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Noir et Rouge 〜闇夜に開かれし宴〜  作者: 吾桜紫苑
第3幕 編入準備
72/230

知識 〜Noir〜

「あっ、ノワ!」



 フウの声に顔を上げると、ノワールが階段から下りてくるところだった。ノワールは一瞬フウに視線を向け、近付いて来る。


「少しは進んだのか」

「……ノワール。貴方どうやって、フウちゃんに魔法を教えたの?」

 疲れ切ったお母様の声に、ノワールはフウの手元に目を向けた。


 この30分ほど、フウは算術の基礎を手ほどきされていた。けれどフウはお母様の説明が理解できず、何とか分かっても直ぐに忘れてしまう。未だに四則演算も身についていなかった。


 訂正線だらけのフウの羊皮紙に溜息をついて、ノワールはすっと1点を指差した。

「考え方が悪い。お前にまともな計算が出来るか」

「うわっ、ノワ酷い!」

「酷くない。大体お前、果物の数なんか数えたことないだろう。気が済むまで腹に収めるだけのお前が、リンゴとミカンが3個と5個あって……なんて、考えるか」


 そこで言葉を止め、少し考えるような眼差しで私とお母様を見た。その視線の意味が分からず、首を傾げる。 


「どうかしましたか?」

「……いや。フウ、お前は寧ろ、魔物の数と考えた方が計算できるだろう。あれなら、数を数えたり、種類で分類したりし慣れている」

 首を振り、直ぐにフウに向き直ったノワールの言葉に、フウは唸った。


「どういう意味……?」

「そこから説明しないと分からないのか」


 呆れ声でそう言って、ノワールは羊皮紙に触れる。インクが生き物のように動き、文字が変わった。


「……そんな魔法まであるの?」

「ええ。フウ、とりあえずこれでやってみろ。あと、暗記事項は少しは進んだのか?」

 お母様の呆れ声に動じず、ノワールはフウを問い詰める。途端に顔を背けたフウに、ノワールは片目を眇めた。


「今日の夕食までに覚えなければ、詰め込むぞ」

「えー!」

「決定事項だ」

 フウの絶望的、と言う声ににべもなくそう言って、ノワールはお母様に視線を向ける。


「座っても?」

「……ご自由に」

 微妙な表情で頷くお母様に目礼して、ノワールが手近な椅子に腰掛けた。そのまま、腕を軽く一振りする。


 ノワールの傍らに、大量の魔術書が積み上がった。


「それは、あちらの館から頂いたものですか?」

「盗んだだろう。まだこれだけ残っているから、さっさと読んでおく」

 あえて言葉をぼかした私の言葉を律儀に言い直し、彼はそう答える。簡単に言うけれど、1日2日で読み終われる量には見えない。


「……どうやって?」

 お母様もそう思ったらしい。不思議そうな声でノワールに問いかけると、ノワールは急に魔力を高め始めた。



「まあ、魔術で、です」



 ノワールがそう言うのと同時に、本が淡い光に包まれた。一瞬だけノワールの目の焦点が失われ、直ぐに戻る。



「……何をしたのですか?」

 興味に駆られて尋ねてみると、ノワールは妙に機械的な口調で答えた。


「本に書き記された「情報」を、直接読み取る作業だ。1度に複数の書物を読み解くことで、関連づけて記憶できる」

「……複数の本の情報を、1度に受け取るのですか?」


 その非常識な内容に目眩を覚えて聞き返すと、素っ気ない首肯が返ってきた。


「それより、前から思っていたのだが、お前は魔力が視えるのか」

 唐突な問いかけだったため、意味が届くまでに少しかかった。

「……はい」

「この世界で、それが出来る人間は多いのか?」

 その問いかけには、直ぐに答えることが出来る。


「いえ。学校、それも生徒に限っては、私を含めて10人程です。父は視えますが、兄も母も視えません」

 ノワールは頷き、次の質問に移った。


「お前と兄の魔力量は、学生としてはどの程度の位置にいる?」

「……割と多いです。私の方が兄よりも多く、私は学校で10番目です」


 ノワールは1度目を閉じ、直ぐに視線を私に向ける。


「残りの9人は、魔力を視る事の出来る人間か」

「その通りです」

「まあ、妥当だな。ならば、生徒で最も多い魔力量と、平均の魔力量を教えてくれ。お前との比較でいい」


 その問いかけに、必死で記憶を探った。


「こちらでは、魔力量を数値で量ります。私の魔力量が3800、生徒の最高値は5600。平均は……、2000程度でしょうか」


 ノワールが、少し意外そうな顔をする。

「存外多いな」

「私達の通う学校は、国内では特に優秀な魔法使い、祓魔師を出すことで有名ですから」


 その言葉には溜息をつかれた。


「……「特に優秀」、ね。まあいい。自身の魔法具を持つ生徒は」

「ほぼ全員です。私達は、依頼を受けて魔物の討伐を受けることもありますから」

「ああ、そうだったな」


 彼にとっては1番大事な要素だろうに、すっかり忘れていたかのような反応。どこか悪いのかと、少し不安になる。



「……ねえ、ノワール」

「何でしょうか」


 どこかおそるおそると言った調子で声をかけるお母様に、ノワールはさしたる反応もなく目を向けた。


「……さっき貴方、魔術の説明を、直接「読み取る」、と言ったわね。直接「読み取った」、ではないのよね」

「ええ。流石に、この量を読み解くには多少の時間がかかります」


 当然と言えば当然の答えだけれど、私はお母様が言おうとしている事に気付いた。


「……ということは、よ? 今貴方は、その莫大な本を読み解きながら、私達と話しているの?」

「ええ」


 そう答えて、ノワールはふいと視線をずらした。そのまま、眠りかけていたフウの頭をはたいて起こす。


「そんなに詰め込まれたいか」

「絶対、嫌!」

「後、そこは違う。グループ分けの仕方が逆だ」


 慌てて起き上がり、作業を再開するフウに、ノワールは素っ気なく訂正した。そのまま、何事もなかったように私達に向き直る。


「それで、何か?」

 お母様が、痛む頭を抑えるような仕草をした。


「…………貴方の頭はどうなっているのかしら」

「大規模魔術を構築するほどの演算能力があれば、この程度ならどうって事ありません」


 あっさりと、得意げな様子もなくそう言われて、改めて彼が、私達とは一線を画した場所にいると悟る。


「もう1つ聞きたい。今期の学生の魔力値は、歴代と比べてどうなんだ」

 お母様からの質問はこれまでと判断したノワールが、今度は私に尋ねてきた。これも直ぐに答えられる。

「例年より多いと言われています。何せ、『4家』が揃っていますから」

「『4家』?」


 流石にまだ、その辺りの情報は耳に入っていなかったようだ。これ以上情報を口にしても受け容れられるのか少し不安になりながらも、彼の疑問に答える。


「侯爵、公爵であり、枢機院の一員である家です。代々優秀な魔法使い、祓魔師を輩出しています。今、3年と4年に1人ずつ、5年に2人、6年に1人、計5人の直系の方々がいますから、魔力値の最大値も平均も、通年より引き上げられます」


