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ココロ 〜Noir〜

 覚悟を口にしようとした瞬間、凄まじい爆音と共に、結界を張ってあったはずのドアが吹き飛んだ。


 間髪入れず、攻撃魔法を叩き込む。


「うわっ!? ちょっと待ってノワ、私だよ!」

 侵入者の声が聞こえたので、冷たく言い放つ。


「それくらい気付いている。結界を壊したからには、攻撃を受けても文句は言えないだろう」

「フウを責めないで下さい。頼んだのは、私です」


 落ち着いた声が割って入った。無意識に、体が揺れる。

 自身の反応に辟易しながら、声の主に視線をやった。


 先程俺の前に立ちはだかった時と同じく、冷静そのものの少女が、俺を真っ直ぐ見下ろし、1歩1歩近付いてきた。何も言わず、何も反応せず、その行動を見守る。


 俺の目の前で立ち止まると、少女は、視線を合わせるように腰を下ろした。そのまま何も言わずに俺を見つめている彼女が鬱陶しくなり、視線を逸らす。


「……気分は、いかがですか」

 何時か聞いたようなその言葉に、彼女の目的が直ぐに分かった。


「1人になれたら文句はないな」

 そう答えて視線を戻すと、相手がぎゅっと口を結ぶ所だった。



 無視して視線をドアの方に送ると、あいつは消えていた。気配を探ると、少女の父親の部屋に転移魔法で戻ったようだ。手際の良さから、あらかじめ2人で計画していた事だと知る。



「……ユハナを救ってくれた事も、この家に巣食っていた魔法を解いてくれた事も、感謝しています」


 唐突な言葉に、もう1度視線を戻す。彼女の顔には、地下に仕組まれた魔術の説明をした後から時折見せていた感情——悲しみが、浮かんでいた。


 それを見ても、何も感じない。ようやくか、それだけを思う。


「けれどやはり、悲しいものは悲しいです。私の決意は、魔物の仕組んだもの。1家揃って魔物に踊らされて、私は餌になりました」


 ようやく本音を口にした少女は、酷く儚く、弱々しく見えた。今までの強かな様子が、演技であったかのように。


「貴方が私をどう思っているのかは知りません。でも私は、餌である事を悲しく思いながらも、餌である事を忌避しようとは思わない、いえ、思えません。貴方のために出来る事は何かと、気が付けば考えています」


 自分の心を確認するかのように、餌ならば当然の事を口にする少女の独白を、俺は黙って聞いていた。


「それが餌だと、そう言われればそれまでですが。ノワール、貴方はどうなのですか?」


 少女が、弱々しさを残しながらも、覚悟を決めた目で俺を真っ直ぐ睨み付ける。相手の質問の意味を理解しながら、それでも何も言わずに彼女がそれを口にするのを待った。


「吸血鬼を憎む貴方が、餌を持つ事をよしとするとは思いません。けれど、餌がいなければ、貴方が生きられないのも事実。欲求の強さ故に、貴方が狂おしい程に血を求めようとする事も、あるのでしょう」


 なおも黙って彼女の話を聞き続ける。胸の奥に渦巻くどす黒い感情を彼女にぶつけてやりたいという、冥い誘惑を抱きながら。


「私は、周りの人間を騙しながら、餌として貴方に一生を捧げると決めました。あたかも餌ではないかのように振る舞いながら、その実、餌としての役割をしっかり果たすと」


 彼女の決意を聞いて、俺は、1つの案がその場で塵と消えたと知った。



 マスターならば、餌との契約を解除できる。契約を解除し、再び誰かと契約せず、食事も取らずにいれば、どんなに多く見積もっても、3月もあれば死ねる。


 だがこの契約は、双方の合意がないと成立しない。譲らない目をしているこの少女は、たとえ命令しても、契約を解除する事を自ら望みはするまい。……今後、その気持ちが変わる可能性も、無いわけではないが。


 一応一縷の望みを繋ぐ一方で、彼女を情緒的に不安定にして、契約に耐えられないようにする方法を、ふと思い付いた。



 …………まず間違いなく、成功する前にマスターに止められる。



 あのじじいには、まだ勝てない。正面からのぶつかり合いならそうそう負けはしないが、こういう分野では、とても敵わない。先程躯を乗っ取られた時、技術の差を改めて痛感した。



「……ノワール、貴方は、どうするつもりですか」

 しばらくの躊躇の後、彼女は意を決して、俺に尋ねてくる。



 さてどう答えるべきかと少し考えるが、面倒になった。先程口にしかけた決意を、そのまま口にする。



「俺は、化け物だ」



 それだけで十分だった。少女が絶句する。



「……貴方は、今までの全てを、否定するのですか」

 否定して欲しいと願っている事がありありと分かるその問いが、俺には不思議だった。


「お前は、今までの俺を知らない。そのお前が、何故俺の過去に拘る」


 疑問をそのまま口にすると、ミアは唇を噛む。

 仕方がない。もう少し、言葉を足す事にした。


「お前の意思には付き合う。お前が餌でないと騙しきれるよう、人間を演じよう。まあ、元々人らしからぬ人だったから、まともな人間に見える事は、天地がひっくり返っても有り得ないだろうが」

