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最終話

 ぼんやりと意識が浮上したとき、まだ身体には快楽の名残が残っていた。全身が重たくて指一本動かす気にもなれないのは、散々アルバに抱き潰してもらったからだろう。なんだかしあわせな夢を見たような、柔らかな気分だった。段々と意識がはっきりしてくると、部屋の中にたったひとり残されていることに気づく。


 カーテンが引かれた部屋の中は薄暗かったが、零れる日差しから夜は明けていることが知れる。あれからどれくらい経ったのかわからなかったが、無我夢中でアルバだけを求め続けたことはおぼろげに覚えていた。何度も何度も欲しいと強請って、奥まで暴いてくれとぐずった。シエロのオメガの性を目の当たりにして、アルバは一体どう思ったのだろう。アルバが嫌う他のオメガと同じだと幻滅されてはいないだろうか。


 ヒート明けにひとりで残される寂しさに耐えかねて、どうにか身体を起こした。脱ぎ散らかしたはずの服がなく、シエロの身体も綺麗に清められているのは、先に起きたアルバが気を遣ってくれたからだろう。もぞもぞとシーツを手繰り寄せて、裸を隠すように包まる。そっとベッドから降りようとしたら、力の入らない膝が折れて床へとへたり込んでしまった。こんな状態のシエロをひとり残して、いったいアルバはどこへ行ったのだろう。


「僕に嫌気がさしたとか」


 冗談のつもりでそう零したら、思いの外鋭い棘となって心に刺さるのを感じる。抱かれている最中、拒絶されるようなことは一切なかった。シエロの求めに応じて慈しんでくれたし、嫌がる素振りは見せていなかったように思う。けれど実際今アルバがいないせいで、折角のしあわせな気分が萎み始めていた。


 その上、シエロはうなじを噛まれてはいなかった。念のためうなじに手をやってみても、いつもと変わらずつるんとしている。ヒートがきたら番になれると思っていただけに、うっすらとした絶望が足下から這い登ってくるようだった。


「シエロ? なにをしている?」


 すっかり意気消沈していたところで部屋の扉が開いて、アルバの声が降ってきた。勢いよく顔を上げると、怪訝そうなアルバが視線を合わせるように膝をつく。それはこっちのセリフだろうと、苛まれていた不安を通り越して怒りが湧いてきた。そもそも、ヒートが空けた朝にオメガを置いていなくなるアルファがどこにいる?


「お前こそどこに行っていたんだ!? 僕はてっきり、捨てられたんじゃないかと思ったぞ!」

「お前を捨てる馬鹿がどこにいるんだ。まだ目覚める気配がなかったから、食事を取りに行っていたんだ。起きたら腹が減っているんじゃないかと思って」


 そう言って、アルバが扉の傍のキャビネット上に置かれたトレーを振り向いた。そこには湯気を立てるスープの椀と、焼き立てのパンが載っている。それを認識した途端、ぐうと腹の虫が鳴いた。恥ずかしさに頬を熱くしたシエロを笑ったアルバに、食べるかと問われて素直に頷く。


「こんなところに座っていたら身体が冷えるだろう。どうしてベッドから降りたりしたんだ?」

「お前を探しに行こうとしたら身体に力が入らなかったんだ」

「ああ、あれだけ抱き合えばそうなるだろう。身体は平気か?」


 優しく頬を撫でられると、勝手に感じていた不安が溶けて消えていく。抱き上げられてベッドへと降ろされると、アルバがトレーを持ってきてベッドの上へと置いた。一緒に載っていたポットから紅茶を注いでもらうと、その温かさにほっと気持ちが落ち着く。傍に座るアルバに見つめられながら食事をするのはなんだか緊張したけれど、胃が空っぽなだけにスープもパンも食べる手が止まらなかった。シエロはベッドの上で食事をしたこともなければ、こんな風にがつがつとパンに齧りついたこともない。けれど今はそんなことを気にしてはいられないほど、空っぽの身体が食事を欲しているのがわかった。


