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第四章:怠け者だった男の国(四)

土の国:豊かな土地があり、農耕を中心とした月世の食を支えている国

物草家:土の国の当主を務める一族

物草聖ものくさひじり:物草家の当主であり、土の国の主

月の宮:月世の都。頼光らが滞在している場所

月守:月世を統べる一族。月の宮の中枢にいる。

月守命ツキモリノミコト:月守の当主かつ月世の頂点の存在。

 薄明かりが障子越しに部屋へ差し込んでいた。夜の余韻を帯びた静けさの中、澪はふと目を覚ます。


 昨晩見た夢が、まだぼんやりと記憶に残っていた。


(やけに苦しさが生々しい夢だった)


はっきりと覚えていないが、最後に訪れた安らぎがなければ、文字通り生きた心地がしないそんな苦痛を伴った夢だった。


(それに、あの髪の色……赤色だった)


 夢に出てきた男は角が生えており、鬼とわかる風貌だった。昨日頼光たちに赤髪の鬼の話を聞いたからあんな夢を見たのだろうか?

 なんとなく、この世界に関係してることだったのかもしれない——そんな予感にかられ、澪は目覚めたばかりの頭で忘れぬようにと内容を反芻した。


 身体を起こして衝立越しに部屋を覗くと、布団にはもう誰もいなかった。ほかの三人はすでに起きているようだ。几帳の向こうに視線を向けると、縁側に座り、朝の光を静かに浴びている貞光の姿があった。手には筆を持ち、何かを書き記しているらしい。


 昨日の約束を思い出し、澪は御伽草子の本を手に取って、そっと彼のもとへ向かう。


「……碓井さん。少し、よろしいですか?」


 声をかけると、貞光は振り返らずに答えた。


「おはようございます、望月さん。……ええ、構いませんよ。昨日のお話の続きですね?」


 澪は頷いて膝をつき、彼の隣に座る。本を膝の上に置いた。


「昨日お話ししたこの本は『御伽草子』といって、ひとつの物語じゃなく、いくつかの話が収められた短編集なんです。その中のひとつに『ものくさ太郎』という話がありまして——」


「ものくさ太郎、ですか……。ここの当主と同じ姓ですね」


 澪は、もともとの『ものくさ太郎』と、昨夜出現した新しい『ものくさ太郎』、それぞれのあらすじを語って聞かせた。

 貞光はしばし黙考した後、静かに言った。


「なるほど。どちらも“怠け者だった男が改心し、美男子であることが発覚、さらに高貴な血筋だったと分かる”という構造は同じですね……ですが、新たな物語には明確に“物草聖”の名が出てくる。常識的に考えれば、これは現在の当主・物草聖が地位に就くまでの実話、ということになりますね」


「ええ。私がこの本の白紙を埋めていくのかと思っていたんですが、どうやら物語が勝手に綴られていく仕組みのようなんです。」


「ふむ。勝手に消えるのですから、現れても不思議ではありませんね」


 明らかに常識外れの現象を、貞光はさして驚いた様子もなく受け入れていた。


「ただ……今出現しているのが過去の話だとすれば……これから澪さんが体験する物語については、ご自身で書き加える必要があるかもしれませんね」


「……確かに、それはあり得るかも」


 澪の相槌に、貞光は小さく頷きつつ言葉を継いだ。


「それにしても、もしこの話が事実だとすれば……物草聖はなかなかの野心家ですね」


「月守命に、地位を求めたところですか?」


「そうです。ただ地位を求めたわけではなく、“対等に語らえる立場”を望んだ。彼が本当に求めていたのは月守命そのもの——もしくは、月守命の上に立つこと、なのかもしれません」


 その推察に、澪は息を呑んだ。


「月守命そのものかーー、月守命の上に立つことーー」


「はい。もし元のものくさ太郎の筋書きと繋がりがあるなら、月守命そのものと言うのは恋愛的な意味もあるんですかねーー」


「物草太郎の後の女房ーー、その女房が月守命ということですか?」


「ええ。まあ、これはあくまで推測です。にしてももしそうだったら、思いも伝えずに対等な地位を求めるなんて、周りくどくないですか?」


 自分で言った説に納得がいかないように、貞光が不思議そうに澪に視線を向ける。


「た、確かに……そうかもしれませんね…」


「そういう、合理的じゃない感情を……人はなぜ抱くのか。私には、よくわかりません」


 どこか含みを持たせた口調で言いながら、貞光はふと空を仰ぎ、朝の風にそよぐ木々の音に耳を澄ませた。


「何にせよ、物草聖。油断ならない人物です。昨日も、それとなく誤魔化しましたが……彼が望月という姓に反応したこと。現世から来た者の名を全員把握しているなんて、普通はありえません。我々以外にも、数名とはいえ使用人もいるというのに」


