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翌朝、いつになく外が騒がしかったためにアンバーは早々に目が覚めた。どうやら、洞窟の外では二人の男が言い争っているようだ。
人間よりも優れた聴力を持つために男たちの声に気付いたアンバーだが、洞窟の中を何重にも反響して届く音声を正確に捉えることはできなかった。
それでも、その諍いが不穏な事態の起こったことに起因するものであるというのは彼らの声の調子から聞き取れる。
アンバーはこの地に長いこと住んでいたが、わざわざこのような場所に来てまで言い争う者など初めてだった。この場所へ来るということは、外にいる男たちは神官だろう。
神官が禁域で話さねばならないこと。それは、一般の民衆には聞かせることのできないような、国をも揺るがす一大事としか考えられなかった。
――このような時期に、いったい何が……。
少しでも話をよく聞こうと、アンバーは彼らのいる方向へ足を進めた。
「――……あ? 何だ、お前は俺が悪いって言うのか」
高圧的な声だ。しかも、かなり怒っている。
もう一つの声の方は、怒り狂う男に威圧されて消えてしまいそうなか細いものへ変わっていた。焦りから所々で躓きも感じられる。
「い、いえ、そうではなくてですね……」
「だったらはっきりと言え!」
「は……、はいっ。ですから、その……」
何ともはっきりしない返答に、男の苛立ちがますます募っていく。
怒っている方が都会から来た上級神官で、ぼそぼそと言い訳をしているのがラーオリエに常駐している普通の地方神官だ。この状況から鑑みるに、地方神官が何らかのミスを犯しでもしたのだろう。しかも、そのミスが重大な事件を引き起こしている。
だが、例えそれが事実であったとしても、まずは都にいるほかの上級神官や司神と呼ばれる最高神官に相談をして指示を仰ぐのが先ではないか。それさえもせずに不毛な言い争いを……、とアンバーが胸の内で嘆いていた時のことだった。
「お前はっ! 俺が怠慢だったせいでガキがいなくなったと言いたいんだろ!」
強い語調で吐きつけられた言葉に、若い神官だけでなく、アンバーの動きまでもが止まる。
――子供が、いなくなった?
一体どのようなことが起こったのかは分からないが、嫌な予感がした。
「そ、そのようなことではございません。私はただ……」
「ただ何なんだっ」
一切の口出しを認めないというような鋭い物言いさえ、アンバーの頭には遠くの出来事のようにしか入ってこない。
「ひっ……、……あ、はいっ。ですから、貴方様の結界が緩んでいらしたのかと思っただけでございます」
丁寧な口調を気にしすぎて、逆に皮肉な言葉遣いになっている地方神官に、アンバーは少しずつ冷静さを取り戻していった。
落ち着いていくと同時に、完全に委縮しきってしまっている地方神官を哀れに思うと同時に、傲慢な上級神官の態度に苦々しい思いを抱き始める。
この場から姿を見せれば、彼らは少なからず反応し、そして何事もなかったかのように良好な関係を演じるだろう。
他者からの見目を気にし、世間体を大切にする。
人間とは、そのような生き物なのだ。
だが、いなくなったという子供の話に興味の残るアンバーはあえて姿を見せることはしなかった。
もう少しだけ様子を見て、それから判断しようというのだ。
「そうか。そんなにも俺の魔法が未熟だと言うんだな?」
突然静かな声になったかと思うと、敵意に満ちた強大な力の流れを感じる。
攻撃魔法だ。それも、人一人など簡単に殺してしまえるような威力の……。
疑うなら身を以て試すといい、とでも言うつもりか。
半ば呆れつつその状況を静観していたアンバーだったが、次第にそうもしていられない状況になりつつあった。
上級神官の暴走に対して、地方神官は防御をしようともしなければ反撃もしようとせず、じっと身を固くしてその時を待っているかのようなのだ。
――……っ、あいつらは何をするつもりだ?
平和に暮らすためのこの場所で死人を出されてはたまらない、と思ったアンバーは神官たちを止めるため、ついに重い腰を上げて洞窟の入り口へ姿を現した。
洞窟の入り口付近は、目がくらんでしまうほど眩しい。射抜くような光に、アンバーはどうしても目を開くことができなかった。
自然と寄った眉間のしわが神官たちを威圧したのか、先ほどまで伝わってきた敵意の波動が一切感じられなくなる。
ざり、という砂を踏む音で、自分に近い側の上級神官が後ずさりをしたのが分かった。
そして、時間と共に目が慣れていくつれ、アンバーは少しずつ二人の神官の姿を認識できるようになり始める。
「おお……」
驚きとも畏怖とも取れる声を発したのは、全身に複雑な刺繍の施された衣服を身に着けた中年の男だった。彼は引きつった笑みを浮かべながら、じわりじわりとアンバーから距離を取っていく。
もう一人はと言えば、石像にでもなったかのようにその場に立ち尽くしている。直立しているのは、程よく日に焼けた好青年といった雰囲気の男で、簡素ながらも重厚さを漂わせる衣装を纏っていた。
中年男が上級神官で、青年が地方神官であることは一目瞭然である。
――大人とはいえ、ちっぽけなもの。レハルキッシュとかいうあの子供と、一回りか二回りほどしか体の大きさも変わらぬのだな。
二人の神官の姿を見下ろしながら、アンバーは思った。
冷たい光を宿したアンバーの瞳から何を感じ取ったのか、上級神官はさりげなく地方神官の青年の陰に回り込むと、一切の動きを停止している彼を置いて立ち去ろうとした。
上級神官はともかく、地方神官であれば毎年この洞窟を訪れているはずだ。だが、こうしてアンバーの姿を実際に目にするのは初めてだった。
というのも、神官たちが神事を執り行っている間、アンバーはその姿を一切現さずに洞窟の奥から神官たちの声を聞いているのみだったのである。
そのため、神官たちの反応も当然のことだと言えよう。
神官たちは、現在自分の目の前にいる生き物がこの祭祀の主役として祀られているなど一切理解していないはずだ。一体何ものであるかさえも知らないかもしれない。
二人とも、恐怖感に駆られながらも悲鳴を漏らさぬようにしているので精いっぱいのようである。
上級神官はじりじりと後ずさりをしていき、砂利に覆われた地面と背の低い草の生えた地面の境目辺りに辿り着いた。
足の裏に感じる地面の方さの変化に神官は、刹那、視線を落とす。次の瞬間。
上級神官は体の向きを百八十度転回させると、木々の生い茂る中へ駆け込んでいった。
彼の姿はあっという間に見えなくなるが、不自然に大きな葉擦れの音がどちらの方向へ向かって逃げているのかを随時知らせてくれた。
元から神官たちを追いかけるつもりなどなかったアンバーは、神官の後姿を見送るだけで何もしようとはしない。
ひたすらに沈黙を続けた後、未だに硬直し続けている若い地方神官を置いて洞穴の奥へ引き返していった。