「随分と腹が減っていたんだな」

「あれからどれくらい経った?」

「三日三晩だ」

「三日三晩!?」


 思わず食べるのを忘れて叫んだシエロに、アルバがそうだと苦笑いを零した。口端についたパンくずを指で拭われて、覚えていないのか? と問われる。


「あんなに俺を求めていたじゃないか」

「は、初めてだから記憶が曖昧で・・・い、嫌じゃなかったか? その、僕は随分と、自分でもびっくりするくらいはしたなかったと思うから」


 アルバの反応を見るのが怖くてつい目を伏せる。どうやら面食らっていたらしい彼が零す笑い声に気づいて目を上げると、アルバがおかしそうに腹を抱えていた。


「そんなに笑うことか?」

「お前がおかしなことを言うからだ。アルファは元来、オメガに求められたらうれしいものだ。だから俺はお前に強請られて、最高にいい気分だった。シエロが俺だけのものにようやくなったんだからな」

「そ、そう言うわりには噛んでいないじゃないか!」


 照れ隠す代わりにそう言えば、またアルバが目を丸くする。それからひらりと右手を眼前に晒されて、手の甲についたいくつもの噛み傷を見せられた。


「番になろうと口説いたら、お前が駄目だと泣いたんじゃないか。覚えていないのか?」


 今度はシエロが面食らう番だった。覚えていないと首を振って、アルバの傷ついた手を両掌で包む。放り投げられたパンがシーツの上へと転がった。アルバはこの手でシエロのうなじを庇って、噛みたい欲求を必死で怺えてくれたのだ。


「痛いか?」

「さっき魔法士に治癒魔法をかけてもらってきたから、見た目ほどひどくはない。なぁ、シエロ。番になることで、俺を縛りつけたくないとまだ思っているのか?」

「僕がそう言っていたのか?」

「ああ。お前が俺のことを想ってくれていることはわかっているが、土壇場で拒絶されるのはくるものがあるな。俺はお前に言われた通りに噛まないことで、お前に誠意を示したかったんだ。正気に戻ったあとで非難されるとわかってはいても、だ」


 アルバの真摯な言葉が胸に落ちてきて、シエロの、自分でも気づかないくらい奥深くに引っかかっていた最後の懸念を奪い去っていった。心のどこかでずっと、アルバが後悔しないかと不安に感じていた。いくら大丈夫だと言われても無理しているのではないかと、実際に抱いてもらうまで怖かったのだ。


 それが無意識のうちに、シエロの意識を離れた状態で口に出てしまったのだと思う。それはシエロも知らない本心で、アルバと番になりたいと必死に願う裏腹にずっと隠れていたものだった。けれどもう、アルバのひとつひとつの言動がすべて、シエロを慈しんでくれていることがわかる。

 だから、もう大丈夫だ。


「僕はアルバと番になりたい。その気持ちに嘘偽りはないよ」


 傷だらけの掌に頬を摺り寄せると、アルバが安堵するように目を細めた。この先も、彼と共に歩もうと思うには説得する問題が山積みだ。けれど遂に、シエロは頑ななアルバの心を口説き落とした。それだけは、誰に避難されようとも胸を張って誇れる。

 シエロは掛け替えのない、たったひとりの運命を手に入れたのだから。


「それじゃあ、食べ終わったらまた抱かせてほしい。お前は覚えていないようだから、俺がどれほどお前に心酔しているか教えてやる」


 突然アルバにそう言われて、シエロが齧ったままのパンを唇に押しつけられた。頬に熱が昇るに任せてなにを言っているのだと非難すれば、実に楽しそうなアルバがその頬を笑みに崩した。


「なんだ、素面のまま抱かれるのは嫌か?」

「い、嫌じゃないけど、そう言われるとは思っていなくて、」

「シエロ、俺はお前のヒートの相手をする都合のいい男じゃない。俺だってお前のことを抱きたいんだ。叶うことなら、誰の目にも触れさせずに閉じ込めておきたい」

「ど、どうしたんだ、アルバ。そんなこと今まで言わなかったじゃないか」

「お前を抱いて確信した。俺はどうやら、お前のことがいとおしいらしい。今だって、ヒート明けのお前を誰にも見せたくなかったから、甲斐甲斐しく世話を焼いているんだろう」


 それでメイドも呼ばずにシエロのための食事を取りに行ったのかと納得がいった。突然の独占欲に晒されたシエロだったが、すぐに心が追いついて顔がうれしさににやけてしまった。


