表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/62

第四章:怠け者だった男の国(六)

土の国:豊かな土地があり、農耕を中心とした月世の食を支えている国

物草家:土の国の当主を務める一族

物草聖ものくさひじり:物草家の当主であり、土の国の主

月の宮:月世の都。頼光らが滞在している場所

月守:月世を統べる一族。月の宮の中枢にいる。

月守命ツキモリノミコト:月守の当主かつ月世の頂点の存在。

 貞光と綱と別れてからというもの、澪と頼光は目的地に向かって静かに歩みを進めていた。


 昨晩の出来事以降、二人で話す機会もなかったため、妙に気まずい空気がつきまとっている。頼光も、どこか言葉を探しているようだったが、やがて意を決したように話しかけた。


「澪さん……」


「は、はいっ!」


「……昨晩のことなんだけど……。改めて、すまなかった」


「い、いえ……。よく確認せずに着替えていた私にも非があります。お気になさらないでください」


 澪には怒りなどはなく、ただ、恥ずかしさと動揺があっただけだった。しかし頼光の表情は晴れない。


「……幻滅、してないだろうか……?」


 どこか幼子のようにしょげた頼光の様子に、澪は思わず吹き出す。


「ふふっ……幻滅なんて、とんでもないです。源さんがそこまで気にされていたとは思いませんでした」


 そう微笑む澪の表情を見て、頼光も安堵の息を吐いた。


「よかった……君に距離を置かれたらどうしようかと、正直不安だったんだ」


「私の方こそ、今朝からろくにお話しできなくて、気を揉ませてしまってすみません」


「いやいや、澪さんは謝らないでくれ」


こうして二人の間のわだかまりが解け、再び静かに畦道を進む。

彼らを取り巻く空気に、先ほどの気まずさはなくなっていた。


と、おもむろに頼光が澪に話しかける。


「それと……、一つお願いがあってね……」


「お願い、ですか?」


 澪が首をかしげると、頼光は少しだけ言いよどんでから続けた。


「……俺のことを、“頼光”と、下の名前で呼んでくれないか?」


「えっ、下のお名前で……ですか?」


「家臣は皆、下の名で呼んでいるし、君にも同じように呼んでほしい」


そういうことか、と身構えていた澪は納得する。


「確かに今は小姓という設定ですし、私だけ違う呼び方をしていたら、かえって不自然ですね」


「あ、ああ。そういうこと…だ」


「……では、“頼光さん”と、呼ばせていただきますね」


「……っ、あ、ああ。よろしく」


 どこか嬉しそうな笑みを浮かべる頼光に、澪も微笑み返した。


そして二人は自然な会話を再開しながら、目的の場所へと歩いていった。





一方、貞光と綱は猟師の家の裏手にある集落の一角を訪れていた。


 最初に話を聞いたのは、隣に暮らす初老の男。薪割りの手を止めて、貞光の丁寧な挨拶に応じる。


「ああ……あの奥さんか。急にいなくなったと聞いて、驚いたよ。わしは何も見とらんが……」


「ご夫婦の関係について、何かお気づきのことは?」


 綱の問いに、男はしばらく思案したのち、ゆっくりと答えた。


「猟師の旦那は寡黙で無愛想なところはあるが、悪い噂は聞いたことがない。腕も立つし、村じゃ信頼されとる方だよ。奥さんのことは……あまり知らんが、いつも静かにしてたな」