 ノワールが肩をすくめた。何故か視線がフウに向き、直ぐに何事もなかったように戻る。


「5年の2人は、お前達か」

「いえ。パーヴォラ家は祖父の代から突然、魔法士、祓魔師としての才能を開花させた家系ですから」


 その答えに、ノワールは少し目を伏せた。やや考えるような間を置き、再び顔を上げる。


「その『4家』の人間と、残りの魔力値の高い人間については、学校に行き始めてから教えてくれ。ところで、過去最大の魔力量は、どの程度だ」


 それは私も知らない。口を噤む私に変わって、お母様が答える。


「確か、数十年前に、10000という値を記録したはずよ。でもそれは本当に稀な話。ただ、転移魔法や治癒魔法を扱うには、4000は必要ね。参考になった?」

「ええ、とても。……ああ、あと1つ。その魔力最大値を誇る人間は、『4家』ですか?」

「ええ」

「『4家』よりも魔力値の高い人間が現れることに、何らかの支障は?」


 返答に迷う私に対し、お母様はあっさりと答えた。

「大騒ぎになるでしょうね。彼らは、自分達が1番でなければならないと信じているから。騒ぎを避けたいなら、5000程度と偽る方が良いわ」


 ノワールが眉を顰める。視線が宙を舞い、ますます不満げな顔になった。


「不都合があるのなら、無理には——」

「いや。ただそれだと、上位の術式はほぼ使えないと思っただけだ」


 私の言葉を遮って、ノワールはそう言った。不思議に思って、首を傾げる。

「いえ、私でも使えますよ」

「それは上位魔法。術式はより魔力を消費する。……まあ、使わなくてもさほど不便はない」



 そう答えた時、ノワールの傍らの魔術書が再び淡く輝いた。魔力が収束したから、おそらく読み終わったのだろう。



 ノワールは目を閉じ、しばらくしてから目を開けた。

「……どのみち、こちらでは上位術式は使うわけにはいかなさそうだ。だったら、5000辺りにしておく」

「しておく? おふたりの魔力は、遙かにそれを超えますよね。編入試験で魔力量を測定されれば、一目瞭然です」

「ああ、そうだろうな。だから、リミッタを付ける」


 あっさりと返された答えに、私とお母様は顔を見合わせた。口を開こうとした私よりも先に、ノワールが言い添える。


「リミッタは罪人しか付けない、だろう。お前の父親から聞いた。気付かれないようなものを用意するから、大丈夫だ」


 私は何も言わずに頷いた。他人に気付かれないようなリミッタなんて、この世界には無い。けれど彼が言うのなら問題無いのだろう。ノワールはきっと、出来ない事は言わない。


「材料は?」

 お母様のやや不安げな問いかけに、ノワールは頷く。

「とりあえず、手元にあるもので今夜作ってみます。明日はそのテストですね。後で、リミッタに使用する材料が存在するのか確認させて下さい」

「分かったわ」


 そこで言葉を句切り、少し躊躇ってから、お母様は口を開いた。


「……ねえ、学校に行ってから、どうするの?」

「どう、とは」


 曖昧な問いかけに、ノワールは油断の無い目で聞き返す。その目から逃れつつ、それでもお母様ははっきりと聞いた。


「……血を飲む時、どうするの? もし人に見られでもしたら、大事でしょ」


 それを聞いて、ノワールは顔を顰める。

「朝か夜に飲めば十分でしょう」

 お母様が首を振った。

「吸血鬼の吸血衝動は、そんなものではないはずよ。人間と同じで、日に3度が最低限。それ以上飲んでも物足りない、というモノだっているわ」


 彼の事情を知っている私は、いたたまれない思いだった。



 彼は、過去の生活から、飢えを魔力で凌ぐ方法を身につけている。それでも飢えを耐える機会が多かったからこそ、今もさほど血を求めないのだろう。彼の心情的にも、飲みたくないはずだ。



 だから、口を挟みたくて、口を開く。


「いえ、そこまで渇きません。先程は尋問を警戒したため飲みましたが、さほど飢えていたわけでもない。感覚的に、日に1度飲めば十分でしょう」

 けれど、私よりも先にノワールが答えた。その言葉は至極冷静で、昨日の嫌悪感が全く無い。


