06.
「君……。もう『魅了』の魔法、解けてるだろ?」
その瞬間、アルドリックの肩がかすかに跳ねた。
世間では氷の騎士や鉄仮面などと揶揄されており、今も傍目から見れば無表情のままに見える彼。
だがカシウスからすれば、彼は驚くほど顔に出る男であった。
特にシャルミーヌが絡むと、彼は顕著に喜怒哀楽、様々な感情を覗かせる。
今の動揺も、凪いだ湖面に巨大な岩を投げ込んだかのように明白だった。
「……わかり、ません」
やや間を開けた後、アルドリックは蚊の鳴くような声で答えた。
「わからない?」
「おっしゃる通り、今は正気です。思考そのものも、昨夜彼女に魔法がかけられた後二時間程度で元に戻っていました」
カシウスはおおむね予想通りだとばかりに深く相槌を打った。
シャルミーヌの魅了は確かに強力だが、効果時間は長くはない。
「ただ、シャルミーヌの近くにいると、その……彼女に対してのみ嘘がつけなくなるのです。スイッチが入ると理性が飛び、自分でも制御不能な行動をとったり、あのような……詩的な表現が口から出てしまうといいますか……。それが魅了魔法の影響であることは、間違いないかと」
戸惑うように報告するアルドリックを見ながら、カシウスは顎に手を当て思考を巡らせる。
(なるほど。演技じゃないのか。まあ、あれを全部素面で言っていたら友人として今後の付き合い方を……というか、アルの人間性を疑わざるを得ないところだったが)
つまり魅了が何かしらの形で残っているのは確かなのだろう。
だが嘘がつけないというその一言が今の彼にとってどれほど致命的なものであるか、本人は気づいているのだろうか。
カシウスは意地の悪い笑みを浮かべ、とどめの言葉を彼にぶつけた。
「ふぅん、嘘をつけない。ということは、君が最後に言った『結婚しよう』ってやつ。あれ含めて、今日言った発言は全て本心なわけだね?」
「……っ!」
瞬間、アルドリックの顔が火を噴かんばかりに真っ赤に染まる。
氷の騎士と言われる無表情はどこへやら。
そこにあるのは、ただの恋する初心な青年の顔であった。
そのあまりに純情すぎる顔を見て、カシウスはもう一人の幼馴染であるシャルミーヌを思い浮かべる。
(シャルがアルのこの顔を見たら、卒倒するだろうなあ……)
羞恥に震える騎士と赤面して卒倒する令嬢。
その初々しい光景を想像しカシウスは一人愉悦に浸った。
「どこで覚えたんだか知らないけど、あの情熱的すぎる口説き文句も全部本音ってことだよね?」
「……は、はい」
消え入りそうな返事に、カシウスは盛大なため息をついた。
「はぁ……君ねえ。そこまで想ってるなら昨日、無理やりにでも手籠めにしてしまえばよかったのに。据え膳食わぬは何とやらっていうだろ」
心底あきれ果てたというようにわざとらしく両手を広げ、肩をすくめてアルドリックを見る。
「それはっ!……その……実は昨夜、魅了状態のときに彼女を……お、押し倒しっ……は、したのですが……」
「へえ? やるじゃないか」
カシウスが期待の眼差しを向けると、アルドリックはさらに項垂れた。
「……しかし、強烈な頭突きを喰らいました。あまりの拒絶と衝撃に、俺もそのまま気絶した次第で……」
「ぶっ、はははは! 頭突き! あのシャルが!?」
「笑い事ではありません! ……と、とにかく! 俺は、嫌がる彼女に無理強いなど死んでもできない!」
耳の裏まで赤くしながら、咎めるように鋭い眼光で睨んでくるアルドリック。
カシウスはそんな彼を、救いようのない愚か者を見るような生温かい目で見つめた。
(それ、多分嫌がったんじゃなくてさ。恥ずかしすぎてパニックになったんじゃないか? そもそも本気で嫌なら、攻撃魔法を使ってでも君から逃げていただろうよ)
あまりの鈍感さに呆れ果てたが、あえて口には出さない。
この二人は昔からこうなのだ。
これほどまでにお互いにこの世で一番好きという矢印を向け合っているというのに。
一方は婚約者がいる相手に懸想するなどありえないと理性で制御し、もう一方は家が決めた婚約なのだから自分の気持ちを優先してはいけないと頑なに思い込んでいる。
誰かが背中を蹴り飛ばさなければこのまま一生お互いに想いを伝えることはなく、どこまでも一線を越えることはしないだろう。