 次に訪れたのは、川辺で洗濯をしていた若妻だった。事情を伝えると、彼女は迷った様子を見せたが、やがて口を開いた。


「……あの奥さん、とてもおしとやかで穏やかな方でした。誰にでも丁寧で、いつも静かに笑っていて……」


「ご主人との関係について、何か思い当たることはありますか?」


「うちは隣じゃないので詳しいことは分かりませんけど……普通に仲が良さそうに見えました。とくに喧嘩の声なんて聞いたこともありませんし……」


「事件当日、川辺で何か見かけたということは?」


「その日は市場に出かけていて……すみません、何も……」


 それ以上の証言は得られず、ふたりは他の住人にも話を聞いたが、内容はほとんど同じだった。


 帰り道、綱がぽつりと漏らす。


「……仲が悪そうな気配もないし、逃げる理由もなさそうだな」


「そうですねー」


「にしても、目撃情報がここまで出てこないとは」


「そうですねぇ」


綱の話に気のない返事をする貞光。それに気づいた綱が貞光をじろりと見やる。


「なんだその返事は」


「ああ、すみません。考え事してました」


「そうだったのか、それは悪い」


こういうことは貞光の方が長けている、という認識があるため、綱は考え事の邪魔をしたことに素直に謝罪した。


「いえいえ。話はちゃんと聞いてましたよ。なんだか、逆に引っかかるんですよね。証言があまりに整いすぎていて……むしろ何かを隠しているようにも思えてきます」


「どういうことだ?」


綱が意味がわからないという表情で貞光を見る。


「あちらの情報も踏まえて判断したいので、後で頼光さんたちと合流してから話しますね」


これ以上はここで聞いても答えてくれないと思い、綱も無言で頷いた。





 一方その頃、頼光と澪も農村の通りを歩きながら、娘の失踪について近隣の住人たちへの聞き込みを行っていた。


 最初に訪れたのは、娘の家の隣に住む中年の女性。家の前で草むしりをしていた彼女は、澪の声がけに少し驚いたような顔を見せたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて応じた。


「お忙しいところ、恐れ入ります。お隣に住んでおられた娘さんについて、なにかお気づきのことがありましたら教えていただけませんか?」


「ああ……あの子ねえ。ほんとによく働く、しっかり者の娘さんだったよ。お父さん想いで、毎日畑に出てさ。周りからも感心されてたよ」


 頼光が穏やかな口調で続ける。


「ご家族のご様子で、特に気になる点はありませんでしたか?」


 女性は首を軽く横に振った。


「いえね、特には。むしろ仲の良い親子だったと思うよ。お父さんが腰を悪くされてからは、娘さんが甲斐甲斐しく世話しててね……お父さんのこと、慕ってなきゃあそこまでしないさね」


 貞光が指摘していた“酒乱の相”の件が引っかかっていた澪は、あまりに淀みのない語り口にわずかな違和感を覚えたが、表情には出さず、丁寧に頭を下げた。


「ご協力、ありがとうございました」


 続いて、少し離れた畑で作業をしていた中年の男に話を聞いた。頼光が声をかけると、男は鍬を肩にかけながら振り返った。


「娘さんの件か?……ああ、びっくりしたよ。まさかこんなことになるとはな」


「何かご存知のことがあれば、教えていただけますか?」


 男はしばらく考えるような素振りを見せてから答える。


「特に変わったことはなかったと思うよ。まあ、事件のあった日には会ってなかったけどね」


「ご家族の様子については、どう思われますか? たとえば親子関係が悪かった、など……」


 澪の問いに、男は一瞬視線を泳がせたが、すぐに整った表情で答えた。


「んー……仲良くやってたんじゃないかな。お父さん、口数は少ないけど、娘さんのことは大事にしてるように見えたよ。……まぁ、ああいう不器用な人もいるしね、家族なりの距離ってのもあるだろうさ」


 そう言って男は笑みを見せる。


「あなたが、その娘さんと直接話をされるような機会はありましたか?」


「ああ、最近はあまりなかったけど、うちのかみさんが井戸端で会った時に『いつも挨拶してくれる、良い子だ』って言ってたよ」


「なるほど…。ご協力ありがとうございました」


「ああ、早く見つかるといいな」


 男はそう言って会釈すると、再び鍬を持って畑に戻っていった。


 数件の聞き込みを終えた後、頼光と澪は村の外れまで足を運んだ。木々の葉を揺らす風が澪の頬を撫で、どこかひんやりとした感触を残していく。


「……結局、目撃情報はまったくありませんでしたね。それに皆さん、口を揃えて“仲が良かった”と……。でも、具体的な様子を尋ねても、なんだか当たり障りのない答えばかりで……」


 澪が沈んだ声で呟くと、頼光も静かに相槌を打った。


「……ああ。誰も彼もが、同じような言葉で応じてくるのが、かえって気になるな。まるで、何か“話すべき内容”があらかじめ決められているような……。だが、誰が、何のために?」


「……」


 澪は黙って頷いた。村の穏やかな風景の奥に、何か見えない幕が垂れているような違和感だけが、じっと心に残った。


「……一度、貞光たちと合流して情報を整理しようか」


「はい……」


 ふたりは無言のまま、再び歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