09.
「おし……?」
二人が困惑した表情を見せていると、カシウスは紅茶を口にしながら平然とした口調で解説を加えた。
「ああ。セレナ曰く『推し』とは心の底から慈しみ、尊び、自分の命を投げ出してもいいほどに深く愛する対象を指すらしい。僕とシャル、そしてアルは彼女にとって全員がその『推し』なのだそうだ」
「はい、その通りです! ちなみに正確にいうとカシウス様が殿堂入りの『最推し』で、シャルミーヌ様とアルドリック様が『推しカプ』でございます!」
その言葉にシャルミーヌの眉間の皺が深まった。
隣に座るアルドリックが魅了状態なだけでも脳が飽和状態だというのに、さらなる謎の概念を突きつけられたのだ。
「私、そこまで彼女に慕われるようなことをした覚えはないのだけれど……」
記憶している限り、セレナとシャルミーヌの接点は殆どないと言って差し支えない。
しかし、セレナはそんなシャルミーヌの戸惑いを察したように笑顔で弾き飛ばした。
「大丈夫です、シャルミーヌ様! 一方的に好きで、全力で応援していきたいだけですのでどうかお気になさらず! 皆様が幸せになるお手伝いをする守護霊か、見えない妖精とでも思ってもらえれば!」
「カルト教団に嵌まった狂信者の発言にしか聞こえない! 怖い!」
身に覚えのない好意というのは時として恐怖に変わる。
キラキラと瞳を輝かせ、握り拳を作って熱弁を振るうセレナ。その純粋すぎる善意の裏に潜む底知れぬ狂気に、シャルミーヌは本能的な戦慄を覚えた。
もしかしたら魔法によって魅了されているアルドリックよりも、素の状態でこれほどの熱量を放つ彼女の方がよほど度し難いのではないか。
「まあ実害はないし、嘘も言っていない。ついでに精神魔法にもかかっていない極めて正常な状態だ。安心していいよ」
カシウスが呑気に紅茶を啜るが、シャルミーヌは即座に反論した。
「安心できる材料がどこにも見当たりません。寧ろ何かの魔法で錯乱していると言われた方が安心できます」
「案ずるな、シャルミーヌ」
アルドリックはシャルミーヌに対して、安心させるように声をかけた。
「セレナ嬢が害をなすようなら躊躇なくその首を撥ねてみせる。君という一点の汚れなき光を曇らせる影などこの俺の剣が許しはしないさ」
「……ありがとう、アル。貴女の気持ちはよくわかったから、悪いんだけどちょっと黙ってて」
愛情と殺意の方向性が極端すぎる。
シャルミーヌは慈愛に満ちた眼差しで物騒なことを言うアルドリックをバッサリと切り捨て、カシウスの方を見た。
するとその視線に気づいたカシウスはようやく居住まいを正し、口を開いた。
「さて、ふざけるのはこれくらいにして本題に入ろう。シャル、あれから僕の方でも少し調べてみたんだけど、今のアルの状態は固着状態に限りなく近いんじゃないかな?」
その単語が出た瞬間、シャルミーヌの背筋に冷たいものが走った。先ほど図書館で読んだ本の一節が脳裏をよぎる。
「……ええ。残念ながら、私もその可能性が高いのではないかと考えていました」
「やはりか。それなら知っていると思うが、術者の死以外で固着を解除するには対象に心の底から嫌われる必要がある。だけど……」
カシウスは、シャルミーヌに熱烈な視線を送っているアルドリックを見て苦笑した。
「今の彼に、君が何をしても逆効果だろうね。冷たく突き放せば喜ばれ、罵倒すれば感謝されるのが関の山だ」
「俺がシャルミーヌを嫌う? 冗談はやめてくれ。たとえ太陽が西から昇ったとしても、この胸に宿る彼女への情熱は消えないだろう。彼女を嫌うなどこの身が裂けてもありえない!」
「……そうね。今のアルなら、たとえ私が彼の家を没落させたとしても笑顔で受け入れそうな気がするわ」
容易に想像できてしまい、シャルミーヌは重いため息をついた。もはやこれは魔法というよりも呪いであり、新種の熱狂的宗教の域に達している。
「そこで提案なんだけど、僕の知人に精神魔法の専門家がいるんだ。元宮廷魔導師で、今は……訳あって王都の隅で魔道具店を営んでいる。僕の師匠でもあった人でね」
不穏な情報を付け加え、カシウスは続ける。
「性格に難はあるかもしれないけど腕は確かだ。彼なら、固着状態を解除する方法を知っているかもしれない」
カシウスの口から性格に難ありという評価が出る専門家という時点で、まともな人間であるはずがない。シャルミーヌの脳裏に不安がよぎったが、背に腹は代えられないのもまた事実だ。
「……わかりました。その方に会ってみます」
「なら決まりだ。紹介状は僕の方で用意しておこう」
カシウスは手早くペンを走らせる。これで解決できるかもしれないとシャルミーヌが胸を撫で下ろしたのも束の間、彼は釘を刺すように付け加えた。
「ただし、店に行くときは必ずアルも連れて行くんだよ。被術者がいないことには診断もできないからね」
その言葉に、それまで静かに見守っていたセレナが敏感に反応した。
「町へ、お二人で!? それってつまり……わかりました! 週末のお忍び街デートですねっ!」
「違うわ。ただの病院への付き添い。もしくは魔法についての学外研修に行くだけよ」
「いいえ、これはデートです! 男女二人でお出かけすればそれはもうデートなんです! ああ、尊い……生きててよかったありがとうございます神様……」
頬を赤らめデート、デートと連呼するセレナを無視し、シャルミーヌはカシウスに詰め寄った。
「殿下、魅了魔法を解除するだけならアルだけを行かせればいいのでは?」
「いや、精神魔法は術者と対象の双方が深く関わっている。術者である君がそばにいないと、正確な術式の把握ができないと思うよ。……まあ『デート』として、楽しんできたらどうかな」
カシウスは、完全に面白がっていた。
彼は隣で浮かれるセレナに便乗し、わざわざデートという語句を強調して告げる。
「はい、はい!そのデート、もしよかったらアタシもついて行っていいですか!? 大丈夫です、邪魔はしません! ただの壁になりますから!!」
「絶対についてこないで!! というか壁になるって何!? あとデートじゃない!!」
シャルミーヌの必死の抵抗も虚しく、アルドリックがトドメを刺すように彼女の手を優しく包み込んだ。
「デート、か……。ああ、シャルミーヌ。君との愛の巡礼であれば、たとえその行き先が奈落の底であろうとも俺にとっては天井の楽園に等しい。当日は俺の正装の中でも、最も君の美しい瞳に映える最高の一着を選ぼう」
「だからデートじゃないっていってるでしょ! しかも今正装って言った!? 普通の格好で行くのよ、絶対に目立たない格好で!」
シャルミーヌがアルドリックの説得を試みる中、カシウスはさらに追い打ちをかける。
「そうだね、シャル。アルとのお忍び『デート』だからね」
「違うって言ってるでしょうが!! 頼むから私の話を聞いて!!!!」
シャルミーヌの悲痛な叫びは、残念ながら二人の狂信者と一人の愉快犯には届かなかった。
こうして週末に、魅了魔法を解くための魔道具店訪問……という名のデートが決まったのだった。




