悪夢 〜Rouge〜
その夜。
嫌な夢を、見た。
夢——ううん、違う。これは記憶。
綺麗で、真っ赤で、見惚れるほど美しくて。だからこそ——何よりも、怖い記憶。
真っ暗な部屋の中、いつものように飛び起きた私は、一瞬ここがどこか分からなかった。
「……うう」
久しぶりに見た夢は、相変わらず生々しかった。狂ったように綺麗な夢は、私に沢山の汗をかかせたみたい。パジャマが張り付いて、気持ち悪い。
枕を引き寄せ、抱える。何度も見た夢だけれど、見ると胸がどきどきする。どきどきして、眠れなくなってしまう。いつも、そう。
何で、今日なんだろう。明日は大事な編入試験で、可愛い服を着られるって、凄く楽しみにしてたのに。
……明日からへの不安も、あるんだろうな。
「んー……」
迷ったけど、明日を寝不足で迎えるのは拙い気がする。ごそごそとベッドを抜け出し、音を立てずに部屋を出た。向かうのは、斜め前の部屋。
寝てるかなと心配になりつつ、そっとドアをノックする。静まりかえった廊下に、その音は思った以上に大きく響いた。
少しして、扉が静かに開く。仏頂面で私を見下ろすノワの顔が現れた。
「どうした」
「ん、入れて」
そうお願いすると、ノワは溜息を1つついて、黙って私を中に招く。大人しく中に入って、小さくお礼を言った。
「ありがと。寝てた?」
「いや、今寝ようかと思っていたところだ」
そう答えて、ノワはくっきりと眉根を寄せる。
「それで、何の用だ? 明日は編入試験だ、しっかり休まなければならない事くらい、お前でも分かるだろう」
ちょっときつい言い方だけど、これは言われても仕方の無い事だ。それは分かっているけれど、だからこそ、こうしてここに来た。
「うん。……あのね、一緒に寝て良い?」
思い切って聞くと、ノワはますます眉間の皺を深くする。
「フウ、お前いくつになった。恥ずかしくないのか、臆面もなくそんな事言って」
「だって……夢、見ちゃって」
細い声でそう言うと、ノワはまた溜息をついた。その顔を見られなくて、俯く。
「……いい加減、夢を見る度に来るな。そろそろ慣れろ」
「うん……ごめん。……やっぱ戻る」
言われるだろうと思っていた言葉に、謝ってからくるりと体の向きを反転させる。この間ノワに、そろそろ自立しろって言われたばかりだ。頑張って1人で寝よう。
そう思って歩き出そうとしたその時、ぐいっと首元を引っ張られた。猫みたいにそのまま持ち上げられて、ぽいっと投げられる。ぼふっと、柔らかい感覚。
「明日寝不足だと困る、ここで寝ろ。……最後だぞ」
私をベッドに放り投げたノワはむすっとした顔でそう言って、ソファに歩いて行った。慌てて声を掛ける。
「ありがと……ノワも、こっち来て」
邪魔してベッドから追い出すなんてあんまりだ。それに、それじゃここに来た意味が無い。引き留めた。
振り返ったノワは、相変わらずの顰め面で、それでも戻って来た。
「……一応言っておくが、お前の年で異性と寝るのははしたない事だぞ」
「うん。……でも、寂しい」
自分でも子供みたいだと思う。けど、あの夢を見ると、どうしても不安が消えないから、しょうがないんだ。
だから、この時だけはノワに甘える。ノワもそれは分かっているから、結局はそのままベッドに上がってくれた。
ノワと一緒にベッドに潜り込んだ私は、そのままノワにひっつく。人肌の温かさが、嬉しい。
「……暑い」
「ごめん」
ノワの文句に謝りながら、それでも離れない私に、ノワも諦め気味。それ以上何も言わずに、目を閉じていた。
しばらくそのままでいると、ずっとどきどき言っていた心臓が、少しずつ収まっていく。
「……ノワ、まだ起きてる?」
「直ぐ側に起きてる人間がいて眠れるほど、俺は神経が太くない」
ノワらしい答えを聞いて、また少し気が楽になる。それでも消えない不安に背中を押されて、小さな声で、呟いた。
「大丈夫、かなあ」
「…………」
「頑張るけど、怖い」
そう言って、掛け布団に顔を埋める。ノワにもマスターにも大丈夫って言ってもらっても、消えない不安は残る。
「——怖い、と思う心を忘れない限り、大丈夫だ」
静かな声。布団から顔を出したけど、寝返りを打ったノワの顔は、見えなかった。
「そうやって夢を見て、怖いと、もう2度と見たくないと思っている限り、そうして自身に不安を覚えている限り、お前の懸念は起こりえない。人の心は脆弱だ。不安を覚えたまま、あれが繰り返される事は、あり得ない」
「…………」
「……それに、俺もフォローはする。大体、平和ボケした学院で、お前が懸念する事など起こりようが無いだろう」
「そう、かな」
「そうだ」
揺らぎ無い声。いつも、その自分の考えに裏打ちされた言葉に、励まされてきた。今もそれは同じ。
「うん……頑張る」
「ああ。……いい加減、自立してくれ。いつまでも子守も疲れる」
心底面倒臭いって声を出すけど、ノワは結局、何を言っても私を見捨てない。それがとても嬉しくて、私はその背中にしがみついた。
「ありがと、ノワ」
「…………都合の悪い事は聞こえない振りをしやがって…………」
聞き取りにくい声でぼやくノワ。そのまま顔を横に向け、視線を私に向けて告げた。
「おい、そのまま寝るなよ。潰すぞ」
「はーい」
渋々手を離してちょっと距離を置くと、ノワは元の姿勢に戻った。改めてくっついて、私は目を閉じる。
「おやすみなさい」
「ああ」
ノワの声を子守歌代わりに、私は安心して眠った。
——翌朝、部屋まで起こしに来たらしいミアが、私がいない事に気付いて、慌ててノワの部屋に来た時、何だかすっごく大騒ぎしていたのは、結局よく分からずじまいだった。
これにて第3幕は終了です。
次回から学園編。