「いいぞ、アルバ。僕をすきにすることを許してやる。こんなことを許すのはお前だけだ」

「その言葉忘れるなよ。俺は嫉妬深いんだ」

「その代わり、お前も一生僕のものだぞ!」


 アルバの鼻先に指を突きつければ、彼が擽ったそうに笑いながら二つ返事を寄越した。それから食事そっちのけで、ふたりしてシーツへと甘く沈んだ。




 シエロのヒートが落ち着いてから数日後、アルバと結ばれたことは周知の事実となっていた。ギデオンは未だシエロのヒートは自分が引き起こしたのだと言い張っており、アルバにその立場を奪われたのだと嘆いている。居座り続けるギデオンの相手はユーリウスが買って出てくれていたが、あまりに頑なに同じことを言い続けるので、終いには匙を投げたと聞いた。


「シエロ、陛下がお呼びだ」


 ヒートが落ち着くまではと休みをもらっていたシエロはその日、アルバと皇子宮の図書室で寛いでいた。アルバが随分と公用語に精通してきたので、難しめの本を共に読んでいるところだった。そこにシエロを探しにやってきたヴィクターが、ふたりの姿を目の当たりにして眉間の皴が深くした。


「お前たちはくっついていないと死ぬのか?」


 そう苦言を呈されて、シエロはアルバを仰ぎ見る。シエロは、座り心地のよい椅子に腰かけたアルバの膝に座って、ひとつの本をふたりで覗き込んでいた。


「なんだか離れがたくてな。ヒートも明けてしまったし」


 あっけらかんとそう言うシエロに、ヴィクターが溜息を寄越した。アルバと片時も離れずにいたヒートの期間を想うと、シエロは胸が幸福に満たされていく。彼の甘やかしは今この瞬間もずっと続いてはいるものの、流石に四六時中ベッドの上でくっついているわけにもいかない。それで苦肉の策のこれなのに、ヴィクターには理解しがたかったようだ。


「まぁ、よかったと言っておこう。ギデオン殿下がお前の運命は自分だと主張しているのは知っているな? ユーリウスがどうにか諫めたんだが、諦めきれずに陛下に直談判された」

「それで父さまが僕を召還したのか」

「それもある。貴族たちが会議で集まっているから、はっきりさせるのにもってこいだと踏んだのだろう。それでお前たちは番契約を結んだのか?」

「いえ、土壇場でシエロさまに嫌だと拒まれたもので」


 アルバが冗談めかしてそう言うので、シエロはその頬を強めに抓んでやった。そのことについては正気に戻ってから話し合い、皇帝の許可を確認してからという結論に落ち着いていたが、アルバはことあるごとにそうシエロを揶揄するのだ。


「アルバ、それは言わない約束だろう」

「そういうお前の顔がかわいいのが悪いんだろう」


 頬をつねっていた手を掴まれて、その掌に唇を押しつけられる。それを目の当たりにしているヴィクターの眉間の皴がますます深くなるのを尻目に、シエロはその擽ったさに頬を笑みに崩した。こんな風に、アルバと戯れられる日が訪れたことが未だに信じられない。出逢った頃の自分に教えてやっても、絶対に信じようとはしないだろう。


「いちゃつくのはそれくらいにして、気を引き締めてくれ。元老院たちは挙ってギデオン殿下に肩入れをするつもりだ。己の息子たちが栄光には預かれなくとも、なんの後ろ盾もない元奴隷を据えるよりは余程いいと考えているんだろう」

「僕が元老院の馬鹿どもを説得するさ。僕はアルバと離れるつもりはない」

「俺のオメガさまは勇ましいな」


 そう笑ったアルバの唇がシエロの頬に落ちてきた。そのまま唇にも欲しいと強請りたい気持ちをどうにか抑え込んで、シエロは彼の膝から降りる。離れてしまう寂しさに鞭を打って、気持ちをどうにか切り替えた。アルバに愛されて浮足立っている腑抜けた皇太子では、元老院に太刀打ちはできない。


「ユーリウスは? 会議に出ているのか?」

「ああ、お前に加勢する気満々だ。ギデオン殿下からシエロに似ていると口説かれてご立腹だよ。あんなに怒ったユーリウスは初めて見た」


 会議室へと向かいながら、ヴィクターが頭を抱えた。ユーリウスが怒りを露わにしたところは何度も目の当たりにしているが、ヴィクターがそう言うくらいなのだから相当頭にきているのだろう。結局あのぼんくら王子は、シエロと同じ顔をしているのならユーリウスでもよかったのかもしれない。帝国の皇子と関係を結べれば、己の国でも称賛されるに違いないのだから。