(いっそ昨日どことなり駆け落ちでもしてくれていれば、今頃全員幸せだったはずなんだけどな)
政略結婚の駒としての価値など、カシウスからすれば知ったことではない。
ついでに言えば、次期国王の座にも同じくらい興味がないのだ。
彼はただ、自分と、大切な幼馴染たちさえ幸せであればそれでいいのである。
どこまでも自分本位で自由奔放、おまけに極度の身内びいき。
それがカシウスという男の本質だった。
「そうだ、殿下。一つお伝えしておかねばならないことがあります。自分が昨夜の命令を暗殺だと勘違いした理由についてです」
アルドリックがはっと思い出したように表情を引き締めると、先ほどまでの緩んでいた空気が一変した。カシウスの目が自然と細められる。
「聞こう。続けてくれ、アルドリック」
「ここ数日、裏で奇妙な噂が流れていました。ローズブランシュ公爵家の令嬢――つまりシャルミーヌを排除したい勢力が、不穏な動きを見せていると。その決行予定日が昨夜だったのです。……だから俺は、殿下の襲えという言葉を暗殺の隠語だと受け取ってしまいました」
「……なるほど。シャルを消したい奴らねえ」
高位貴族であれば敵なんて星の数ほどいる。
カシウスはソファに座り直し前のめりになった後、両膝に肘を置き指を組んだ。
「その勢力の正体に心当たりは?」
「調査中ですが、それなりの力を持った有力貴族の関与が濃厚です。正直昨日の殿下の命令を聞いた瞬間は、殿下がその勢力の一員だったのかとすら思いました」
「馬鹿を言え。僕がシャルを殺すなんてあり得ない。あんなに面白い婚約者を殺してどうするんだ。人生の娯楽が減るじゃないか」
「……」
カシウスがにこやかにそう告げると、アルドリックは冷ややかな目で彼を見た。彼は慣れたようにその視線を受け止めると、立ち上がって窓の近くまで移動する。
視線の先、少し離れたところを歩くシャルミーヌの後ろ姿が見えた。
プラチナブロンドの髪をなびかせながら遠ざかっていく彼女を見届け、カシウスはアルドリックに命じた。
「アルドリック、しばらくシャルミーヌの護衛をしながらその勢力を探ってみてくれ」
「はっ、承知しました」
アルドリックは胸に手を当て拝命した。忠誠心と恋心が合体した結果、その瞳にはやる気が満ち溢れている。その様子を頼もしく思いつつ、カシウスは一つ命令を付け加えた。
「ああ、それと。護衛中は積極的に彼女を口説き倒すように」
「……は?」
「なに、君は今『魅了されている』んだ。術者に愛を囁くのは当然のことだろう? 大丈夫、不自然なことは何もないさ」
わざとらしく強調して伝えると、アルドリックは再び頬を赤くし視線を泳がせた。
こうでもしなければこの不器用な二人は永遠に進展しないのだ。
自身の婚約破棄という動機も半分あるが、残りの半分は幼馴染としてのお節介である。
「なんならそのまま口説き落として、どこか遠くへ駆け落ちしてしまってもいいぞ? その時は僕も協力しよう」
「……ッ。……ぜ、善処、します。それでは、失礼します」
顔を真っ赤にしたアルドリックが動揺のあまり右足と右手を同時に出しながら、魔道人形のようなぎくしゃくとした動きで生徒会室を退出していく。
その滑稽な後ろ姿を笑顔で見送った後。
カシウスは不意に激しく咳き込み、ハンカチで口元を押さえた。
「う…………ごほっ、ごほっ!」
白い布地には、鮮やかな赤色の血がべったりと付着していた。
彼はそれを、感情の見えない無機質な目で見つめる。
「あと三か月、か。……本当に、時間がないな」
カシウスはぼそりと独り言ちた後、血のついたハンカチをポケットの奥へそっと隠した。
「さて、セレナを待たせすぎたかな。僕がいなくなった後もあの二人が笑っていられるように……僕の計画、彼女にも手伝ってもらわないとね」
そうして少しした後、カシウスもまた、彼自身の目的のために生徒会室を後にしたのだった。
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第一章は43話前後で終了予定です。
引き続き見守っていただけましたら幸いです(* .ˬ.))