「でも、貴方は貴方を、糾弾し続けるのですね。——それが、他の吸血鬼を憎めなくなる事に、繋がったとしても」

「ああ」



 心のどこかで、復讐は諦めていた。消息を絶った時に、アイツに復讐する事はもう叶わないのだと、誰に教えられなくても知っていた。今まではただ、そんなはずはないと言い聞かせ、自分を誤魔化してきただけだ。



 だが、それももう、終わりだ。



「どうせお前は、俺の過去を、マスターに聞いたのだろう」

 少し躊躇った後、彼女は頷いた。


「あれは、忘れろ」

 短く命じた言葉に、どうしてか彼女は抗う。


「嫌です」

「命令だ」

「っ! ……聞けません」

 俺の言葉に言葉を詰まらせながら、それでも抗った。本当に、訳が分からない。


「何故? お前にとって、縁もゆかりもない人間の過去だ。そんな人間、もうどこにもいない。どうせ妙な同情心でも起こしているのだろうが、そんな嫌な話、とっとと忘れてしまった方が、お前も楽だろう」

 そう言って、彼女に手を伸ばした。そのまま額に触れようとした手は、思いの外激しく振り払われる。


「どうした」

 その激しさを不審に思って尋ねると、彼女は強く頭を振った。


「……です」

「何だと?」


 口の中で呟かれたような言葉は、俺の鋭敏な聴力でも聞き取れなかった。聞き返す俺を、彼女は強い目で睨む。



「嫌です、忘れるのは」



 その言葉が理解できずに、首を傾げた。

「人間は、常に様々なものを忘却して生きている。忘れるのが嫌とは、妙な言葉だな。お前は、生まれてから今まで、何1つ忘れずに生きてきたのか?」


 無言で否定する少女に、やや安堵する。全てを覚えている人間も、稀にいる。そういう人間は、いろいろと面倒だ。


「そうだろう。まして、人から聞いた話。憶えているのも難しいそれを忘れる事が、どうして否定すべき事なんだ?」


 自分の間違いに気付いたらしく、彼女は俯いた。一応もう一押ししておく。


「魔法で忘れる事に抵抗があるのかもしれないが、この魔法は、何もしなくとも自然と忘れる脳の機能を、部分的に加速させるだけのもの。人体に影響はない。一瞬だけ軽い眩暈があるだろうが、直ぐに治る」


 そう言って、俯いたままの彼女に、改めて手を伸ばす。その手が額に触れかけた時、彼女は顔を上げた。その顔を見て、面食らう。



 彼女は、泣いていた。目は潤み、頬に透明な滴を伝わせて。何も言わずに、涙を流している。



 何故ここで泣かなければならないのかと、その戸惑いが俺の手を止めた。当惑しきりの俺に、彼女は震える声で訴える。


「貴方は、忘れられるのですか。あれだけの悲劇を」


 意味が分からず、黙って眉を顰めた。それをどう解釈したのか、彼女は尚も涙を流しながら、言葉を続ける。


「大事な人を、失ったのでしょう。目の前で殺され、八つ裂きにされて。そんな過去を、貴方は忘れようとしているのですか」



 ようやく彼女が気にしている事が分かった俺は、思わず口を歪めた。これは愉快だ。あのじじい、1部の事実を隠蔽する事で、あの事件を悲劇の物語にしたらしい。



「憶えていた所で、何の価値があるんだ?」

「自己憐憫も、いい加減にして下さい!」


 錯乱したように叫ばれたその言葉に、今度こそ笑声が漏れた。その声に、少女がびくっと身を震わせる。



 ああ、怖いだろう。今の俺は、普通を演技する機能がいかれている。少し突けば、被っていた仮面は容易く剥がれ、狂気が覗く。



 ——いや、狂気と呼べる程、大層なものでもないか。



「マスターに一体どんな話を聞いたんだ? 俺に、憐れむなんて高級な感情、残ってはいない」



「……っ!」

 彼女が大きく息を呑んだ。何だ、知っているじゃないか。


「俺に残るのは、憎悪、嫌悪、復讐心、憤怒、後は……、悪意か? その程度だな。後の感情は、捨てた。喜怒哀楽なんて言うが、その分類で言えば、怒、だけだな。そんな俺に、あの過去にどんな感情を抱けと?」