 澪も、聖から名を指摘されたときのざわりとした感覚を思い出す。


「それだけでなく、現世と月世をつなぐ転移の術は、月守の巫女たちのみで行われるもの。にもかかわらず、彼がそこまで詳細を知っているのはなぜなのか。月守と極めて近い関係にあるか、あるいは独自に情報網を持っているのか……」


 澪が言葉を継ぐ。


「……後者だとすると、碓井さんが以前言っていた“月守側が彼らの動向を探る意図があるのではと”という説はやっぱり当たってるかもしれませんね」


「ええ。ただ、今の時点で結論づけるのは危険です。私としては推したくはありませんが、色恋が絡んでいる説も捨てきれません。いくつかの可能性を並行して検討しつつ、動きを見るのが得策でしょう。」


 縁側の先の景色を見つめながら話していた貞光は、澪に視線を向けて続ける。


「それと、望月さん。あなたは既に存在を疑われている。物草聖との接触は、できる限り避けてください。二人きりになるのはもってのほか、です」


 冷静に釘を刺され、澪は「一当主が小姓と二人きりになるなんて」と内心で疑いつつも、素直に頷いた。


 ふいに、貞光がぽつりと漏らす。


「……我々の役目は、ただ鬼を倒せば済むという話では、ないのかもしれませんね…」


 貞光には何が見えているのか。その言葉の真意を、澪には押し測ることができなかった。



 *



 貞光との静かな対話が終わる頃、朝の鍛錬を終えたのか、頼光と綱が汗を拭いながら戻ってきた。


 その直後、寝殿から使いの女中が現れる。


「皆様、当主様がお待ちでございます。朝の御膳を囲みながら、お話をとのことです」


 貞光と澪は軽く頷き、それぞれ手元に本と筆記具を整えると、頼光と綱と合流し、昨日と同じ寝殿へと向かった。


 *


 朝の光が優しく差し込む広間には、昨晩と同じく物草聖が静かに座していた。卓には豪勢さこそないものの、焼き魚、湯漬け、香の物などが素朴に、だが丁寧に並べられている。


「おはようございます。お休みになれましたか?」


 柔らかな笑みとともに聖が問いかけると、頼光が穏やかに応じる。


「ええ、おかげさまで。土の国は空気が澄んでいて、夜も実に静かでした」


「それは何よりです。……では、そろそろ本題に入りましょうか」


 女中たちが静かに下がるのを見届けると、聖の表情にはわずかな緊張が宿った。


「月守命からすでにお聞きかもしれませんが、当地では新たに二件の行方不明が発生しました。一人は農村の娘、もう一人は猟師の妻。どちらも女性です」


 そう告げた聖は目を伏せ、物憂げに続けた。


「我ら物草家は武に長けた家ではありません。そのため、皆様のお力を月守命に求めたのです。民の安寧のため、どうかお力添えを」


「行方不明者のご家族から、直接お話を伺うことはできますか?」


 頼光が慎重に問うと、聖は静かにうなずいた。


「ええ。既に事情をお伝えしてあります。皆様の訪問も了承済みです」


「それは助かります。本日中にお話を伺ってまいります」


「国を代表して、感謝申し上げます」


 深々と頭を下げた聖に、貞光がそっと手を挙げ、話題を変えた。


「話の途中で失礼いたします。我々の目的は“赤髪の鬼”の動向を追うことにあります。物草様のもとに、何か目撃情報などは届いていないでしょうか?」


 聖は一瞬思案するように視線を伏せた後、静かに答える。


「残念ながら、直接“赤髪の鬼”とされる者を見たという報告はありません。今回の行方不明も、痕跡もなく忽然と消えたというのみ。ただ、女性が人知れず姿を消すという異常さ——それこそが鬼の仕業だと言えるのかもしれません」


「承知いたしました。貴重な情報、感謝いたします」


「いえ……頼っておきながら、まともな手がかりも差し上げられず、心苦しい限りです」


 聖の言葉に、頼光が穏やかに補う。


「無理もありません。相手は鬼……人の理の及ばぬ存在ですから、我々も覚悟の上です」


 互いに静かにうなずき合い、やがて朝餉が終わると、聖が立ち上がって告げた。


「では、先ほどのご家族のもとへ案内を差し上げます。その後は周辺の視察も含め、ご自由に行動なさってください」


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 頼光が礼を述べると、他の三人もそれに倣って頭を下げた。


 姿勢を戻した澪がふと顔を上げると、聖の視線が一瞬だけ澪に向けられた。そして、意味深に微笑む。


(……見られてる?)


 その眼差しに、澪は背筋にひやりと冷たいものが走るのを感じた。

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