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07.

 




 カシウスとのひと悶着を終えた後。


 午前中の講義をつつがなく終え、ようやく訪れた昼休み。

 シャルミーヌは手早く昼食を済ませると、学園の図書館へと足を踏み入れていた。


 目的はただ一つ。

 アルドリックにかかっている魅了魔法の解除方法を調べることである。


 クリサンセム王立魔法学園図書館。

 そこは多くの学生や有力な魔術師たちが集う場所であり、厳かな石造りの外観はまさに知識の要塞と呼ぶに相応しい佇まいをしている。

 天井まで届く重厚な書架には解読不能な古代の魔導書から実用的なレシピ本まで数百万冊の蔵書が眠っており、今日も多くの人々が知識を求めて集まっていた。


 本来ならば鼻をくすぐるインクと古びた羊皮紙の香りに包まれ、心安らぐ静寂に包まれた空間なのだが——。


「……ねえ、アル。あなた、午後の演習の単位はもう足りているの?」


 シャルミーヌは背後にぴったりと張り付いている大型の影を振り返り、半ば呆れたように問いかけた。


「問題ない。単位が足りていようといまいと、君を護衛するという使命の前には学業など些事に等しい。君のためなら喜んで留年の十字架を背負おう」


「足りてないなら今すぐ講義に戻って。あと留年の十字架が重すぎるわ。人類の罪でも背負うつもり?」


 十字架を背負って丘の上まで歩いた聖人でもあるまいし、彼にそんな業を背負わせる気はさらさらない。 

 そんなシャルミーヌの指摘に対し、アルドリックは微塵も表情を崩さなかった。


「大丈夫だ。成績は常に学年上位を維持しているし、卒業に支障はない。それにこの護衛はカシウスからの命令でもある。君が気にする必要は無い」


 そう告げる彼の面持ちはいたって真剣だった。

 彼は今、対シャルミーヌ限定で唐突に甘い台詞を垂れ流す点を除けば、いつもの彼に戻っている。

 その無表情かつ端正な顔立ちから放たれる口説き文句の破壊力は抜群だ。


 シャルミーヌは勘違いをしないよう必死に平静を保ちつつ、会話を続ける。


「ならいいけど……。まあそれに、魔法が解けなくて困るのは私だけじゃないものね。手伝ってくれるのは素直にありがたいわ」

 

「俺は別にこのままでも問題ないが」


 申し訳なさに目を伏せるシャルミーヌに対し、彼はさらりと流した。


「問題大ありでしょ!あなた、このままじゃ魔法が解けたときに羞恥心で死ぬことになるわよ!」


 今は魔法のせいで恥ずかしげもなく詩人が筆を折るような台詞を言えているのだろう。

 だが正気に戻った後の彼が自身の醜態に絶望して自害を選ばないか、シャルミーヌは本気で心配していた。


「とにかく、お願いだからこれ以上喋らないで。黙って本を探しましょう。それが未来のあなたと私を守る唯一の手段よ」


「……わかった。だがたとえこの喉が焼け声が枯れようとも、君を愛でる言葉を止めることはできないだろう。君の近くにいると、内から溢れる感情全てを口にしてしまうのだから」


「…………。もういいわ、早く調べましょう」


 これ以上言葉を重ねても無駄だと悟り、シャルミーヌは禁書エリアに近い専門書コーナーへと足を向けた。


 アルドリックと手分けしながら『魅了魔法の理論と実態』『精神干渉魔法における解除の変遷』『一目でわかる魔法の解き方100選』などそれらしい題名の本を片っ端から抜き出し、閲覧席の机に重ねていく。


 机の上に小さな本の山が何個かできた後、二人はようやく椅子に座った。


「じゃあまずはこれから見ましょうか。タイトルは……『魅了魔法、その秘められた奥義』ね」


 シャルミーヌは解除の方法がないか期待を込めながら、重厚な革表紙の頁をめくった。



『月明かりさえ届かない書庫の奥。男の指先が彼女のうなじを艶めかしく撫でる。

「今日はもう寝かさない……」

 熱い吐息が耳にかかり、彼女の理性を甘く溶かしていく。

 手を絡め、どちらともなく唇を重ねる。男はそのまま彼女の身体の奥底を暴こうと――』




 バンッ!!



