03.
※一部誤字を修正しました
「ようやく着いたわ……。歩くと結構時間がかかるのね」
褒めたたえてくるアルドリックの言葉を聞き流しながら、歩くこと二十分。
二人はようやく目的地であるクリサンセム王立魔法学園に到着していた。
王国屈指の巨大教育機関であるこの学園は、次代を担う貴族たちが集う華麗な社交の場でもある。
広大な敷地には学科ごとに分かれた校舎が建ち並んでおり、手入れの行き届いた庭園には季節の花々が咲き乱れている。
その頂点に君臨するのが生徒会であり、現在生徒会長を務めるのが今回の諸悪の根源――カシウス・クリサンセム第二王子である。
生徒会長がいる場所など、学園内で一箇所しかない。
シャルミーヌは本棟五階の最上階へと続く階段を、かつかつと音を立てて足早に登った。
そして学園を一望できる位置にある重厚な扉を、ノックもそこそこに勢いよく開け放つ。
「やあ、シャル。それにアルも。ずいぶん早かったね?」
室内は、生徒会室というよりは豪華な私邸の執務室のようであった。
高級な毛皮で誂えられた絨毯に、綺麗に整頓されたファイルや書類が並ぶ棚。
部屋の中央から扉に近い場所に据えられた革張りのソファとテーブルは高級感があり、シャンデリアのクリスタルは窓から差し込む光を反射して輝いていた。
その部屋の中央奥に、カシウスがいた。
彫刻が施された特注の机に肘をつき、爽やかな笑みを浮かべている。
金髪灰目の整った顔立ちは、何も知らない人が見れば神の悪戯かと思うほどに完璧だ。
しかし、その王子スマイルが視界に入った瞬間、シャルミーヌは今すぐにでも右ストレートを彼の顔面に叩き込みたいという衝動に駆られた。
(……落ち着きなさい、シャルミーヌ。いくらバカ王子だとしても相手は王族よ)
彼女は理性でその衝動を抑えつけ、淑女として最低限の礼節を絞り出した。
「……失礼します」
音速でカーテシーを済ませ、迷いなく部屋に踏み込む。
背後に続くアルドリックの威圧感は、もはや護衛の範疇を超えていた。
シャルミーヌの指示さえあればいつでも王子の首を撥ねるという殺気が、隠しきれず漏れ出している。
「ごきげんよう、殿下。用件はわかっているでしょう?」
シャルミーヌが青筋を浮かべた笑顔で告げると、カシウスはくくっと楽しそうに喉を鳴らしながら立ち上がった。
「ああ、わかっているよ。まあ、まずはソファに座ってくれないか。自慢の茶葉を振る舞おう」
王子の余裕ある態度に、彼女の警戒心は最大まで跳ね上がった。
経験上、この王子が親切な時は大抵ろくでもない罠が仕掛けられているからだ。
とはいえ、立ったまま睨み合うのも体力の無駄である。
彼女は促されるままソファに腰を下ろし、アルドリックも彼女を守るように隣に座った。
その瞬間である。
『ぴぃっ!!』
シャルミーヌの脳内に生まれたてのひよこのような、可憐で愛くるしい鳥の鳴き声が響き渡った。
本能的な母性や庇護欲を激しく揺さぶるような高い声だ。
「な、何!?」
あまりに突然の出来事に、シャルミーヌは思わず声を上げて飛び上がった。
そのままきょろきょろと周囲を見渡したが、部屋の中に鳥の姿など見当たらない。
狼狽する彼女の姿に、アルドリックは剣の柄に手をかけながら勢いよく立ち上がり、素早く周囲に視線を巡らせる。
「シャルミーヌ、どうした!?」
「き、聞こえなかったの? 今の、守ってあげなきゃ死んじゃうような鳥の声!」
「……鳥? いや、何も聞こえなかったが」
アルドリックは怪訝そうに眉を寄せた。
どうやら、この鳴き声が聞こえる対象はシャルミーヌに限定されているらしい。
彼女は一度深呼吸をし、アルドリックに大丈夫だと伝え彼を座らせた。
そして今度は慎重に場所をずらし、手のひらで入念に確認した後、再びおそるおそる腰を下ろす。