「お前たちには苦労をかけるな。ユーリにもあとで謝っておくよ」

「お前のせいではない。俺たちはお前がアルバとしあわせになってくれればそれでいいんだ。お前が弱気になっていたときはどうなることかと思ったが」


 ヴィクターがシエロにしか聞こえないように声を潜めるのに、シエロはそうだなと苦笑いを零す。あんなに不安になっていた自分はどこかへ去ってしまったように、今は強気の心が戻ってきていた。アルバを誰にも渡したりはしないし、貶させたりはしない。彼はシエロが見出した、唯一無二の運命だ

「ヴィクターさま、あの男が使った手はわかりましたか?」


 ヴィクターと内緒話をしているのが気に喰わなかったのか、アルバの声には険があった。それに気づいたシエロは、そう言えば前もこういう物言いをしていたことがあったなと思い当たって頬を弛ませる。彼から愛の言葉を囁かれたのはつい最近でも、あれもこれもそれも、シエロを想っていてくれていた片鱗はそこかしこに隠されているのだと、ようやくわかるようになった。アルバを振り返ると、不機嫌さ丸出しの表情がまたかわいい。


「アルバ、そんな顔をするな。いつもの仏頂面はどうしたんだ」


 ヴィクターに注意されたアルバが自分の頬に手をやった。シエロに出逢って初めて感情を動かされた彼には、いったい自分がどんな顔をしているのかわかっていないらしい。それがまたおかしくて笑うシエロに、ヴィクターが楽観的過ぎると苦言を呈した。


「これから元老院たちと戦うんだぞ。シエロを貶すようなことを言う輩がいたら、アルバは殺しかねないだろう」

「流石にそれは我慢できます。シエロの許可がないので」

「絶対に許可するなよ、シエロ」

「するものか。僕のアルバが手を出すことが無駄に思える連中だぞ。それで、ギデオン殿下は僕になにかしたのか?」

「それは全員の前で明らかにしてやるさ。それが、ユーリウスから頼まれた今日の俺の使命だ」

「それは頼もしいな。僕が帝位についたらお前を宰相にしてやろう」

「お褒めに預かり光栄だよ」


 シエロの冗談にヴィクターが溜息交じりに笑って、再び気を引き締めろと活を入れられた。会議室の扉の前に立って、シエロはひとつ静かに深く息をする。


 週に何度かは必ず訪れる居慣れた場所なのに、これから対峙するものの大きさを考えると、流石のシエロも俄かに気が張り詰めてきた。それでもこれはこの先、いくつも目の前にはだかるだろう試練のひとつに過ぎない。シエロは今、国の将来を蔑ろにする、我が儘な皇太子だと貴族たちから思われている。アルバに固執するのなら、ユーリウスにその座を譲れと口にする者も出るだろう。


 それらすべての想定は、既に頭に入っていた。国民に望まれる姿を演じるのも、国を治める立場にある者の仕事だ。望むのなら、高飛車で我が儘な皇太子を演じきってやろう。どうせどう転んでも、この国の長は確実にシエロの味方になるとわかり切っているのだから。


 ヴィクターが両脇に立つ衛兵に声をかけると、重厚な扉がゆっくりと開かれた。長い机の両脇には重要ポストに就いている貴族たちが顔を連ね、皇帝の傍に近づくごとに元老院の顔ぶれが多くなる。ちらほらと息子を連れてきている者がいるのは、まだシエロの伴侶の座を諦めきれてはいないからか。その中にはフィンレーの顔もあって、彼はシエロたちに一瞬目を寄越したあと、素知らぬ顔で隣の者との話に戻った。


「陛下、シエロ殿下をお連れ致しました」


 ヴィクターが頭を下げるのに倣ってシエロとアルバも頭を下げた。立ち上がった貴族たちも揃って頭を下げる。父の号令で全員が再び着座したが、シエロとアルバはその場に留まったままだった。徒に同じ席につこうものなら、傍にいる輩になにをされるかわかったものではないからだ。


「シエロ、身体の調子はどうだ?」

「お気遣いには及びません。アルバにとても大切にされております」


 そう言って、シエロは頬が笑みに崩れるに任せた。花が咲くような極上の笑みに見惚れる男たちが、すぐうしろに立つアルバの鋭い視線に晒されて顔を背けていくのがおかしい。ユーリウスが父のすぐ傍で笑いを怺えているのが見えた。その向かい側にはギデオンがなにか言いたげな様子で席に収まっている。


