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第四章:怠け者だった男の国(一)

土の国:豊かな土地があり、農耕を中心とした月世の食を支えている国

物草家:土の国の当主を務める一族

物草聖ものくさひじり:物草家の当主であり、土の国の主

 

『ものくさ太郎』


 昔々、信濃の国に、ものぐさで名を馳せた男がいた。その名も物草太郎。朝から晩まで寝そべって働かず、人々の施しで暮らしていたという。


 ある日、村人たちは厄介払いと都への使者の名目で太郎を京へ送り出すことにした。「都で嫁を見つけて一人前になれ」と言われ、太郎もその気になって旅立った。


 都では、その汚れぶりに誰もが仰天したが、太郎は任を真面目に果たし、やがて美しき女房に心を奪われる。初めは逃げていた女房も、屋敷に忍び込んできた太郎と謎かけや和歌を交わすうちに、次第に心を動かされていった。


 こうして結ばれたふたり。女房は七日七晩、太郎の身を清める。すると、太郎は玉のように美しくなり、歌の才も相まって、ついには帝に召されることとなる。帝の前でも見事な才を見せた太郎は、じつは天皇の血を引く高貴な子と明かされ、立派な官位を賜った。


 その後、故郷に戻った太郎は女房と幸せに暮らし、多くの子に恵まれ、長寿をまっとうした。そして死後、神として祀られたそうな。




 〜〜〜〜〜〜




 空が朱に染まり始める頃、澪たちはようやく土の国の境にたどり着いた。


 それまでの山道がふいに開け、視界の先には緩やかな起伏に広がる田畑が見えた。稲穂が風にそよぎ、彼岸花の赤がその景色に彩りを添える。


 澄んだ水音が流れ、水路がくまなく土地を潤していた。


「ここが……土の国……」


 澪は思わず足を止め、その牧歌的な風景に見入った。


 遠くには茅葺屋根の家が点在し、鼻先をかすめる土と草の香りが、旅の疲れをそっと和らげてくれるようだった。


「豊かな土地ですね。月世の食を支える国……納得です」


 誰にともなく、貞光がつぶやいた。


 綱が目を細め、眼下の奥にある立派な寝殿造の屋敷を指さす。


「あれが物草家の本邸でしょうか」


「だろうな。問題なく着けてよかった。……関所へ向かうぞ」


 そうして麓へ降りた一行は、やがて土の国の関所にたどり着いた。木造の楼門に土塀を巡らせた簡素ながら堅牢な造り。左右には槍を構えた門番たちが立ち、鋭い視線を向けていた。


 頼光は堂々と門前に進み出ると名乗った。


「我らは月守の命により、物草家に謁見のため参上した。私は源頼光、こちらは我が家臣」


「証文は?」


「これだ」


 頼光が懐から文を取り出して渡すと、門番たちは目を通し、確認を済ませた後、声を整えて言った。


月守命ツキモリノミコトの印に間違いありません。通行を許可します。ただし、物草邸までは街道から外れぬよう、ご注意を」


 “月守命ツキモリノミコト”という聞き慣れない言葉に、澪は戸惑いを覚える。


 その気配を察した貞光が、耳元でそっと囁いた。


月守命ツキモリノミコトとは、月守の当主にして、月世全体の最高権力者。我々の世界でいうところの“帝”ですね」


 澪は思い出した。昨日の朝、金時が“月守の当主は美しい”と言っていた。その人物が、この“月守命”なのだろうと察した。


 一行は道を進み、やがて物草家の本邸に到着する。



 *



 しばらくして、先ほど眼下に見えた寝殿造の建物にたどり着いた。 頼光らが到着すると、まるで待ち構えていたかのように、女中と思しき女性が門の前で恭しく頭を下げ、「こちらへ」と屋敷の中へ案内した。


 女中の後について中門廊を渡り、寝殿へと入る。 天井は高く、柱と梁は磨き抜かれた檜の木肌があらわになっている。壁のない広々とした空間には、几帳や御簾が風に揺れ、柔らかく光と影の境を描いていた。


