感情 〜Rouge〜
ノワールとユハナが2人きりで話している間、母上を宥めるのに、僕とミア2人がかりでやっとだった。
「どうして2人きりにしたの!?」
「彼らがそれを望んでいたでしょう、お母様!」
ミアが言い聞かせている横で、僕は母上が中に乱入しないように押し留めていた。
「ユハナに何かあったらどうするの! 吸血鬼と2人きりにするなんて、正気の沙汰ではないわ!」
おかしい、と思う。母上は、ここまで吸血鬼を憎んではいなかった。確かに、この国の人間ならほぼ誰もが嫌っている吸血鬼を、母上も嫌いだった。けど、こんな過剰な反応を示す程ではなかった。
それとも、娘が関わって、直接会うと違うのだろうか。
「彼は大丈夫ですから。僕だって、無事でしょう?」
「油断させて、ユハナを狙っていたんだわ。そうよ、彼が呪ったのかもしれない!」
けれど、血走った目で叫ぶ母上に、普段の賢く優しい母上が、どうしても重ならない。
「それはありえません。彼らがこの世界に来たのは、つい最近です」
「そんな言葉、信じられるものですか!」
……まあこれは、彼の非常識を見て、ピエールに会っていなければ、信じ難いかもしれない。
「……もうやめなさい、カリナ。彼に賭けてみるしかないだろう」
「貴方まで……!」
父上の意外な言葉に、母上が噛み付く。けれど父上は、少なくとも表面上は、冷静だった。
「吸血鬼の魔術に関する造詣は、人間を遙かに凌ぐ。その吸血鬼が、魔道具では救えないと言い切ったんだ。他に縋るものはないだろう。それともカリナ、お前はあの呪いが解けるのか?」
「それが出来れば、とっくにやっています!」
「ならば、彼に任せるべきだ」
迷わず言い切った言葉に、母上が黙り込んだ。その間を縫って、訊いてみる。
「父上、どうして彼を信じようと思ったのですか?」
父上は1度目を瞬く。そして苦笑した。
「吸血鬼の弱点である超音波を防ぎ、挙句、吸血鬼滅殺魔法を無傷——彼の言葉を信じれば、軽傷らしいが——でやり過ごしたんだぞ。あんな魔法、見た事もない。……流石は、異世界のものと言うべきか」
母上の顎が落ちた。その気持ちはよく分かるけど、僕は何も言わずに、ミアと顔を見合わせた。
……これで、治癒魔法も転移魔法も思うがまま、なんて言ったら、どんな顔をするんだろう。
流石に、今すぐ教えるのは刺激が強すぎる気がしたので、黙っておいた。
「……分かりました。貴方がその目で実力を確認したというなら、私も待ちましょう……但し」
母上が、ぎらぎらとした目で言い放った。
「——もし、ユハナに何かあったら、何としてでも彼を殺します」
「ご自由に」
突如割り込んできた声に、全員が飛び上がった。振り返ると、何故か疲れた様子のノワールが、やや不機嫌な顔で立っていた。
「終わりましたよ。彼は眠らせていますから、しばらくは起こしても起きないでしょう」
「……それで、どうだったんだ?」
緊迫した声で、父上が尋ねる。誰もが彼に注目した。僕達を見て、彼は肩をすくめる。
「ぎりぎり、でしたね。あれ以上衰弱していれば、まず間違いなく持たなかったでしょう。彼の精神力の強さには感心しました」
「じゃあ……」
思わず声を上げた僕に、ノワールは面倒くさそうに、けれどはっきりと言った。
「もう大丈夫だ。今日明日辺りゆっくりしていれば、元通りなんじゃないか。彼の体力次第だな。……少なくとも、呪いは解いた」
ミアを見る。妹は、心の底から嬉しそうな顔をしていた。僕も似たようなものだろう。やっと、ユハナを助けられたんだ。
「……さて、もう1つ」
そう言ってノワールが、不意に視線を宙に彷徨わせた。何事かと彼を見守っていると、突如、何かが爆発するような音が、下の階から聞こえてきた。
「な……!?」