「それはそれは結構なことです、シエロ殿下。ですがそのヒートはギデオン殿下が引き起こしたそうじゃありませんか? あなたはそれに託けてその男を誘惑したに過ぎないのでは、」

「口が過ぎるぞ、ダリル。お前はどの面を下げてこの僕にそんな口をきいているんだ?」


 立ち上がって物申したダリル侯爵が、シエロの表情がすっと冷めるのを目の当たりにして黙り込んだ。反論されることが少ない立場であるので、まさかシエロが口答えするとは思ってもみなかったのだろう。けれどシエロもいい加減、我慢するのも限界だった。


「陛下、ここにいる男たちは全員、僕の伴侶の座を狙っている者たちです。ご存じの通りアルバの出自を馬鹿にし、僕の運命を認めようとしない。その上、ヒートの際に居合わせた者が本物だと偽って僕のうなじに噛みつこうと画策していた」

「シエロ殿下は随分と想像力が豊かでいらっしゃいますね。ヒートを起こしたアルファがあなたの運命の相手なのです。その場にいた令息が当てはまるのは道理でしょう」

「なにを勘違いしているのか、思い上がるのは優秀なアルファの悪い癖だな。お前は運命の相手に出逢ったことがないからわからないのだろう。僕が運命だと感じた男が僕のアルファだ。僕のヒートはギデオン殿下に引き起こされたわけではありません、陛下。なにかわけがあって、あの場でヒートが無理矢理引き起こされたのです」


 真っ直ぐに見つめた先で、父が何事かを考えるように顎に手をやった。立派な口ひげを蓄えてはいるが、まだ父は齢四十にも満たない。元老院の輩がいっぱしの口をきけるのは、父を年若い皇帝だとやや見下しがちであるせいだ。

 それでも父が持つ権限は誰よりも強い。


「ギデオン殿下、ご説明願えますかな?」


 皇帝の鋭い声にギデオンは意気揚々と立ち上がったが、ダリル侯爵の顔色は優れなかった。話の流れが不利になりつつあることを、元々優秀な頭で悟ったのだろう。


「説明するもなにも、なんの秘密もありませんよ、陛下。シエロ殿下のヒートがアルバ殿と出逢ったのちも長らく訪れなかったのは、アルバ殿がそうではなかったという明確な証拠でしょう。そもそもあの見合いの日、シエロ殿下が逃げ出さずにわたしと出逢っていたら、すぐにこのわたしが運命だと証明できたでしょうに」

「ギデオン殿下の言う通りだ。わたしはあの男とシエロ殿下の婚姻には反対です。それにまだ番にはなっていないようだ。思い直す最後のチャンスではありませんか?」


 ダリル侯爵が水を得た魚のようにギデオンを支持し、周りの貴族たちもそうだそうだと同意した。だがその顔色はまだ優れず、頼みの綱のフィンレーが何食わぬ顔をしていることに不安を隠せずにいた。シエロはその悪あがきを内心笑い飛ばしながら、それが顔に出ないよう気をつけつつ、僅かに不安を感じているふりをする。


「たしかに、ダリルの言う通りではあるな。どうして番契約を結ばなかった?」

「アルバは前後不覚な僕のうなじを問答無用で噛もうとするような、野蛮な男たちとは違うからです。あなたたちはアルバを元奴隷だと卑下するが、どの息子たちよりも余程礼節を持っているのでは?」


 たっぷりな皮肉を込めて笑えば、誰もが気まずげな視線を交わし合って目を伏せた。父がそうかと満足そうに笑って、反論しようと口を開きかけたギデオンを制する。その間にヴィクターが割って入るように、発言を求めて手を挙げた。


「陛下、我が息子に発言を許していただいても?」


 ヴィクターの父が皇帝に許しを請うて、ヴィクターの発言が許された。彼は席を立って咳払いをすると、あの日その場に居合わせた者としてまずその場の状況を丁寧に説明した。大体がギデオンの言う通りだったので、ダリル侯爵たちは胸を撫で下ろしたことだろう。それも今のうちのことだと、シエロとユーリウスだけは知っている。


「アルバの話では日に日にシエロ殿下の香りが強くなっており、前日頃から少し身体に熱があるように見えたとのこと。当日、アルバはギデオン殿下がシエロ殿下に誘発剤の類を使ったのではと疑っておりました。小さな針の刺激だけで身体には残らない、そういった類の薬が帝都では出回っているようなのです。それをギデオン殿下は使われたのではありませんか?」

