トラブル 〜Noir〜
ノワール達を残して服飾店を出た私とお兄様は、まず細かなものを揃える事にした。
いくつかの店を周り、薬草、文房具、占具、天文盤、保護手袋といった、授業に必要な物。
最後に書店で、教科書。
これであとは制服だけ。相当な荷物になったので、服飾店に近い喫茶店に入る。
頼んだお茶が来て一服すると、買い物の疲れがふっと和らいだ気がした。
「ふう、流石に3人分ともなると、かなりの量だね……」
お兄様も同じだったのだろう、少し疲れたような笑みで言った。頷き、相槌を打つ。
「そうですね、何より教科書が相当な重さですから。風属性で良かったと、この時ばかりは思います」
1人分の教科書を運ぶだけでも相当な苦労なのに、これだけの荷物をここまで運べたのは、風の魔法で重さを軽くした為だ。ノワールのように亜空間にしまえるのなら、話は早いのだろうけれど。
「うん、ミアがいてくれて助かったよ。……それにしても」
お兄様はそこで言葉を句切り、苦笑する。
「ノワールの言う通りだよね。ちょっと気を付けるだけで、かなり分かった」
「……本当に」
私達は顔を見合わせて、苦笑いするしかなかった。
ノワールに注意された事を踏まえ、買い物の間周囲に気を配るように意識すると、いくつもの不穏な空気を感じた。そちらに目を向けるだけで空気は消えるけれど、それが何度も何度も繰り返されるのだ。彼の言う通り、相当狙われていたらしい。
「それにしても、ノワールは親切ですよね。興味無さそうな顔をしていても、何かあると手を貸してくれますし」
お茶を飲みながら、しみじみと呟く。色々と理由を付けてはいるけれど、フウを教える合間にユハナの指導をしてくれたり、私達の質問に答えてくれたり。よそよそしいままだけれど、仲間程度には見てくれているのだろうか。
「確かに、ね……」
けれど、お兄様の返答はどうにも曖昧だった。不審に思って、尋ね返す。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ。さて、そろそろあっちも終わったかな?」
それはあからさまな話題変換だったけれど、お兄様の言う通りでもあったので、頷く。
「ええ、行きましょうか」
会計を済ませ、改めて荷物を手に取り、お店を出る。
服飾店の方向へと顔を向けたとき、急に視界が暗くなり、鈍い衝撃が走った。踏み止まりきれず、転ぶ。
顔を上げると、体格の良い若い男。にやついていた表情を消し、わざとらしく怒鳴ってきた。
「おいお前、どこを見て歩いてるんだ!」
「すみません、私の不注意です」
慌てて立ち上がり、丁寧に謝罪する。そこまで怒る事でもないと思うけれど、ぶつかったのは私だ。
けれど男達は、それでは満足しなかったらしい。いきなり髪を掴まれ、引っ張られる。
「謝れば済むと思ってんの? あんた貴族のお嬢様だろ? それなりの誠意の見せ方くらい、ママやパパに習ってねえのかよ」
「離して下さい!」
「兄ちゃん、邪魔すんなよ」
お兄様が慌てたように私に手を伸ばすけれど、共にいた2人の男がそれを阻む。
更に強く髪を引っ張られ、目に涙がにじんだ。無力な自分に悔しさが込み上げてくる。それでも、痛みを堪えて声を絞り出した。
「すみ……ません。謝りますから、離して——」
「あー! 何してるの!!」
割って入った、聞き慣れた声。目を向けると、滲んだ視界に赤色が目に入った。フウだ。
「女の髪は命なんだよ! 引っ張っちゃ駄目!」
フウが髪を掴んでいる男に食ってかかるも、振り払われる。
「うるせえ、ガキはすっこんでろ!」
思ったよりも男の力が強かったからか、フウはあっさりと弾かれ、尻餅をついた。きっと眦を上げ、勢いよく立ち上がる。
「あったまきた! この——いったあ!」
ゴン、と重い響きに続いて、心底うんざりしたような声が聞こえた。
「何をやってるんだ、じゃじゃ馬が」
頭の痛みが消え、腕を引っ張られる。バランスを崩したところで、何かにぶつかった。また転びかけたところで、身体を支えられる。
顔を上げると、声と全く同じ辟易した表情を浮かべた彼が、そこにいた。
「ノワール……」
「お前もだ。よくもまあ、この短い間に次々と……」
溜息混じりにそう言ってから、彼は頭を抑えるフウに目を向けた。眉をしかめて、言う。
