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少年は夢を見た。
だが、その夢は「夢」と呼んでしまうことがはばかられるほどにリアルなものだった。
そのため、彼は目が覚めた時に先程までの夢の中でいた洞窟の暗く湿った空気や、奥からかすかに吹く風の臭いを鮮明に覚えていた。岩の色や形、手触りも、はっきりと記憶に残っている。
それだけではない。
洞窟の奥にいた“ヤツ”の声すらも、寸分違わず克明に鼓膜に刻まれている。
――“ヤツ”は囚われていた。
禁域の森の中にある狭くてゴツゴツした岩肌の洞窟の奥で、外の世界から遮断されたように。まるで、己が弱り、死の時が来るのを待つかのように“ヤツ”はそこにいたのだ。
だが、“ヤツ”はその強すぎる生命力のために、死ぬ事すらも叶わなかったのだろう。
長い長い月日が流れた。
その長い時を、“ヤツ”は一人で過ごしていた。
孤独の中で時折悲しみに声を上げながらも、己の運命を受け入れた。――いや、己の生そのものを諦めていたのかも知れない。
その真相は、“ヤツ”にしか分からない。
そう。たまたまふらりと通りかかった少年になど、関係のないことなのだ。
“ヤツ”は静かに横たわり、最後の時を待った。何が起ころうと、そちらに目を向けることもなく。
いっそそれに巻き込まれて命を落とすことさえ厭わないといった雰囲気で、ただじっと構えていた。
だから、一人の少年が近付いてきた時も、“ヤツ”は一切動かなかった。
彼が何者で、何の目的でここへ来たのかに興味を持たず。そちらへ一瞥をくれることさえなかった。
それでも、少年は突然目の前へ現われた異質な存在に好奇心を覗かせ、“ヤツ”の元へと足を踏み出した。
海に浮かぶはぐれ小島のように、砂の中にポツリポツリと現れた小さな集落。不毛の地と呼ばれたそこには、いつからか人々が移り住んで小さな町ができていた。
砂漠の真ん中にある、辺りの景色と一見不似合いにも思えるその町の周りには、わずかな緑の色さえ窺うことのできない不毛の砂地が地平線の彼方まで広がっている。
土は完全に乾燥し、空には雲の欠片さえ見えない。
そのような貧しい土地にある町たちを一つにまとめたのが、砂と魔法の国ディステリアだった。
そして、砂の国ディステリアの中で唯一の森を持つ村、ラーオリエ。
その村には「禁域」と呼ばれる森があった。
緑が育ちにくいはずのディステリアの国土の中でたった一箇所だけ、異様なほどに青々とした草木が生えるその山は、古くから「禁域」と呼ばれ、立ち入ることさえ許されない場所だった。
そのため、常に森の周りには神官が結界を張り、どんな生き物もそこには立ち入ることができないよう管理されている。
しかし、鬱蒼と生い茂る禁域の森の奥深く、どこか別世界に続くかのような大きな洞窟の前には、まだ幼さの残る表情の一人の少年が立っていた。
いたずら盛りといった年頃の少年は、自分のしていることの重大さに気付いているのかいないのか、きょろきょろと辺りを見回して洞窟へと一歩近付く。
彼の栗色の髪は少し癖があり、柔らかな曲線を描いていた。その髪が、風に煽られて乱される。
それを直そうとマントの中から伸ばされた手は、存外に細いものだった。同様に、少し短い丈のズボンから覗くくるぶしもほっそりとしていた。
だが、少年にか弱そうな印象はない。よく日に焼けたその肌が、彼が活発で健康的な少年であることを示しているためだ。
とはいえ、砂嵐や直射日光から身を守るためのマントは、華奢な彼の身体には少し大きいようにも見える。
そのマントは少年のお気に入りのものなのか、少し砂埃で汚れてはいるものの、手入れがきちんとされていることがよく分かった。
少年の名はレハルキッシュ。今年、中等学校の二年になったばかりの十三歳である。
学校の成績が優秀という訳でもない彼が、この禁域の森へ来たのはこれが初めてのではなかった。
その日少年が見た夢は、前の晩の寝る前に幼い妹たちに読んでやった本に酷似したものだった。
洞窟の奥に居る、孤独な竜の夢だ。
絵本の内容そのままであったにもかかわらず、目が覚めた後もそれが夢だったとはどうしても思えなかった。それほどに“ヤツ”の存在が間近に感じられたのである。
そのせいでレハルキッシュは、なぜか“ヤツ”が本当にそこで自分のことを待っているような気がしてならなかった。
そんなことを大人たちに言えば、馬鹿な話だと笑われたことだろう。
しかし、レハルキッシュは本気だった。明け方の、まだ暗さの残る部屋の中で目を覚ました時、ほんの一瞬だったが自分が本当に洞窟の中にいるように錯覚したのだ。
そして、思わず声を上げそうになった。
そこでハッと気がついて隣の布団へ視線を落とすと、すぐ隣で小さな妹と弟が二人仲良くすやすやと寝息を立てて眠っているのが目に入った。
――よかった。起こさずに済んだようだ。
まだ夢の余韻が色濃く残る部屋の中で、少年は夢に見たことをゆっくりと一つずつ思い返していった。そうしていくうちにも、段々とその夢が現実のもののように思われ、そうなるといても立ってもいられなくなった。
思い立ったらすぐに行動したくなる。これは、レハルキッシュの悪い癖でもあった。
親に再三注意されていたのだが、どうも治る様子がない。
そして、彼が“ヤツ”を迎えにいくための準備を始めるまでにそう時間はかからなかった。
――さあ、出かけよう。
そして、救い出すんだ。
あの、洞窟の奥のマボロシの幻竜を。
レハルキッシュはにこりと笑うと、そっと家を抜け出した。
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