名前 〜Rouge〜
ノワに呼ばれて、私達は、ミア達の弟に会いに行った。
ドアの前で、ノワがノックする。少ししてドアが開いた。ミアが顔を見せる。
「マスターの指示だ。お前の弟にも、きちんと挨拶しろと」
「ピエールがいらっしゃったのですか?」
驚くミア。うん、私も驚いたよ。
「まだ監視する気のようだな」
素っ気ない物言いのノワにくすりと笑って、ミアは私達を中に招き入れた。何だか苛ついているノワの後ろから部屋に入る。
中は、私達が貸してもらった部屋とほとんど同じだった。違いは、家具とか、置いてある物が多い事くらい。
ベッドには、小さな男の子。ミアと同じ色の目を、私達に向けていた。
「あ……。さっきのお兄さん」
「その呼び方はやめろ」
すっごく嫌そうな声を出したノワに、思わず笑った。無言で頭をこづかれる。
「ノワール、紹介しますね。弟のユハナです。ユハナ、ノワールと、フウです。2人とも、とても優秀なんですよ」
「こんにちは。ユハナ=ヴァロ=パーヴォラです。ノワールさん、助けてくれてありがとうございました」
可愛らしい男の子に、にっこり笑い返した。
「こんにちは、ダンスーズ・フージュです」
「俺の事は、ノワールで良い。礼も必要無いと言った」
素っ気ないノワール。カリナさんとラルスさんには自分で名乗ってたのに。やっぱり、この名前が嫌いみたい。
「どーしてちゃんと名乗らないかなあ。駄目だよ、ノワ」
「やかましい。俺は、お前がどうして平気で名乗れるのか、その神経が理解できない」
不機嫌なノワの言葉に、ミアたちが首を傾げた。
「変わった名前だとは思いますが、名乗るのを嫌がる理由もないのでは?」
「そんなに嫌なもの? むしろ、フージュのファーストネームの方が、変わっている気がするよ」
ヴィルさんの言葉に、口を尖らせる。
「変わってる? そお?」
「……お前、自覚無かったのか?」
物凄く冷めた目に見下ろされて、反論する。
「普通の名前なんて、知らなかったもん。ノワもマスターも魔法名しか教えてくれないし。私は……魔法名しかないし」
「魔法名って、何?」
ユハナ君の質問に、あっと口を手で覆った。ノワが溜息をつく。
「……遅い」
「うう、ごめんなさい」
「ねえ、魔法名って、何?」
もう1度ユハナ君に聞かれて、ノワを見上げた。説明は苦手だ。
視線を受けたノワが、また溜息をついて口を開く。
「この世界には無いのか? 魔法を扱う人間が、本名を名乗るなんて馬鹿な事をするとは思えないんだが」
「……ああ、登録名のことでしょうか?」
ミアが納得したように頷いた。ヴィルさんも、ああ、と声を漏らす。
「父上も母上も持ってたね、そういえば。僕達は知らないけれど」
その言葉に、ノワが僅かに目を細めた。感情の無い声で語る。
「魔法名、または登録名。おそらく、ほぼ同じだな。魔法士、または祓魔師か魔法使いの資格を取った際に、協会が定める名。その名を付けられた後、本名は滅多に名乗らなくなる。本名には、力が宿るからな」
「運命を変える力って、あれ?」
その言葉に、ノワは酷く嫌そうな顔をした。
「まあ、間違ってはいない。名を教えるという事は、相手が自分に深く関わるのを許すという意味。その意志に従い、名を告げる事で、魔力によって無意識に展開している防壁が、その相手に対して1部無効化され、相手が魔法をかけてきた時、影響を受けやすくなる。魔法を受けやすい以上、自分の身体、精神に干渉を受けやすくなる。運命を変えるというのは、そういう事だ」
「……難しい」
ユハナ君が、眉に皺を寄せて呟く。笑いながら、ミアがその頭に手を乗せた。
「大丈夫、私も初めて聞きましたから」
「僕も。運命を変える力としか、学校では教わらないからね」
ヴィルさんの声に、ノワの肩が落ちるのが見える。うーん、ノワ、そのうち学校行きたくないって、言い出す気がする。
「……では、ノワールやフウの名前は、登録名なのですか?」