僕達が言葉もなく驚いているのを余所に、ノワールは深い溜息をついて、頭痛を堪えるように頭を抑えた。直ぐに、両親に頭を下げる。
「……すみません、あいつは未だに加減を知らなくて。どこか壊していたら、俺が直すので」
「……その前に、何があったか説明してくれ」
全員の気持ちを代表して告げる父上に、ノワールは身を翻した。
「説明するより、見せた方が早い。着いてきて下さい」
背中を向けたままそう言って歩き出した彼に、好奇心に駆られて着いて行った。何だか、彼が次は何を見せてくれるのか、だんだん楽しみになってきた。
僕の家の間取りなんて知らないはずのノワールについて、1階に降り、奥に歩いて行く。迷わず地下へと続く隠し扉を開けたのを見て、我慢できずに訊いた。
「……どうしてここを?」
「俺は、どこかの建物に入る時には、中の様子を把握しないと気が済まない性分だ。無意識に探査魔法を使ってしまった。気を悪くしたなら、謝る」
「いや、別に良いけど。多分」
そんな大層な隠し事は、この家には無い。唯一にして最大の隠し事は、今、目の前にいる。
地下に降りる。明かりは無く、数メートル先もよく見えないのだけれど、彼はまるで見えているかのように、迷いのない足取りで進んでいく。僕達はおそるおそる、手探りで進んだ。
「……見えないなら、魔法を使って明るくすれば良いだろう」
呆れたようなノワールの言葉に、ようやく魔法を使う事に思い至った。慌てて小さな火を呼び出して、彼に着いて行く。
家のちょうど真ん中辺りまで歩いて行った時、奥から足音が聞こえた。
「あ、ノワ! ちゃんと出来たよ!!」
誇らしげに報告するフージュに、ノワールはただ一言。
「加減」
「……ごめんなさい」
しゅんと落ち込んだ様子で謝るフージュに、尋ねる。
「フージュ、何をしていたの?」
「えっと、ノワが呪いを解いてる時くらいから感じた邪気を辿ってみたらここについて、邪気の原因を見つけてノワに知らせたの。潰せって言われたから、魔法で吹っ飛ばしてみたん、だけど……」
「柱ごと吹っ飛ばさなかったのが奇跡だと思えるくらい、大規模な魔法しか思い付かなかった、と」
「あう……」
ノワールの容赦ない追求に、フージュががっくりと項垂れた。未だに何があったか分からない。
ノワールが足を進めて、爆発の中心地で屈んだ。
「……これか」
鋭く呟いて、手にしたそれを、僕達に見せた。
煤けたそれは、掌くらいの大きさの、泥のような塊だった。塊から魔物のような気が漂ってくるのを感じて、背中が粟立った。
「化け物……この世界では、魔物か。魔物の妖気を練り合わせた代物だ。フウが何もかも吹っ飛ばす前は、魔法陣が刻まれ、魔術を発動し続けていたはずだ。この家の者が漏らす魔力を源にして」
そう言って彼は、それを握りつぶした。同時に、嫌な気も溶けるように消える。
「どういう魔法だったんだ?」
「貴方なら気付いているでしょうに」
素っ気ない声は、どうしてか機嫌が悪い。何があったのかと首を傾げる間もなく、父上が答えを口にする。
「……私達の判断力を極端に下げる魔法、か。いつの間に……」
「おそらく、呪いと同時期に。俺達の魔力に反応して、更に効果が強くなったのでしょう」
「あれ? 私達のせい?」
「多分な。呪いと連動させてあった、というのも一因だろう。呪いが強力になるに従って、これも強くなっていった。そうじゃなければ、吸血鬼が憎いと言いながら、娘を餌に差し出すなんて無茶苦茶な事はしない。あの子供でさえ、魔法具では呪いは解けないと判断が付いていたのに」
どうでも良い事のように彼は語るが、僕達の受けたショックは生半可なものじゃなかった。
