憤激 〜Rouge〜
部屋の重い沈黙を破ったのは、外の足音だった。ばたばたと慌ただしい足音は、部屋の前で止まったかと思うと——
——ドアが、吹っ飛んだ。
派手な音を立てて吹っ飛ぶドアに驚いていると、ドアのあった場所から、女の人が入ってくる。ヴィルさんと同じ青灰色の髪で、目はミアよりちょっと濃い緑色。女の人は、部屋の中を見回し、ミアを見つけるなり、思いっきり抱きしめた。
「ミア!」
「……お母様、ただいま戻りました」
ミアが、嬉しさと困惑の混ざった表情でそう答えた。ヴィルさんも、ほっとしたような笑みを浮かべている。
「…………カリナ。ドアを壊さないでくれ」
ラルスさんが、苦い表情でミア達のお母さんにそう言った。カリナと呼ばれた2人のお母さんは、ミアを抱きしめたまま言い返す。
「鍵どころか結界まで使ってこの部屋に閉じ籠もる貴方が悪いのです。娘が帰ってきたというのに、貴方ときたら、戦闘が優先ですか」
う、と言葉に詰まるラルスさんを放って、カリナさんが、ヴィルさんとミアに向き直った。
「ヴィル、ミア、お帰りなさい。アイラに聞いて、全部放り出して来ちゃったわ。無事で良かった」
ヴィルさんもミアも黙り込む。顔に浮かんでいる表情は、嬉しさと共に、ちょっと困っているように見えた。
カリナさんは2人の様子にちょっと首を傾げた後、私に視線を移したかと思うと——
——思いっきり、抱きしめられた。
「2人を助けてくれたと聞きました。ありがとう」
何時どうやって近寄ったの!? とびっくりする私を余所に、カリナさんが暖かい声でそう言った。息が苦しくなりそうなくらいきつく抱きしめられているのに、不思議と嫌じゃなく、むしろほっとする。
「えと、ダンスーズ・フージュです。フウって呼ばれてます」
「フウちゃん、ね。カリナ=ヘラ=パーヴォラ、ヴィルとミアの母です。それで、貴方は?」
自己紹介してくれた後、カリナさんがノワを振り返った。途端、部屋の空気が堅くなる。
ノワは僅かに目を細めた後、冷たい表情と冷徹な口調で、問いかけに答えた。
「スブラン・ノワール。貴方の娘を飼う——吸血鬼です」
カリナさんが凍り付く。しばらくノワを見つめた後、ノワに再び尋ねた。
「……どういう事?」
「言葉の通りです」
冷え冷えとした声で答えたノワを見て、カリナさんはミアの方を向く。
「ミア、どういうつもり? ユハナのためにとここを送り出したことは、確かに悪いと思ってる。けれど、吸血鬼を人の集まる場所に連れてくるなんて思わなかったわ。それがどれだけ危険な事か、分かってる?」
ミアが俯いた。それを見かねて、ヴィルさんが戸惑い顔で口を挟む。
「母上、彼は——」
「貴方もです、ヴィルヘルム。ミアを助けに行く、その優しさは貴方の長所だけど、時と場合を考えなさい。ミアが餌になったのは、分かっていたのでしょう? どうして連れて帰ったの」
その問いに答えたのは、ラルスさんだった。
「……先程の戦闘を通して、彼を家に匿うと決めた。諸事情により、他の方法もない」
ラルスさんが、私達の素性を簡単に説明した。私達が異世界から来た事と、私達が——吸血鬼の集落を全滅させた事を。
「全滅?」
掠れた声で聞き返すカリナさんに、ヴィルさんとミアが頷く。
「この情報も、近いうちに貴族達に伝えられるだろう。それを待って、集落が全滅した為、ミアは餌にならずに済んだと公表する。彼らは、あの草原を帰ってきた2人を助けた旅人で、礼代わりに世話をする、という事にする」
「……どうして決定事項のように話すの?」
「私と彼で戦った。彼が勝ったら匿うと、約束した」
ラルスさんの答えに、カリナさんはびっくりした顔でノワを見た。ノワは無言のままだ。
カリナさんはしばらく何事か考えた後——
「貴方が認めたとしても、私は認めません」
——激しい口調で言い切った。
「吸血鬼をこの家に置くなんて……冗談じゃないわ。今すぐ、出て行ってちょうだい」
「娘を放り出すのですか?」
ノワの問いにも、カリナさんは揺るがない。
「餌として差し出す事を決めた時に、覚悟は決めました。息子の為に娘を犠牲にすることを選んだ私が、今更追い出す事に躊躇う気はありません」
……ミア、嫌われてない?
両親ともに同じ事を言うから、ちょっと心配になった。そもそも、弟の為だからって、これだけ嫌っている吸血鬼に娘を差し出すっていうのも、なんか変だし。
「貴方のようなモノ、目に入るだけでも嫌。出て行きなさい、この——」
でも、そのあと続いた言葉で、疑問は吹っ飛ぶ。
「——血も涙も無い、人間を苦しめる、化け物め」
「何も知らないくせに!」
咄嗟に叫んで、気付けばカリナさんに向かって走り出していた。
「よせ、フウ!」
初めて、ノワの声が緊迫する。聞く気が起きなくて、腰の刀を抜いた途端——
——見えない障壁にぶつかって、思いっきり弾き飛ばされた。
「……2度は言わない。フウ、刀を仕舞え」
ノワが、私に刀を向けていた。真っ黒な刃には、ノワの魔力がかなり込められていて、ノワが本気なのが分かる。
——今逆らったら、ノワは間違いなく私を殺す。
この数年で染み込んだ教育が、私を止めてくれた。
「……ごめんなさい」
謝って、刀を仕舞う。ノワはしばらく私を見つめて、私がちゃんと自分を抑えたと確認してから、自分も刀を仕舞った。
小さく息を吐き出して、ノワがカリナさんに頭を下げる。
「すみませんでした。彼女はまだ、自身の制御が未熟でして」
こんな人に謝って欲しくなかったけど、今のは私が悪い。それは、落ち着いたらちゃんと分かった。
「俺を追い出すも匿うもご自由にどうぞ。ただ、彼らが俺をここに連れてきた1番の目的だけは、果たさせていただきます」
「1番の目的とは、何かしら」
堅い口調で問い返すカリナさんに答える代わりに、ノワはヴィルさんに向き直る。
「案内してくれ」
「……ああ」
強張った表情で頷くヴィルさんが部屋を出た。後に続こうとしたノワの背中に、カリナさんが怒鳴る。
「どこに行くのです! 勝手に家をうろつくな、化け物!」
ノワは振り返る事なく、そのまま部屋を出て行った。その後をミアが慌てて追う。
私も着いて行こうとして、振り返った。目の合ったカリナさんに、ノワに聞こえないくらいの声で囁く。
「私、謝らないもん。ノワには、約束を破りかけたから謝ったけど、貴方には絶対謝らない。貴方なんて、大っ嫌い」
「結構よ。吸血鬼に慕う人間なんかに好かれたって、こっちが良い迷惑だから」
睨み付けながら言い返して、カリナさんはノワ達を追うように部屋を出て行った。ラルスさんがその後に続く。
1人きりになった部屋で、さっきまでノワが立っていた場所にゆっくり歩み寄った。
ノワが立っていた場所には、緋い染みがいくつも落ちていた。