「まさか、そんなことする必要はないだろう。わたしがシエロ殿下の運命なのだから」

「それを証明するにはヒートが起こらなければならない。だから誘発剤を使った。その薬は主に、貴族のオメガたちを相手にする市井のアルファに使われる薬です。ああ、見目がいい奴隷のアルファたち、と言い直した方がいいでしょうか。金で愛を買うために開発された薬なのですよ、ダリル侯爵」


 突然話を振られた侯爵が冷や汗の浮かぶ顔を上げた。なにを根拠に、と反論はしたものの、それ以上の言葉は喉に詰まっているらしい。皇帝の鋭い視線が侯爵に向いて、それは本当なのかとヴィクターに問うた。帝都の悪事を浚っていけば、すべてがこの男に繋がっていそうだと、シエロは思う。そうしてすべてを手にした先に、待っているのが没落とは目も当てられない。


「説明せよ、ダリル」

「これは言いがかりです、陛下! カサンドラ公爵が息子を使ってわたしを追い落とそうとしているのです」

「まさか、追い落とさずとも結果は見えておろうに。わたしはシエロ殿下のしあわせを心から願っているんだ。その相手が誰であろうと、シエロ殿下が選んだ男がすべてだ。息子をシエロ殿下の婚約者候補に加えずにいたのはそのためよ」


 カサンドラ公爵が呆れたように嘆息すると、ダリル侯爵が気の抜けたように肩を落とした。反論する気も起きないと見えて、先を促されたヴィクターが淡々と事の結末を語る。


「ギデオン殿下はダリル侯爵と手を組み、シエロ殿下を篭絡しようと考えた。アルバを選ぶよりはギデオン殿下の方が都合がいいと考えたのでしょう。ギデオン殿下にその薬を渡したと申し出る者からの証言も得ております。薬の元締めがダリル侯爵家であることは、令息のフィンレーが証言しました」


 その場にいた全員が驚きの眼差しをフィンレーに向けた。ダリル侯爵はまさかの息子の裏切りに憤って、その胸倉を掴んで力任せに揺する。そうされてもフィンレーはどこ吹く風で、おやめくださいと涼し気に言うに止めた。


「みっともないですよ、父上」

「なにを言うか。フィンレー! お前は皇子を射止め損ねたばかりか、どこまで邪魔をすれば気が済むのだ!?」

「これでわかったのではないですか、父上。すべての悪事はいつか明るみに出るのです。ヴィクターに頼まれたときはまさかと思いましたが、そんなことをされていたとは寝耳に水でした。流石に、わたしも庇いきれません」


 今にも殴りかかりそうな勢いに、その場にいた護衛騎士たちが止めに入った。流石にここまでのことは想定していなかったシエロは、少々フィンレーが心配になってくる。けれど彼は飄々としたまま、にやりとした笑みをこちらへと寄越した。ダリル侯爵はこのあと罪を免れないだろうが、侯爵家にはフィンレーの他に優秀な兄がいる。力を合わせればどうにか没落を防ぐことはできるだろう。けれどここまで協力してくれた礼は、この場で支払わなければなるまい。


「父さま、フィンレーはどうやら関係がないようですよ。ダリル侯爵本人を罪に問うべきでは?」

「シエロがそう言うのならそうしよう。それでギデオン殿下、これでも尚、己がシエロの運命だと申しますかな?」


 にこやかなその問いに隠された怒りに触れたのか、ギデオンはなにも答えようとはしなかった。大使として帝国を訪れた上にこのような狼藉を働いたとなれば、自国では散々詰られた上、ただでは済まないだろう。まぁ、それはシエロの知ったことではない。


「ヴィクター、責任を持ってこの件に当たるように。他の貴族たちにも不正な動きがないかどうかしっかりと調べるよう」

「承知致しました」

「それでは改めて、シエロ。お前が選んだアルファを紹介しておくれ」


 父が怒りを収めて、息子を祝福してやまない柔らかな笑みを浮かべた。この場に母が同席していたら、同じように笑みを浮かべてくれたことだろう。

 シエロはアルバを振り向いて、その腕に自分の腕を絡めた。この先もずっと、このいとおしい男と共に人生を歩んでいくのだ。


「みなさま、彼が僕の番です。反論は聞きません!」



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