「ここ最近家を空ける事の多かったヴィルヘルム、呪いを抱えてたために魔術が打ち消されていたあの子供、この2人は影響が少なかったから、割と柔軟にものを考えられた。だが、後の3人は違う。お前が餌になる事に躊躇わなかったのも、その為だろう」
最後の言葉はミアへのものだったけれど、妹が聞いていたかは怪しい。
両親が、ミアが、命を賭けるくらいに思い切った覚悟は、魔物に半ば操られてのものだった。魔物のせいで、ミアは、魔物の餌になってしまった。
取り返しの付かない事態に、頭が真っ白になる。
「——ありがとう」
それなのに、父上は。
「君には、礼を言っても言い切れないな。私達全員を救ってくれた」
彼に、礼を言った。
「……俺の忠告を、もう忘れたのか」
「子供達の命の恩人であり、私達を魔物の侵略から救ってくれたものに向ける警戒心など、持っていない。この魔法が解かれていなかったら、私達は近いうちに自滅していた。これは、そういう魔法だろう?」
ノワールの地を這うような声にも動じない父上に、彼は小さく舌打ちをした。
「自分が身を置く場所の障害を排除しただけだ」
「……それでも、私達を救った事には変わりない」
母上まで、そう言った。顔を見ると、どこか呆然とした表情で、僕とミアを見つめていた。
「魔法が解けてみたら、分かるわ。どれだけ我を失っていたのか……。なんてみっともないのでしょう」
「1番家にいたからだねー。影響を誰よりも受けてたんだよ。多分、えっと、あの子の世話を1番長く見てたんじゃない? 呪いの瘴気のせいで、抵抗力が落ちてたんだよ」
激しい自己嫌悪に陥っている様子の母上に、フージュが明るく言った。さっき母上に斬りかかろうとしていたとは、とても思えない。フージュも、魔法の影響を受けていたのだろうか。
「いや、あいつはそういう奴だ」
僕の心の声に返事があって、びっくりして顔を上げる。フージュと母上に背を向け、ノワールが僕の目の前に立っていた。
「基本ガキだからな。根に持つとか、知らん」
「……そう」
やっとそれだけ言って、俯く。彼は何も悪くなく、むしろ僕達を助けてくれたと分かっていても、素直に良かったと思えなかった。彼がいなければ、妹もこんな事にはならなかったと、そればかり思ってしまう。
「——その気持ちを、忘れるな」
ノワールの声が、やけに強く響いて聞こえた。再び顔を上げると、彼は強い光を目に宿して、僕を見つめている。
「お前の気持ちは、正しい。大事なものを奪われ、吸血鬼の餌などにされたんだ、恨むのは当たり前だ。お前の両親は、人が良すぎる。結局、1度も責めないまま、俺を匿おうとしている」
しかし、と彼はなおも続けた。その顔に、何の感情も浮かべないまま。
「しかし、それは間違いだ。俺は、吸血鬼。警戒し、彼女を奪われたと怒るのが当然で、納得する事ではない。そうでなければ、彼女が哀れだ」
彼の言葉に、妹を見ると、どこか悲しみを押し隠したような表情で、両親やフージュと話していた。
「——だが、堕ちるなよ」
呪文のような響きを持った彼の言葉に視線を戻して、息を呑む。漆黒の目に射竦められて、身じろぎ1つ出来なかった。
「俺を恨むのも、憎むのも、当然だ。だが、その感情に溺れるな。俺を殺したいなら別だが、そうでないなら、そんな感情、持つだけ無駄だ。負の感情で心を満たせば、もう元には戻れない」
そこで間を置いて、彼は僕の目を覗き込んで、繰り返した。
「お前は今のまま、妹の側にいてやれ。——堕ちるなよ、ヴィルヘルム=オッシ=パーヴォラ」
彼は服の裾を翻し、フージュ達に向き直る。
「戻りませんか。それに、これからどうするか、もう少し話し合うべきでしょう」
「……ああ、そうだな。私の部屋に戻ろう」
父上の提案にみんなが賛成して、地下室を去った後も、僕は彼の言葉が頭の中で反響して、しばらく動けなかった。