 違和感を覚えて見上げると、ノワールも私を見つめていた。



「……一体どれだけ飲まずに耐えられるのか、それも実験しなければならないな」



 さらりと言われた言葉に、思わず声を上げる。

「なんて事を言うのですか! 危険です!」



 ——私を拒否した結果、1度死にかけたというのに。



 その言葉を呑み込んで、睨み付けた。けれど彼は動じない。

「だから、どこまで飲まないと危険になるのか確認するんだ。餓死するまで飲まないわけじゃない。どこまで我慢できるのかを調べるだけだ」

「……5日、でしょう」

 今までの経験からそう答えると、ノワールは首を横に振った。


「あれは、回復のために相当体力を消費していたからだ。普段は、あの程度なら余裕だ。元々、1週間くらいなら飲まず食わずでも平気だからな」


 その非常識な返答に、返す言葉に詰まる。そんな事が、本当にありえるのだろうか。


「前にノワ、1ヶ月くらい出て来なかった事あったよね。あの時が最長記録?」

「かもな。あの時は、水分は取っていたが。それよりフウ、口を動かさずに手を動かせ。さっきから進んでいないぞ」

 追い打ちをかけるようなフウとの会話に、お母様が今までで1番大きい溜息をついた。


「……貴方がとても非常識なのは、よーく分かったわ。けれど、何があるか分からない以上、考えておく必要はあると思うけど」

「学校から帰るまで我慢できないような事態は考慮不要です。第一、どう考えても見つかるリスクが大きい。それは禁止事項とすべきですね」


 その結果危険なのはノワール自身なのに、彼は平気でそう言う。何だかだんだん、腹が立ってきた。


「自分の世話も出来ずに、リスクも何もありますか!」


 思わず怒鳴ると、ノワールは少し意外そうな表情を浮かべる。


「……もしどうしても学校で血を飲まざるをえない場合、おそらく嫌なのはお前の方だ」

「え?」


 思いがけない事を言われて、怒りも忘れて目を瞬いた。それを見て、少し躊躇うような間を置き、ノワールはお母様に視線を向ける。


「貴方なら、ご存知では? 異性を餌とする吸血鬼が時折、特殊な吸血法を採用することを」

 お母様はしばらく意味が分からなかったようだが、少しして目を見張った。直ぐに私に視線を向け、迷うような表情を浮かべる。


「……ええ、知っているわ」

「学校という場所において、最も無難だとは思います」

「…………そうね」


 渋々といった様子で頷くお母様。2人の間だけで通じる会話に、我慢できずに口を挟む。

「あの、一体何なのですか?」

 2人は一瞬視線を合わせた後、何故かフウに視線を向けた。


「……ノワール、教育に悪いと思うのは、間違っているかしら?」

「年齢的には。精神年齢上は正しいでしょうね」

「え、何?」


 曖昧な会話の矛先が向いたのに気付き、フウがきょとんと顔を上げた。その反応に、珍しくノワールが躊躇を見せる。


「何でもない……のか? ……いや、そうだな。フウ、お前この量を自力で覚えられるか?」


 そう言って、ノワールは先程読み取った魔術書の山を指差した。魔法使いが何年もかけて学ぶそれを見せられ、フウは酷く迷った様子を見せる。


「フウ、希望的観測は禁止だ。実質的に可能か不可能か、自分の能力を正確に判断して答えろ」

 有無を言わさぬ彼の言葉に、フウは渋々首を横に振った。

「……無理です」

「だろうな」


 頷いたと同時に、ノワールの目の前に魔法陣が現れた。魔法陣は、どういうわけかフウの目の前にも現れる。


「いいな」

「……はーい」


 2人にしか分からないやりとりの後、魔法陣に魔力が流し込まれ、魔法が発動した。



 強烈な光が走り、2人を包み込む。あまりの眩しさに耐えきれず、私は目を覆った。



 次に目を開けた時、ノワールはフウを支えて立っていた。フウはぐったりしたまま、動かない。


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