「…………」


 彼女が言葉を失う。新しい滴が頬を伝っていた。全くもって、何を考えているのか分からない。



 まあ、当然だ。人は、自分の心と重ね合わせる事で、他者の心を理解する。自分が持つ感情に最も近いものを、似たような表情を浮かべたり、似たような仕草をしたりする事から擦り合わせて、相手の考えている事を理解しているそうだ。


 だが俺は、ほとんどの感情を捨ててしまったために、それが出来ない。マスターに詰め込まれた、人の心理に関わる知識を元に、相手の言動を分析しているだけ。下手に経験や勘に頼るよりも的確に判断できるが、こうして、今まで学んだ知識で対処できない反応は、さっぱり理解できない。


 理性で判断できないものは、俺にとってバグでしかなく、さして価値の無い物だ。



 だがバグは、俺の制御を失わせた。



「知らないのなら、教えてやる。ばらばらになった少女の死体が、本当はどういう末路を迎えたのかを」


 彼女の目に、怯えが走る。だが、もう遅い。今の俺に、言葉を止める枷は、無い。



「簡単な話だ。まだ生きる術も知らず、飢えに飢え、それでも生を求めた少年の、貴重な糧となった」



 ついに彼女の口から悲鳴が漏れた。腰を抜かしたように俺から距離を取る少女に、容赦なく続ける。



「人肉ってな、本当に不味いぞ。化け物共は、どうしてあんなに拙いものを好きこのんで喰うんだろうな。

 ……ああ、今は俺もその化け物か。俺が血を美味いと感じるという事は、根本的な味覚が違うのかもしれないな。あの時は、鉄の味に吐きそうになった」

「……あ、貴方、は…………」



 がたがたと震える少女に、少しやり過ぎたと、ようやく理性が追いついた。表情を消して、話を続ける。


「そういう事だ。こんな記憶、持っていても良い事はない。それに、あの記憶は、もう俺にとって、何の価値も無い」

「何故、です、か」


 身を震わせ、それでも気丈に聞き返す少女に敬意を表し、俺は答えた。


「復讐を諦めるからだ。化け物として生きるからには、化け物を憎むなんて出来ない。憎しみを持てない相手に、復讐など不可能だ。……それに、お前も知っての通り、「人間」の俺が復讐したかった奴は、ずっと前に消えた。姿をくらましたのではなく、文字通り、消息を絶った。今まで悪あがきしていたが……潮時だ。そういう意味では、良い機会だったな」


「貴方に、とって……、あの記憶、は、復讐のために、自分を奮い立たせる、だけの、ものだった、と……?」


 息を切らして、それでも尋ねてきた少女に、眉根を寄せた。

「当たり前だろう。じゃなきゃ、どうして憶えている価値も無い過去を、後生大事に抱え込むんだ。意味が無い。「彼女」のことも、もうほとんど憶えていない。顔も声も曖昧だ」


 だから、どうしてこの少女が、「彼女」に似ていると思うのか、時折不思議なのだが。



「ああ、ついでに言うと、俺はあの時以前の記憶は、ほとんど残っていない。必要の無い事は、全て忘れる主義だ」

「どうして……」


 俺は身を起こし、呻くような声を出した少女に、ゆっくりと近寄った。身を引く彼女を片手で引き寄せ、耳元に囁くように答える。



「負の感情以外を忘れるという事は、それ以外の感情を持っていた時期を忘れるって事だ」



 言葉を終えると同時に、白い首筋に牙を突き立てた。そのまま、魔力を使った分だけ渇いた躯を潤していく。


 彼女の躯は、未だに小さく震えていた。それでも、その躯に流れる血は、何よりも今の俺を満たしてくれる。



 ほら、やっぱり感情なんて、何の意味も無いだろう。



 誰に対するでもない言葉を心の中で呟き、彼女から身を離した。呆然と俺を見上げる少女を無視して、やおら立ち上がる。



「行くぞ」

「……え?」

 戸惑ったように聞き返す彼女に、繰り返した。


「お前の父親の部屋に行くぞ。元々お前は、話し合いの続きをするために、俺を呼びに来たのだろう。だったらさっさと戻って、いろいろ決めるぞ」


 それだけ言って、俺はその部屋を後にした。少女を置き去りにして廊下を歩きながら、ある事を思い付く。



 憎悪、嫌悪、復讐心、憤怒、悪意。それが、俺の持つ感情だと言った。



 だが、1つ、重要な感情を忘れていた。



 破滅願望。



 今も昔も変わらぬそれは、復讐が叶うと本気で信じていた頃を除いて、俺の心の大部分を占めているように思う。



 そして、俺の中に、いつの間にか新たな感情が形を為していた。



 諦念。



 何をしてでも生き残ってきた俺が抱き続けた人生の目標を、今ここで諦めた。ここから先、いくつもの事を諦めることになるだろう。それでも構わないと思った。これも、諦念。



 未だに制御が不完全な心を持って、俺は会談の場に戻った。


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