在り方 〜Rouge〜
部屋に戻ってきたノワを見て、笑顔を浮かべるより先に、戸惑いを覚えた。
何事も無かったような顔をして戻って来たノワは、身から零れる魔力にも、何の変化もない。
いつも通りの筈、なのに。どうしても、今ここにいるノワと、さっきまでここにいた、私の知るノワが、同じに見えなかった。
「……先程は失礼致しました」
感情の無い声で、それでも丁寧に頭を下げるノワに、ラルスさんが頷く。
「気にしていない。それより、ミアは?」
「さあ。直ぐに来るとは思いますが」
無関心なノワに、やっぱり強い違和感を憶えた。
あんなにミアを気にしていたノワが、血を飲んだ後に、ミアを放置してくるなんて、変。いつもなら、治癒魔法なり回復魔法なりをかけて、きちんと連れてくると思う。
「……君はこれから、どうするつもりかね」
ラルスさんの、いろいろな意味に取れそうな問いかけに、ノワは小さく溜息をついた。
「そんな所から再開する気ですか? 夜が明けますよ」
「そういう意味ではありません。先程この人が言った矛盾を、貴方はどうするつもりかと聞いています」
ぴしゃり、と叩き付けるように言ったカリナさんの言葉に、ノワは唇を小さく吊り上げる。
ダレ。
「娘と同じ事を聞くんだな」
ココニイルノハ、ダレ。
「答えよう。俺は、化け物だ」
コンナノ、ノワジャナイ。
ワタシハコンナヒト、シラナイ。
「……化け物を、この家に匿うつもりはありません」
ノワの様子にやや身を強張らせながらも、カリナさんははっきりと言い切った。ノワの目が、冷ややかに細められる。
「またそこから話を始めるのか?」
「私達が匿うと決めたのは、先程までの、人の心を持った貴方です。人の心を捨てようとしている、今の貴方ではありません」
ノワの口元から、貼り付けたような笑みが消えた。
「貴方の過去を、私達は知りません。ですが、間違ってもそれは、否定してはならないものです」
「何故そう言える」
見下すようなノワの問いかけに、カリナさんは強く暖かい声で答える。
「それは、今までの貴方全てを否定することです」
ノワはどうしてか、失望したような表情を、一瞬だけ浮かべた。けれど、直ぐに冷たい表情に戻って、言い放つ。
「その通りだ」
『!』
私達全員が、戦慄した。ノワは構わず続ける。
「俺は、今までの俺を否定し、今までの俺の生き方を、目標を、全て捨てる。事実上、今までの俺は、この場で死んだ」
「どうして!?」
思わず叫んだ。ノワの無感動な目が、私に向く。諦めきったその目に、私は吠えた。
「ノワ、私と約束したよ! それも捨てるの? 私に教えてきた事、全部否定するの? そんなの酷いよ!! 今までノワの言葉を信じて、一生懸命やってきたのに!」
ノワの目が、僅かに細められた。
「それはお前の事情だ。俺に押しつけるな」
私の言葉への返事は、それだけ。いくら冷静なノワでも、おかしい。
こんなの、絶対にノワじゃない。
「……いいえ。フウの言う通りです」
静かな声に、部屋中の視線が集まった。
「ミア、どうしたの?」
カリナさんの驚いた声も無理は無いと思う。ミア、真っ青だ。
「貧血などではありません。もう、大丈夫です」
ミアはきっぱり言って、ノワの元へと歩み寄った。無言でミアを見据えるノワをしばらく見つめたかと思うと、いきなり手を上げて、ノワをひっぱたいた。
ぎょっとして、ミアをまじまじと見つめた。カリナさん、ラルスさん、ヴィルさんは、今にも気絶しそうな顔をしている。
「ふざけないで下さい」
ミアの怒った声を、初めて聞いた。
頬をぶたれ、怒声を浴びせかけられたノワは、不思議なものを見るような目で、ミアを見下ろしている。
「……その言葉は、殴られた側の俺が言うものじゃないのか」
「貴方にそんな事を言う資格はありません」
言い切るミアに、ノワの目が険しくなった。
「何だと?」
「大事なものを全て捨てるなんて馬鹿な事を言った貴方に、言われる事ではありません」
その言葉を聞いたノワが冥い笑みを浮かる。
「もう手に入らないものを諦める事の、何が悪い」
「手に入らないと、何故言い切れるのです」
「この世界で、向こうの世界で消えたものが、手に入るとでも?」
ミアが一瞬黙り込んだ。けれどすぐに、深く息を吸って、はっきりと答える。
「手に入ります。全く同じではなくても、きっと」
ノワは一瞬、呆けた表情をした。随分珍しい表情だ。
「お前、誤解していないか? 俺が求めていたのは、復讐だ」
直ぐに苛立ったような顔になったノワが、吐き捨てるように言った。ミアが頷く。
「ええ、貴方の敵そのものを倒すことは、もう出来ないのでしょう。でも、今まで貴方がやってきたように、化け物を祓うことは出来ます」
「化け物が化け物を祓う、か。傑作だ」
嘲るような言葉にも、ミアは動じない。私も、ミアの言いたい事が分からなくって、首を傾げた。
「この世界で魔法学校の生徒となれば、魔物討伐の依頼を受けられます。貴方が人として生きる気があれば、その依頼を果たせるのではないのですか?」
「言っただろう。俺は、人として生きる気は無い」
