第3話 二〇〇四年一月十七日の失踪
「安藤幸恵と申します」
この言葉を皮切りに、いきなり名刺交換が始まってしまった。
神馬さんが名刺交換したのをまねして、なんとか名刺交換デビューを果たす。
もらったのは、横長の名刺。
株式会社安藤食品
代表取締役 安藤幸恵
女性の社長さんだ―
「どうぞお座りください」
安藤さんに促され、ボクたちはソファに座った。
木目調の品の良いテーブルを挟んで、白髪交じりの品が良い女性もソファに座る。
「ちょっとびっくりしました。
かなり若いので。
いいえ、信用してないわけじゃありません。
なにしろ、あの鷹宮探偵事務所さんですから」
安藤さんの不安は正しい。
なにしろ、あの鷹宮探偵事務所が送り込んだのは新人探偵と新人奴隷なんだから。
「ご主人の失踪に山登りが関係しているとお聞きしました。
だからこそ、若い2人が担当のがふさわしいと」
山登りと関係するから若い2人がふさわしい?
なんじゃそりゃ―
「資料には目を通してますが、もう1度簡単に依頼内容を説明していただけますか?」
神馬さんがカバンからホチキス止めされた紙を取り出し、手際よくテーブルに置く。
なんと!―ボクにも見えるように、彼女とボクの真ん中においてくれた。
「忘れもしません。
2004年1月17日土曜日、この日を最後に夫の行夫は失踪して戻ってきません」
安藤さんが言い終えると、
どこか遠くから、機械の低い音がかすかに届いてきた。
そうか。
工場は、同じ敷地内にあるが、建物は別だった。
山で消えた人の話を聞いているつもりだったが――
これは、家庭から消えた夫であり、会社からも消えた一人の男の話だ。
そんなことを考えていると、神馬さんが、ボクにも分かるように、資料をめくってくれた。
めくられたページには、温和な中年男性の写真がプリントされている。
「ましろさんに登ってくる、今日中には帰るから。
あの日の朝、こう言って夫は出て行きました。
それっきりです。
今まで、連絡もなければ、戻ってきません」
登山に興味がないボクでも―ましろさん―は知っている。
いくつかの山をまとめた通称。
たしか埼玉県だったはず。
ボクにも分かるように、資料をめくってくれた。
ましろさんの簡単な地図が描かれている。
どこかのサイトを印刷したらしい。
安藤さんの話をまとめると、こうだ。
2004年1月17日(土)、行夫さんは「ましろさんに登ってくる。今日中に帰る」と言って出ていった。
その日は帰らない。翌日(日)も帰らない。
そして1月19日(月)の朝――仕事があるはずなのに連絡が取れない。
ここで警察に連絡した。
ボクも不思議に思ったことは、新人探偵も疑問に思ったようだ。
「行夫さんは、スマホを持っていかなかったんでしょうか?」
「ええと、当時はまだケータイ電話ですね。
夫はケータイを持っていましたが、仕事のため仕方なく持っている感じでした。
当日の朝も、ケータイを持っていくように言ったのですが、今日中に帰るからとケータイは家に置いて行っちゃいました」
随分変わった人だ―
だが、神馬さんはなにも感じなかったらしい。
次の質問に移る。
「そうですか。
行夫さんは、山に登るとき、登山届を出さなかったんですか?」
「警察が、5つの山、すべての登山届をひたすら調べてくれたんです。
でもダメでした」
「行夫さんは、登山届を出さなかった、と」
資料に視線を落とす。
*山は通称
こんな注意書きの下に、5つの山とJR真白線の路線図の位置関係が描いてある。
東京側から近い順に並べると――
<南>
祖母山
母山
並山
冬禁山
難山
<北>
となるらしい。
「祖母山・母山・並山の3つは、警察もかなり捜索してくださいました。
冬禁山は一部だけ捜索、難山はまったく捜索しなかったそうです」
え?警察って、失踪者を徹底的に捜索してくれないの?―
「警察はなぜその地域だけを捜索したんでしょうか?」
「ましろさん一帯は広すぎます。
登山届も提出してませんので、どの山に行ったのか、誰も見当がつきません。
1日で帰ると言っていたこと。
登山の経験がほぼないこと。
11月半ばで冬が近いこと。
軽装であること。
1人であること。
これらの点から、行く可能性がある範囲を絞ったと聞いています」
「行夫さんは、1人で登山に行ったのですか?」
「ええ、1人で行くと言ってました」
「自動車で?電車で?」
「自家用車は、あの駐車場に置きっぱなしでした。