ちょっと怒った様子のミアに、ノワは冷たく言い返した。
「当たり前だろう。初対面の人間に、真名など名乗るか」
「私は貴方の餌です」
「だから何だ」
冷たい言い方に、ミアが言葉を失う。ちょっと酷いんじゃないかと思ったけど、ノワが言葉を続けたので、何も言わない。
「……魔法名は全て、フウの母国語だ。協会がその国にあるからなのだが……奴ら、どこまでもセンスがない」
機嫌の悪いノワの声に、ユハナ君が首を傾げた。
「ノワールって、格好良いと思うよ」
「だって、ノワ」
見上げると、また頭をはたかれてしまう。
「名前は、その魔法士に対して、協会が持った印象をそのまま表現する。ファーストネームが名詞、ラストネームが、その名詞を修飾する形容詞だ」
「どういう意味なの? 僕達には、分からないけど」
興味を持つヴィルさんに、まず私が答えた。これは、ノワに聞いて教えてもらっていたから。
「私はねー、ダンスーズっていうのが、踊る人。舞姫、って言ってた。フージュっていうのは、赤。ダンスーズ・フージュで、緋華の舞姫、だって」
「綺麗な名前ですね。フウによく似合っています」
「えへへ、ありがとう」
ミアの褒め言葉に、笑みを漏らす。
「……別に、外見で付けられた名前じゃないが。ヴィルヘルム、お前は見たのだろう」
「……ああ、なるほど。あれか」
納得するヴィルさん。一緒に魔物、倒したもんね。
「兄上、どういう意味?」
「そのうち、見る機会があるかもね」
ユハナ君の質問に、ヴィルさんが笑みを浮かべた。それを見たミアが、ノワに向き直る。
「では、スブラン・ノワールというのは、どういう意味なのですか?」
ノワが完全に沈黙した。代わりに答えようと、口を開く。
「ノワの名前は——」
けど、途中でノワに口を塞がれて、続きは言えなかった。
「知らんでいい」
「気になります」
「言わん」
「そう言わずに」
「断る」
「どうしてですか」
「理由が言えるなら、説明している」
ミアは随分粘るけど、ノワは絶対に口を開かないだろう。そんなに嫌がらなくっても、ぴったりだと思うんだけど。
でも、今の最優先事項は、ノワに口を塞がれて、息が出来ない事。慌てて、ノワの腕を強く叩いた。気付いたノワは力を緩めてくれたけど、まだ離してくれない。離したら言われるって、疑われているみたいだ。
「ノワールさん、教えてくれないの?」
ノワとミアの終わらない攻防に加わったのは、ユハナ君。すっごく可愛い顔で、ねだるような甘え声を出した。
「教えん」
その可愛いユハナ君を、一言で切り捨てるノワ。その態度に、ミアとヴィルが身を乗り出す。
「ノワール、大人げないですよ。名前くらいで、そんな冷たい声を出さなくても良いでしょう」
「そうそう。ちょっと教えるだけだろう? 別に、笑わないよ」
その剣幕に身を引いたノワが、私を見下ろした。
「……フウ、憶えているか? こういう兄姉を、何て言うか」
うんざりした声に、一生懸命思い出して、答える。
「ブラコン、だったと思う」
「ああ、そうだった。マスターだったか?」
その言葉を教えてくれたのは……、多分、マスターじゃない。そのお客さんの……
「ううん、青目のお兄さんだったよ」
「……彼か」
頷いて、ノワが視線を戻した。そこには、声を上げて笑うユハナ君と、顔を赤くするミアとヴィルさん。
「ブ、ブラコンって……」
どもるヴィルさんに、ノワが追い打ちをかける。
「過保護で、弟を助ける為だけに無茶をいくらでもしているんだ、ブラコン以外の何者でもない。ヴィルヘルムはその上、シスコンだろう」
「なっ!」
更に赤くなるヴィルさん。口をぱくぱくさせるヴィルさんを、ノワは更に追い詰めた。
「大して実力も無いのに、吸血鬼の住処に突っ込んで行き、あまつさえ初対面の女に助けを求める。その理由が妹を助ける為とくれば、シスコン以外の何だと言うんだ」
……ノワ、名前の話題で苛ついたのを、ヴィルさんに八つ当たりしてる気がする。