「では、何故貴方は今、私の言葉に耳を傾けているのですか? 人だからこそ、こんな仮定につきあえるのでしょう」
「…………」
ノワが黙り込む。ミアが畳みかけるように言った。
「人の心を捨てるならば、自分が化け物だと主張するならば、依頼を受ける資格はありません。ですが、貴方があくまでも人として生きようとするならば、仮に貴方がその実吸血鬼だとしても、化け物を祓うことに何の問題も無いでしょう。要は、考え方の問題です。そうは思いませんか?」
そこでミアは、ノワを馬鹿にするような笑みを浮かべる。
「ああ、感情の欠如した化け物には、分からない話でしたね」
——瞬間、ミアの躯が吹っ飛んだ。
「ミア!」
カリナさんが慌てて立ち上がる傍ら、ノワは、ちょっと後悔している顔で、拳を収める。
「……ちっ。お前、いつの間にそんな口をきくことを憶えた」
あからさまに舌打ちするノワは、——いつも通りの、ノワだった。
「効果的、でしたね。ピエールが貴方に話す様子を意識して、話してみたのですが」
ミアが、少しこもった声で答えた。口の中でも切ったみたい。
ミアの答えを聞いたノワが、天を仰いだ。
「……本当にあのじじい、次に会ったらただじゃすまさん」
半ば呪詛のような言葉に、ほっとして声をかける。
「駄目だよノワ、辺り一帯焼け野原になっちゃう」
「五月蠅い」
私の言葉を切り捨てるノワも、いつもと変わらない。何だか嬉しくなってきて、自然に笑顔になった。
私を見るノワの目が、気味の悪いものを見るような目に変わる。
「……気でも触れたか」
「そんな事ないよ、いつも通りだよ」
「ああ、そうだな。お前はいつも変だ」
「貴方の教育が悪いのではなくて?」
思わぬツッコミに、ノワールが眉をひそめて振り返った。直ぐに真っ黒な目が見張られる。珍しい顔。無理もないとは、思うけど。
鬼みたいな顔をしたカリナさんが、杖みたいな形をした魔法具をノワに向けていた。
「女の子を殴って謝りもしない人に育てられれば、まともな教育が施されていないのも、仕方がないんじゃない?」
ノワールが反論しない。口ではほぼ最強だなって、よくマスターにうんざりした顔で言われているノワが、何も言えないみたいだ。
「どうしたの? まず、言うべき事があるんじゃなくて?」
カリナさんの後ろに、どす黒いものが見える。こ、怖い……
思わず、ヴィルさんの後ろに隠れた。ちなみに、ヴィルさんもラルスさんも、カリナさんの鬼気に凍り付いている。
ノワは、というと。
目を閉じて、深々と溜息をついた。
「……こういう形で、諦めさせられるとはな」
多分私にしか聞こえなかったと思う。その呟きは、何処か救われたように聞こえた。
けど、その後声を大きくして返した言葉に、私は思わず目を閉じる。
「最初に殴ったのは、貴方の娘だが」
「男が女の子を殴っていい理由にはなりません!」
カリナさんの怒声に、ノワが再び溜息をついた。溜息をついて、——頭を、丁寧に下げる。
「……すみませんでした」
真剣な謝罪に、カリナさんは満足げに頷いて、その後いたずらっぽく聞いた。
「あら、言葉だけ?」
「土下座でもしましょうか?」
むしろ皮肉っぽいノワの答えに、カリナさんが不思議そうに首を傾げる。
「ドゲザって、何?」
「俺の国で、誠心誠意謝る時の姿勢です。今では滅多にやりませんが」
「へえ、そんなものがあるのね」
興味津々のカリナさんに、ノワが釘を刺す。
「やりませんよ」
「つまらないわ……」
がっかりしたようなカリナさんに、ミアが声をかけた。
「お母様、本来の目的から外れています」
「あら本当。それで、ノワール、どうする気?」
その質問に、あれっと思った。
カリナさんが、ノワの名前を呼んだの、初めてな気がする。
ノワもそれに気付いたと思うけれど、それについては何も言わなかった。
「どうする気、とは?」
白々しい問い返しに、カリナさんが、大げさに溜息をつく。
「ここに留まるの? 出て行くの?」
ノワが、くっと唇を噛んだ。けれど直ぐに小さく首を振って、短く答える。
「言ったでしょう。貴方の娘に付き合う、と」
それを聞いたカリナさんとミアが、勝ち誇ったように微笑んだ。
「……ったく、本っ当に、調子が狂う……」
溜息混じりに独り言を漏らして、ノワールが椅子を取り出し、腰掛ける。
「……ついて行けないよう」
「分からんで良い」
ぽつりと呟くと、ノワにもの凄くぶっきらぼうに切り捨てられた。酷い。
「ねえヴィルさん、分かった?」
「ええと、まあ、一応」
ヴィルさんが視線をうろうろさせながら答えた。ちゃんと答えてくれそうにもない。
ラルスさんに目を向けると、ノワになんだか暖かい視線を送っていたその目を私に向けて、苦笑して首を振った。
「うー」
子供扱いされている気がして唸ると、ミアとカリナさんが同時に笑う。
「フウ、ノワールの事は、もう心配しなくて大丈夫ですよ」
「そうそう、意地になってるだけだからね」
これ以上聞くまい、と思った。だって、ノワの背中に、不穏な魔力の揺らめきを感じた。
悔しそうなノワを尻目に、改めて話し合いが始まる。