だから、電車だと思います」
「行夫さんは、運転免許をお持ちだったんですね?」
「はい。仕事で車を使ってましたから」
じゃあ、JR真白線を使ったのか―
「行夫さんが使っていた自動車は?」
「失踪して数年後に処分しました。
もう戻ってこないと、ふんぎりがつきましたので」
「ということは、行夫さんの部屋も残ってない?」
「あれから家を建て替えました。
古すぎて大きな地震を考えると危険ですから」
そう、ここは会社の建物ではなく、一軒家なのだ。
「場所は同じですか」
「ええ、場所は同じです。
ここに家があり、隣に会社の事務所と工場があります。
夫が失踪した時から、位置関係はまったく変わってません。
しかし、それが捜索に関係あるのでしょうか?」
「行夫さんの人となりを理解したいんです。
どんな性格なのか、どんな行動を取る傾向があるか、などなど。
自動車や部屋の中から、推察できないかと思って」
「ああ、なるほど」
ハッタリがすごい。
「でも、ごめんなさい。
夫に関するモノはなにも残ってません。
すべて処分しましたから」
「すべて…ですか…」
愛する夫、そんなに思い切りスパッと割り切れるのか?―
「でしたら、もし可能なら、行夫さんを知っている会社の方にもお話をお聞きしたいのですが」
安藤さんは、上品さを保ちながらも困惑を隠さなかった。
「弊社は社員50人~70人くらいの中小企業です。
大手と違い、あまり社員が定着してくれません。
出入りが激しいもので、2004年当時の社員となると…」
「行夫さんを知る社員は、誰も残ってませんか?」
「営業部長の佐久間とか…
庶務課長の水口は、若すぎ?…うーん、あの時、入社してたっけ?
残っている人はいるはずですが、片手で数える人数しか残ってないと思います」
「それでも、構いません。
もちろん、強制ではなく、可能ならお願いしたいレベルの話です」
「今、誰が2004年当時社員だったのかすら分かりません。
可能かどうか検討しますので、お時間をいただけますか」
「もちろんです。
では最後に…」
やっと、終わった―
クイッ―
新人探偵が、かわいさ100%の笑顔を向けてくる。
「二階堂くん、なにか質問はある?」
はぁ?あるわけないじゃん!-
まったく思いつかない。
「特にありません」でも良かったんだ。
だが、ボクは大事なことに気づくのが遅い。
「ええと…そのぉ…
なぜ今になって、旦那さんを探そうと思ったのでしょうか?」
「若いお二人には分からないでしょうが、私の年齢です。
私も80才到達が見え始め、死について考えるようになりました。
悔いを残さないで死にたい。
結果はどうなるかわからないけど、死ぬ前にやるべきことをやっておこう。
そう思ったんです」
気まずい空気になってしまった―
安藤さんが気を利かせてくれたようだ。
「いや、それだけじゃないんです。
孫娘が今年20才になりましてね。
夫が失踪した後に生まれたんで、夫に孫を見せることはできなかったし、孫娘も夫に会ったこともありません。
だから20才に意味がないことがわかってるんですけど、それでも節目なので」
―――――
「バッカじゃないの!?」
当然のように助手席に乗り込んだ新人探偵は辛辣だった。
「なによ、あの無意味な質問は?」
「神馬さんが急に質問を振るのが悪いんじゃん!
さっき名刺を渡されて、急に探偵助手だって言われて、どうしろっていうの?」
意外にも、すぐには反論してこなかった。
「ご、ごめんなさい。
たしかにそうよね」
神馬理論では―悪いと思ってなくても、謝罪できる―そうだ。
彼女の謝罪に意味はない。
「これは本当の謝罪だよ」
なんと!
神馬さんが本当に謝罪するハートを持っているとは!?
左横を見ると、本当に反省しているようにも見える。
「いや、ごめん。
言い過ぎた。
で、アッシーは名探偵をどこに連れてけばいいの?」
「鷹宮探偵事務所にお願い」
「え?
場所を知らないよ」
この瞬間、神馬さんの表情が険しくなる。
「前言撤回!
やっぱり―バッカじゃないの!?―
渡された名刺の住所くらい、ちゃんと見なさいよ!」
住所を見たってどこかわかんないよ―
しぶしぶ、名刺を確認する。
株式会社 鷹宮探偵事務所
探偵助手 二階堂衛
住所 東京都豊島区東池袋3丁目1-1 サンシャイン60ビル20階
「サンシャイン60って、あのサンシャイン60?」
「サンシャイン60って2つあるの?」
ボクは、なにも言い返せなかった。