可哀想に、ヴィルさんは首筋まで赤くして俯いていた。しかも、そのヴィルさんを、ミアはどこか冷たい目で見ている。
「まあ、お兄様にはお母様が、後でしっかり言い聞かせることでしょう。それでノワール、貴方の言葉の意味は、結局何なのですか?」
「くどい。さりげなく聞けば答えるだろうなど、子供騙しではあるまいに」
1秒の間も置かずに切り捨てるノワに、ミアが首を傾げた。
「お兄様もユハナも、大抵引っかかりますよ?」
「それはお前の兄弟が、馬鹿正直だってだけだろう」
ヴィルさんは、何となく白っぽく見える。こういう時、燃え尽きたって表現するんだよって、マスターが言ってた、気がする。
曖昧な記憶を掘り返す私の目の前で、ミアが最後のカードを切った。
「ノワール、貴方が話さないのであれば、私はピエールに聞きますよ」
ちらっとノワを見ると、ノワは何だか噛み付きたそうな顔をしている。今下手な事したら、魔法でぶっ飛ばされる事、間違い無し。
確かにマスター、ミアに聞かれたら、嬉々として説明しそう。そしてノワは、人に話されることをよしとしない。変なところで真面目だからね。
切り札を切られたノワは、ようやく、嫌々話し始めた。
「……ノワールというのは、黒という意味。俺の魔法特性と、俺の持つ刀が漆黒である事から付けられた。刀や闇を自在に操る姿から…………」
そこで一旦言葉を切ってしばらく黙り込んで、苦々しく、聞き取りづらい声で、言った。
「…………漆黒の支配者、と」
「……別に、それほど嫌がるような名前でも無い気がしますが」
不思議そうなミアに、ノワがぴしゃりと言い返す。
「支配者と自分で名乗って悦に入るような趣味は無い」
「かっこいいのに」
ユハナ君。ノワを怒らせると、怪我するよ。
はらはらしたけど、案外ノワは、子供に寛大みたい。聞こえなかったふりをして、仕返しとばかりに口を開いた。
「ちなみに、あのじじいは世界の道化、という意味だ」
「道化って……」
「これは、じじいの能力の特異性を指す。その内容までは、お前たちが知る必要は無い」
今までとはちょっと違う言い方で、そこから先の説明を拒むノワ。その違いを他のみんなも察したみたいで、それ以上の追求は無かった。
その時、不意にノワが、ぴくっと身動ぐ。ようやく私を解放して、いきなり身を翻した。
「厨房に邪魔するぞ」
「へ? 何で?」
素っ頓狂な声を上げるヴィルさんに、ノワが一言。
「下手の横好きという言葉を地で行く年寄りが、厨房に入った」
「ノワ、急いで!」
思わず叫ぶと、ノワは頷いて、転移魔法を組み始めた。一瞬で組み立てられた魔法は、けど直ぐには発動しない。ノワが私の方に振り返る。
「フウ、お前も1度、部屋に戻れ」
「えー、もうちょっとお話ししたいー」
ミアやヴィルさんはともかく、ユハナ君とはあまり話していない。もっと仲良くなりたい。
「今日1日でよく分かった。この世界と元の世界、あまりにも知識のずれが大きすぎる。俺達のような異端分子が下手な事を喋ると、バランスが崩れかねない。明日からの勉強で、お前にその事を叩き込む。お前が最低ラインまでそれを憶えない限り、俺が居る所以外でこの世界の人間と話す事を許可しない。だから、1度部屋に戻れ」
厳しい声で言うノワの言葉に、逆らうことは許されていない。渋々頷く。
私がきちんと従ったことに満足したのか、ノワは虚空間を開いて何かを取り出し、私にそれを投げてよこした。
「お前が持って来た物だ。これでも読んで暇を潰してろ」
そう言って、ノワが転移魔法を発動させた。ノワの姿が掻き消える。
「……兄上、転移魔法って、普通使えないんじゃないの?」
「そうだよ。彼は特別、いや、異常と言うべきかもね」
「ノワールは、ユハナの教育に悪いですね。常識を壊して呼吸していますから……」
何だかノワに随分遠慮の無い、怖い物知らずの3人に手を振って、私も転移魔法で部屋に戻った。




