義姉さん 2
三月も半ばを過ぎた頃――
掃除をするために開け放った自室の戸を、義姉さんが顔を覗かせながら、ノックした。
「なぁ、ヒサ君。時間あったら、ここに何段か棚を作ってくれへん?」
荷造り真っ最中の俺に、義姉さんが日曜大工のリクエストをしてきた。
うええ~と、ごく自然に拒否の表情になった。
義姉さんは、俺の部屋を乗っ取る気でいるようだ。卒業式が終わったら、すぐにでも引っ越すと言った記憶はある。しかし、まだ後四日もあるのに……。
俺は壁に目をやって想像してみた。棚を作る、か……。簡単なことだが、只々面倒くさい。
仮に俺が義姉さんの頼みを断ったとして、その後、起こりうる状況を頭の中で整理してみた。
「まぁ、ええけどぉ」
結果、その日の昼から、俺は義姉さんと材料の買い出しに行くことにした。
――結婚しても、自室は別に欲しいやん。
義姉さんのこの一言で、兄貴に大掃除の手伝いをさせられていた。その要望はわからなくもない。だから、無理やり荷を移動して、ひと部屋を開けたし掃除も完璧にした。が、その俺と兄貴の苦労の結晶である四畳半は、義姉さんのバッグと靴と服だけで、一瞬にして埋まってしまっていた。
しかも、義姉さんはまだ足りない、と言っていた。
智美義姉さんが、この家に嫁いできて、約一ヶ月。
正直にいうと、この義姉さんが苦手になっていた。俺に姉妹がいないせいで、女性を神聖視しすぎていた、ということもあるか……。
兄貴を取られて、俺が嫉妬している、なんて言ってくる友達もいた。これは見当違いも甚だしいということで、除けておく。恋愛経験値が低いなりにも思惟、大雑把で派手な女性と相性が良くないのでは、という結論に至っている。
寒さは日に日に和らいでいた。特に今日は、風に悪意の込もったような鋭さを感じない。
そんなお出かけ日和で、無事に免許を取得した俺が運転しているのは、義姉さんの嫁入り道具の一つ、趣味の悪い軽自動車だ。
この車は意味もなくエアロパーツのフル装備で、ベッタベタに車高を落としてあるので、乗り心地が悪かった。車内の香水は突き刺すような柑橘系で、俺の鼻の粘膜に厳しい。リヤスポイラーには、これまた意味のない、やたらと大きなエビの尻尾のような物体が装着されていて、街行く人々の目を楽しませていた。
「免許取り立てんときって、とにかく運転したいやんか? タケちゃんの車は仕事に乗ってってるし、昼間は言うてくれたら、アタシのん、いつでも貸すで」
義姉さんは、俺にキスを飛ばす仕草をしてみせた。
姉弟愛を薄ら散りばめた義姉さんの台詞も、このヤンキー正月仕様の軽自動車では半減だ。俺は笑みを浮かべただけで、返事をしなかった。
好きな子はいないの? という質問を、のらりくらりとかわしながら、ホームセンターに到着した。三十分もかかったのは、少々道が混んでいたせいだ。
その代償なのか、多分偶然だが、店の入口に一番近い駐車スペースが、ぽっかりと空いていた。板を運び込んだ後、カート返却の手間まで考えると、こんなに適した場所はない。俺はラッキーとばかりに、そのスペースに車を走らせた。
「あっ真ん前、空いてるやん! アタシらツイテルんちゃう? なぁ、ツイテルんちゃう?」
義姉さんが俺の肩を叩いてはしゃいだ。車庫入れ中の人を揺するのは、やめてほしいものだ。
これはそこまで喜ぶことなのか? 俺は揺すられながら、苦笑いを浮かべた。ノリで喜び返したほうがいいのか、さらに被せて上手いことを言ったほうがいいのか、と思案した。
車を駐車枠に入れて、キーを義姉さんに返した。入って右の奥のほう、とだけ告げて、俺は歩き出した。
兄貴も俺も工作事が得意なほうだ。自宅の駐車スペースを増築したり、ベッドを自作したりしてきた。それで、このホームセンターには、兄貴共々よくお世話になっている。俺は迷うことなく、足早に目的の売り場へたどり着いた。買う物は大まかに決めてから来ていた。だいたいの寸法もメモに描いて持ってきてる。俺は各材質の特徴を店員に尋ねながら、手早く材料を取り揃えていった。
ところで……義姉さんはどこへ行った? いや、最初から姿が見えなかったような気がする。今日も高いヒールを履いていたのではないだろうか。そうなると、スタスタと先走り、義姉さんを置き去りにしてしまったのは、俺の配慮の無さか。
木材の切り出し加工を店員さんに依頼して、加工待ちの間に義姉さんを探しに行った。
確証があったわけではないが、第一候補地のカー用品コーナーを覗くと、いきなり義姉さんがそこにいた。パーンとかファーンとか、いろんなクラクションを試している。じつに楽しそうだ。
俺はムッとした。頼みごとを丸投げする人を、どうにも好きになれない。今日こそは、ちょっと言わせてもらおう、と大股に近寄った。
俺の存在に気づいて「あっ、もう済んだん?」と、他人事のように言う義姉さんに、絶句した。自分がついて行ったところで、どうせわからないし、役に立てない。それなら、その時間は自分のしたいことをするほうが有意義。こういう考え方を、合理主義というのだったか?