「間もなくひじり様が参りますので、こちらで今しばらくお待ちくださいませ」


 深く一礼し、女中は静かに部屋を後にした。


 ほどなくして、一人の男が現れる。年の頃は四十路よそじを超えたあたりだろうか。 色素の薄い茶髪が柔らかく揺れ、猫っ毛のようなふわりとした質感をしている。瞳も同じく淡い茶色で、彫りの深い顔立ちから、どこか異国の血を思わせる風貌だった。


 男は落ち着いた声で頭を下げる。


「皆様、遠路はるばる辺境の土の国までお越しいただきありがとうございます。私はこの地を治める、物草家当主の物草聖ものくさひじりと申します」


 その声には中性的な柔らかさがあった。


「出迎えてくださり、ありがとうございます。私は源頼光。こちらは家臣の渡辺、碓井、そして望月です」


 頼光が紹介すると、綱、貞光、澪も揃って頭を下げた。


「お疲れでしょう。しばしお休みください。今夜には宴を用意いたします。女中に対屋たいのやへご案内させます」


 聖の言葉に応じて、先ほどの女中が再び現れ、一行を案内する。


「本日はこちらの離れをお使いくださいませ」


 案内されたのは、十二畳ほどの広間だった。仕切りも何もなく、男女の区別がないのは澪の装いによる誤解だろうと、澪は薄々察していた。


「すまないが、衝立か屏風びょうぶなど、仕切りになるものを用意してもらえますか?」


 頼光が配慮を見せると、女中は不思議そうな顔をしながらも頷いた。


「承知いたしました。後ほどお持ちいたします」


 女中が立ち去ると、頼光は澪に向き直って詫びた。


「澪さん、ごめん。今日は男所帯の中で寝てもらうことになってしまって…」


「いえ、私がこの格好を選んだのですから、謝らないでください。それに、なんだか合宿みたいで少し楽しいです」


「合宿?」


 頼光が首をかしげる。


「あ、合宿というのは、友人や仲間たちと寝食を共にして、学びや絆を深める行事です」


「……男女でも一緒に寝るのかい?」


「いえ、さすがにそれはありません。でも雰囲気が似ているなって思っただけです」


「そうか……」


「頼光さん、流石にそれは大人気ないかと……」


 貞光が小声で呟くと、頼光が冷ややかに返す。


「うるさいよ、貞光」


 貞光は肩をすくめて苦笑した。


「私はこの辺で仮眠を取ります。宴の時間になったら起こしてください」


 そう言って貞光は壁際に腰を下ろし、静かに眠りについた。


「私は縁側で刀の手入れをしてきます」


 綱が一礼し、部屋を出て行った。


「澪さんも少しでも体を休めてね。俺も綱と行ってくる」


 頼光も部屋を後にし、部屋には澪と貞光だけが残された。


 澪は今の間に本を確認しておこうと、畳に座り膝の上に御伽草子を広げ、静かにページをめくる。


 ーーと、背後から声がした。


「それが、あなたをここへ導いた本ですね?」


 思わず跳ね上がった澪。振り返ると、先ほどまで眠っていたはずの貞光が本を覗き込んでいた。


「碓井さん……起きてたんですね」


「ええ。気になったのでつい」


 澪が落とした本を貞光が拾い上げ、ぱらぱらとめくる。


「……これは。澪さん、あなたには読めるんですよね?」


「はい、もちろん……どうかしましたか?」


「残念ながら、私には読めません。見覚えのある字に見えるのですが、意味が掴めない。文字と記号の区別も曖昧になるような感覚です」


「え……?」


 澪が覗き込むと、確かに祖母の筆致で「ものくさ太郎」とある。澪は大学時代に博物館を訪れ古典の現物を見に行ったこともあるが、草書と行書の違いはあっても貞光のいた時代と大きな差があるようには思えない。


 何か不思議な力が働いているのだろうか?そう疑問を持ちながら「ものくさ太郎」の項を見るともなしに見ていた澪は、突然目を見開いた。


 『ものくさ太郎』


 見慣れた祖母の字の続きには見覚えのない文章が綴られていたーー。

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