 そこまで読んだところで、彼女は勢いよく本を閉じた。


「なんでこんな官能小説が専門書の棚に混ざってるのよ!!」


「ん? その本がどうしたんだ?」


「アルは一生知らなくていい!!」


「貸してくれ。この棚にあったということは高度な暗号、あるいは隠し文字の可能性がある。俺が隅々まで解読し君の代わりにその内容を……」


「いいから! 返してくるから! やめて、ここで変な真面目さを発揮しなくていいの!」


 アルドリックの手を全力で叩き落とし、シャルミーヌは顔を赤くして本を棚へ戻した。

 司書の杜撰な管理能力、もしくは一部の不届きな学生の悪戯に憤りを感じつつ、彼女は気を取り直して文献を調べる作業に没頭し始めたのだった。




 ◇◇◇




 作業開始から三時間。

 山積みの文献を黙々と読み続けたシャルミーヌの顔からは、完全に血の気が引いていた。

 彼女が現在読んでいる『魅了魔法の深淵』という分厚い一冊に、目を疑いたくなるような記述があったからだ。



『――魅了魔法を術者が無意識に対象への強い関心、あるいは恋愛感情を抱いた状態で発動した場合。魔力に術者の執念が混じり、通常よりも強固な契約に近い繋がりを形成してしまう。これを固着状態といい、この場合は効果が永続化する危険性がある。』



(嘘でしょ……無意識の、恋愛感情?)


 心当たりがありすぎて、嫌な汗が流れる。

 震える指でさらに先を追うと固着状態の解除法は二つ提示されていた。



『一、幻滅による拒絶

 対象が抱く理想像を完全に破壊する。魂の底から嫌悪あるいは存在の否定を抱くほどの強烈な心理的衝撃を与えること。


 二、魂の根源的変質による消滅

 術者がその肉体生命を終えるか、あるいは術者としての全魔力を放棄し存在の定義を根底から消滅させること。』



(つまりアルに死ぬほど嫌われるか、私が死ぬかの二択ってことよね……)



 想定以上に深刻な事態になっていることに戦慄しつつ、シャルミーヌは隣をうかがった。

 アルドリックは『魔法の解除法全覧』という辞書のような図鑑を、眉間に深い皺を寄せて読んでいる。

 落ち込む気持ちをごまかす様に、シャルミーヌは彼に小声で話しかけた。


「アル、何かいい方法は書いてあった?」


「真実の愛やらドラゴンの血を飲むやら、神話やおとぎ話に出てくるようなものばかりであまり現実的ではないな。そっちはどうだ?」


「一応、あるにはあったんだけど……」


 彼女が力なく差し出したページを、アルドリックが覗き込んだ。彼はそこに書かれた『術者の死』という文字列を見つけた瞬間、一切の迷いなく断言した。


「術者の死、か。論外だ。考える必要はない」


「アル……」


「シャルミーヌ、君が死ぬくらいなら俺が死ぬ。俺に魅了がかかっていることが君の憂いとなっているのなら、俺は喜んでこの首を君に差し出そう。何なら今この場で介錯を頼んでもいい。剣はここにある」


 彼は真顔のまま、手慣れた仕草で腰の剣に手をかけた。


「それじゃ意味がないでしょう! あなたが死ぬのも論外よ!!」


 必死に彼をなだめ剣を鞘に押し戻しながらも、シャルミーヌはどこか救われたような気分になっていた。


 まだ固着状態であると決まったわけではない。

 それに最悪彼に死ぬほど嫌われる努力をすれば、彼の尊厳は守られるのだ。


「とりあえず他の本も読んでみなくちゃ——」


 シャルミーヌが気合を入れ直し、次の本を手に取ろうとしたその時。




「シャルミーヌ様、アルドリック様! カシウス様がお呼びですっ!」




 天真爛漫をそのまま形にしたような、不自然なほど明るく朗らかな声にピタリと手が止まる。

 声の方を見ればライトブラウンの長い髪を揺らし、小動物のような若草色の瞳を輝かせる少女が笑顔で立っていた。


 現在、学園中の噂を一身に集めている男爵令嬢、セレナ・ミュゲ。

 彼女の登場に、シャルミーヌは思わず顔をしかめたのだった。




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