またそんなことを考えているときの表情は、自分ではわからないものだ。
「ん? ヒサ君、どないしたん?」
すぐに目の焦点を、義姉さんの顔に戻した。
「切ってもらうのに、ちょっと待ちがあんねん。二十分ぐらいしたら、放送で番号札を呼ぶ、て言うてたで」
そう言ったが、遅かった。
「ふぅん。今、一瞬アタシに見とれてたんとちゃうん! アカンでぇ。アタシ、人妻やし」
義姉さんにとって、十代の男を手の平に乗せて転がすというのは、簡単なことなのだろう。
「いやいや、何でやねん!」視線を逸らして逃れた。
ニヤけた顔でこちらを観察している義姉さんが、俺の視界の端に映っていた。この人は、こうしてちょくちょく俺をからかう。人の反応を見て楽しむ趣味があるようだ。悪趣味なのは、車だけではないということだ。
しばらくして、店内アナウンスに応じ、二人で加工所に戻った。店員さんが、俺たちの目の前で依頼通りであることを確認していく。俺は次々とカートに載せていった。
「こんな長いの? 何か粉っぽいし、アタシの車、絶対無理!」
義姉さんはカートを指差して、積載拒否だと言い放った。
俺と店員さんは互いに目を合わせて、ポカンと口を開けた。
軽自動車なんて、非力で缶詰のような車は、ダッシュボードや後部座席等、いらない物を取り払って極力軽量化し、ロールバーを組んだほうがいい。そう考える俺から、義姉さんの主張は遠い。
あのゴテゴテと着飾った車には、所狭しとヌイグルミが満載されている。俺の知ったことではないが、ヌイグルミの配置にも拘りがあるらしくて、物語の一コマを再現しているのだそうだ。
「後ろと助手席を倒して、ハッチ開けっ放しにしたら、楽勝やで。義姉さん、俺の後ろで家に着くまで、ちょっとの間、ヌイグルミと一緒に、縮こまっててもろて……」
大容量の堪忍袋を持つ俺を遮って、義姉さんは「ぜぇぇったい嫌!」と、手をバタバタとさせた。
こぉのデカい女は、どこまでも、どこまでも!
このホームセンターには、運搬用トラック無料貸出サービスがある。それを利用するには、申請書の記入や、当然、トラックの返却という仕事も付随してくる。単純計算でも一時間以上のロスタイムだ。何よりも、帰って、行って、帰る、という道のりが想像するだけで面倒くさい。
優しく微笑んだ店員さんが、木材を梱包シートで包む、という案も出してきた。
その意見にも、義姉さんは大きな胸を持ち上げるように、腕を組んで眉を怒らせた。
店員さんが笑みを崩さず、すごすごと去った。俺はカートをゆっくりと反転させた。渋々総合受付へ出向いた。巻き金髪のデカ女と口論になって、人集りができるくらいなら、これは小さな我慢だと、自身に言い聞かせた。
「義姉さぁん、受付に訊いてきたでぇ。トラックは空いてるし、すぐにでも貸出OKやってよぉ」
俺は為るだけ爽やかに言った。