「一般人に手を出すな。依頼の時以外は喧嘩も避けろと言ってあっただろう」
「だってー……」
「だってじゃない。これでお前がこいつらに殴りかかったら、悪いのはお前になるんだぞ」
ぴしゃりと言って、ノワールは私を引き離すと、男達に向かって1歩前に出た。
「連れが迷惑をかけたようで、すみません」
抑揚は余り無かったけれど、そう言ってノワールが軽く頭を下げたものだから、仰天した。ちらりと見ると、お兄様もユハナも心底驚いた顔をしている。
まさか彼が、こんな男達に下手に出るとは思わなかった。
「……おめえ、やってる事がめちゃくちゃだぞ」
けれど、私を掴んでいた男は、怒りを滲ませてそう言った。よく見ると、その手はやや赤くなっていて、力尽くで私から引きはがしたのだと分かる。
「多少乱暴になった事は謝ります。けれど、こうでもして彼女を解放させないと、そこの馬鹿が突っ走りそうだったもので、迷惑をかけないように」
淡々とそう言って、ノワールは懐に手を入れた。取り出した拳を彼に突き出し、握っていた数枚の銀貨を彼の手に握らせる。
「持ち合わせが少なくて恐縮ですが、これで勘弁してもらえませんか」
もはや驚きで言葉も無い私達を余所に、男達は急に機嫌を良くした。それはそうだろう、貴族が扱う金貨ほどの価値は無くとも、普段銅貨で生活している町の人ならば、数ヶ月は遊んで暮らせるほどのお金が手に入ったのだから。
「何だよ、ちゃんと分かってんじゃねえか。最初からこうしていれば、俺達も乱暴しなかったのによ」
そう言って彼等は、上機嫌で去って行った。
それを見届けてから、ノワールは顰め面で私達に向き直る。
「何をしている、さっさと謝ってこい」
「え?」
唐突にかけられた言葉に瞬くと、彼が言葉を重ねた。
「店の入り口でこんな騒動を起こして、迷惑がかかったに決まっているだろう。一種の営業妨害だぞ、さっさと後ろの店員に謝れ」
そう言われて振り返り、店員の少女が怯えたようにこちらを伺っている事にようやく気が付く。慌ててお兄様と一緒に謝り、少しお詫びを支払って、その場を後にした。
買うべきものは全て買い終えている。これ以上厄介事に巻き込まれないよう、寄り道せずに帰宅の途についた。
途中、ずっと疑問に思っていた事を、お兄様が口にする。
「ノワール、何であいつらにあんな態度を取ったの? あんな事しなくても、君ならどうにでも出来そうなのに」
お兄様に面倒くさそうな目を向けながら、ノワールが淡々と答える。
「まさか暴力沙汰を起こすわけにもいかないだろう。かなり人目が増えていた上、既にフウが暴走気味だった為、さっさと終結させる方を選んだ」
「私のせい!? だってミア、痛そうだったよ!」
フウが突っかかるも、ノワールは動じない。
「最後はミアの為じゃなく、突き飛ばされた事で頭に血を上らせただけだったろうが」
「うっ……」
言葉を詰まらせる彼女を見ながら、ずっと燻っていた不満を口にした。
「ですが、何もお金を渡す事は無かったのではありませんか?」
何故かそこで、呆れたような視線を向けられる。
「そう思うなら、あんな典型的なチンピラどもに絡まれるな。それに……俺は今回、一切身銭を切ってないぞ」
「え?」
言っている意味が分からなくて、戸惑う。そこに、先程から奇妙な表情で黙っているばかりだったユハナが、おそるおそる口を開いた。
「あのう……ノワール。確か服飾店に入る前、お金を一切持っていない、と言っていましたよね?」
はっと息を呑んだ私とお兄様を余所に、ノワールは平然と頷いた。
「ああ。いつから気付いてた?」
「最初から……でもノワール、それ犯罪ですよ?」
「誰も損はしていないから、犯罪ではない」
「……どういう意味?」
「犯罪」という単語に反応して、お兄様が怖々尋ねる。私もここに来て、嫌な予感が込み上げる。
予感は裏切られず、ノワールの答えは、とんでもないものだった。
「手渡したのは、ミアを引き剥がした時に奴の懐からスリ取った金だ。大分金を持っていた、あれでも全額ではない。今頃、全く増えていない事に気付いたかもしれないな。ああいう連中は金の計算には目敏い」
「…………何をしているのですか、貴方は!!」
残りの道中全てと、屋敷に帰ってからはお母様と共に、ノワールにひたすら説教した。彼はほとんど聞き流していて、何の成果も生まなかったけれど。




