたらどうしようかと、正直不安だったんだ」
「私の方こそ、今朝からろくにお話しできなくて、気を揉ませてしまってすみません」
「いやいや、澪さんは謝らないでくれ」
こうして二人の間のわだかまりが解け、再び静かに畦道を進む。
彼らを取り巻く空気に、先ほどの気まずさはなくなっていた。
と、おもむろに頼光が澪に話しかける。
「それと……、一つお願いがあってね……」
「お願い、ですか?」
澪が首をかしげると、頼光は少しだけ言いよどんでから続けた。
「……俺のことを、“頼光”と、下の名前で呼んでくれないか?」
「えっ、下のお名前で……ですか?」
「家臣は皆、下の名で呼んでいるし、君にも同じように呼んでほしい」
そういうことか、と身構えていた澪は納得する。
「確かに今は小姓という設定ですし、私だけ違う呼び方をしていたら、かえって不自然ですね」
「あ、ああ。そういうこと…だ」
「……では、“頼光さん”と、呼ばせていただきますね」
「……っ、あ、ああ。よろしく」
どこか嬉しそうな笑みを浮かべる頼光に、澪も微笑み返した。
そして二人は自然な会話を再開しながら、目的の場所へと歩いていった。
*
一方、貞光と綱は猟師の家の裏手にある集落の一角を訪れていた。
最初に話を聞いたのは、隣に暮らす初老の男。薪割りの手を止めて、貞光の丁寧な挨拶に応じる。
「ああ……あの奥さんか。急にいなくなったと聞いて、驚いたよ。わしは何も見とらんが……」
「ご夫婦の関係について、何かお気づきのことは?」
綱の問いに、男はしばらく思案したのち、ゆっくりと答えた。
「猟師の旦那は寡黙で無愛想なところはあるが、悪い噂は聞いたことがない。腕も立つし、村じゃ信頼されとる方だよ。奥さんのことは……あまり知らんが、いつも静かにしてたな」
次に訪れたのは、川辺で洗濯をしていた若妻だった。事情を伝えると、彼女は迷った様子を見せたが、やがて口を開いた。
「……あの奥さん、とてもおしとやかで穏やかな方でした。誰にでも丁寧で、いつも静かに笑っていて……」
「ご主人との関係について、何か思い当たることはありますか?」
「うちは隣じゃないので詳しいことは分かりませんけど……普通に仲が良さそうに見えました。とくに喧嘩の声なんて聞いたこともありませんし……」
「事件当日、川辺で何か見かけたということは?」
「その日は市場に出かけていて……すみません、何も……」
それ以上の証言は得られず、ふたりは他の住人にも話を聞いたが、内容はほとんど同じだった。
帰り道、綱がぽつりと漏らす。
「……仲が悪そうな気配もないし、逃げる理由もなさそうだな」
「そうですねー」
「にしても、目撃情報がここまで出てこないとは」
「そうですねぇ」
綱の話に気のない返事をする貞光。それに気づいた綱が貞光をじろりと見やる。
「なんだその返事は」
「ああ、すみません。考え事してました」
「そうだったのか、それは悪い」
こういうことは貞光の方が長けている、という認識があるため、綱は考え事の邪魔をしたことに素直に謝罪した。
「いえいえ。話はちゃんと聞いてましたよ。なんだか、逆に引っかかるんですよね。証言があまりに整いすぎていて……むしろ何かを隠しているようにも思えてきます」
「どういうことだ?」
綱が意味がわからないという表情で貞光を見る。
「あちらの情報も踏まえて判断したいので、後で頼光さんたちと合流してから話しますね」
これ以上はここで聞いても答えてくれないと思い、綱も無言で頷いた。
*
一方その頃、頼光と澪も農村の通りを歩きながら、娘の失踪について近隣の住人たちへの聞き込みを行っていた。
最初に訪れたのは、娘の家の隣に住む中年の女性。家の前で草むしりをしていた彼女は、澪の声がけに少し驚いたような顔を見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて応じた。
「お忙しいところ、恐れ入ります。お隣に住んでおられた娘さんについて、なにかお気づきのことがありましたら教えていただけませんか?」
「ああ……あの子ねえ。ほんとによく働く、しっかり者の娘さんだったよ。お父さん想いで、毎日畑に出てさ。周りからも感心されてたよ」
頼光が穏やかな口調で続ける。
「ご家族のご様子で、特に気になる点はありませんでしたか?」
女性は首を軽く横に振った。
「いえね、特には。むしろ仲の良い親子だったと思うよ。お父さんが腰を悪くされてからは、娘さんが甲斐甲斐しく世話しててね……お父さんのこと、慕ってなきゃあそこまでしないさね」
貞光が指摘していた“酒乱の相”の件が引っかかっていた澪は、あまりに淀みのない語り口にわずかな違和感を覚えたが、表情には出さず、丁寧に頭を下げた。
「ご協力、ありがとうございました」
続いて、少し離れた畑で作業をしていた中年の男に話を聞いた。頼光が声をかけると、男は鍬を肩にかけながら振り返った。
「娘さんの件か?……ああ、びっくりしたよ。まさかこんなことになるとはな」
「何かご存知のことがあれば、教えていただけますか?」
男はしばらく考えるような素振りを見せてから答える。
「特に変わったことはなかったと思うよ。まあ、事件のあった日には会ってなかったけどね」
「ご家族の様子については、どう思われますか? たとえば親子関係が悪かった、など……」
澪の問いに、男は一瞬視線を泳がせたが、すぐに整った表情で答えた。
「んー……仲良くやってたんじゃないかな。お父さん、口数は少ないけど、娘さんのことは大事にしてるように見えたよ。……まぁ、ああいう不器用な人もいるしね、家族なりの距離ってのもあるだろうさ」
そう言って男は笑みを見せる。
「あなたが、その娘さんと直接話をされるような機会はありましたか?」
「ああ、最近はあまりなかったけど、うちのかみさんが井戸端で会った時に『いつも挨拶してくれる、良い子だ』って言ってたよ」
「なるほど…。ご協力ありがとうございました」
「ああ、早く見つかるといいな」
男はそう言って会釈すると、再び鍬を持って畑に戻っていった。
数件の聞き込みを終えた後、頼光と澪は村の外れまで足を運んだ。木々の葉を揺らす風が澪の頬を撫で、どこかひんやりとした感触を残していく。
「……結局、目撃情報はまったくありませんでしたね。それに皆さん、口を揃えて“仲が良かった”と……。でも、具体的な様子を尋ねても、なんだか当たり障りのない答えばかりで……」
澪が沈んだ声で呟くと、頼光も静かに相槌を打った。
「……ああ。誰も彼もが、同じような言葉で応じてくるのが、かえって気になるな。まるで、何か“話すべき内容”があらかじめ決められているような……。だが、誰が、何のために?」
「……」
澪は黙って頷いた。村の穏やかな風景の奥に、何か見えない幕が垂れているような違和感だけが、じっと心に残った。
「……一度、貞光たちと合流して情報を整理しようか」
「はい……」
ふたりは無言のまま、再び歩き出した。