『きゅっ!』
今度はあざとさを凝縮した小動物のような声が脳内を駆け抜けた。
思わず全財産を差し出して保護したくなるような甘い響きだ。
おもむろにカシウスの方に視線を向ければ、彼は肩を小刻みに震わせている。
シャルミーヌは確信した。
こんな高度な「指向性精神干渉魔法」を、子供じみた悪戯に全振りする馬鹿はこの世界に一人しかいない。
「…………殿下。これ、あなたの仕業ですね?」
「ふふっ……ああ、そうだよ。今回は脳に直接音声を伝達する魔法に、荷重感知式の条件を組みこんでみたんだ。名付けて『座るだけで誰でも母性に目覚める魔法』さ。今度学会で発表するつもりなんだ」
手際よくティーカップを並べるカシウスは、隠す気など微塵もないドヤ顔を披露した。
「その音源、採取するのに苦労したんだよね。ハーピーとセイレーンの求愛ボイス。ああ、君に聞かせたのは正気を保てる程度に調整したものだから安心して」
「どっちも聞くだけで魅了されるような魔物の声じゃないですか!仮にも一国の王子が何してるんです!」
「しかし、やはりといってはなんだけど君に魅了は効かないみたいだね。そのままアルに愛の告白でもしてくれたら最高だったのに」
「人を実験台にするのはやめろと何度言ったらわかるんですか! 訴えますよ、王宮裁判所に!」
シャルミーヌはカシウスを睨みつけたが、カシウスはそれはそれで面白そうだと言わんばかりのヘラヘラ顔を崩さない。
「まあまあ。お詫びと言っては何だけど、もう一つだけ特別な音声を用意してあるんだ。これは特に苦労した自信作でね。最後にもう一度だけ座り直してみてくれない?」
「嫌です。どうせ次はローレライの誘惑歌か何かでしょう」
冷めた目で睨む彼女に対し、カシウスはアルドリックに背を向けるようにして近づいた。
そして、懐から一枚の写真をチラつかせながら、彼女に囁きかけた。
「ここにアルドリックの写真がある。朝の訓練中にシャツのボタンを二つほど外して汗を拭っているところを、最新の射影機で拡大して捉えたものなんだが……」
一瞬の沈黙とわずかな逡巡の後、シャルミーヌはその誘惑に屈した。
「……もう一回だけ、座ればいいんですね?」
「交渉成立だ。君のそういう素直なところ、嫌いじゃないよ」
カシウスは満足そうに微笑み、写真を彼女の手に握らせた。
シャルミーヌはそれを光の速さで懐へ入れると、毅然とした態度でソファに座り直す。
「まあ何回やっても同じことですけどね。私には魅了魔法なんて……」
だが、脳内に響いたのは魔物の声ではなかった。
『シャルミーヌ……愛している……(エコー)』
あまりにも聞き馴染みのある、それでいて現実の彼からは死んでも聞けないような色気を孕んだアルドリックの声が脳内に反響する。
ご丁寧にキラキラした効果音と過剰なエコーまで付いて、右脳から左脳へと何度もリピートされる。
「うわあああああああああああああああ!?」
シャルミーヌは顔面を沸騰させ、ソファから転げ落ちるようにして窓際まで退避した。
「くくっ……あっははははは! 最高だ、期待通りのリアクションだよ!」
「カ~シ~ウ~ス~!! 今すぐその音声を消去しなさい! ついでに私の記憶からも消してくれる!?」
悪戯が成功したことに心の底から喜ぶカシウスに、シャルミーヌは本気で殺意を抱いた。
(本当にこのバカ王子は……!)
好奇心旺盛で行動力があり、魔法にも優れている。
そういえば聞こえはいいが、要するにただの「悪戯好きの魔法バカ」なのだ。
これで対外的には「慈愛に満ちた完璧な次期国王候補」を演じているのだからたちが悪い。
しかし、だからこそ、昨夜の暗殺命令がこのふざけた人物像と全く噛み合わなかった。
「カシウス……? シャルミーヌに、何をした」
彼女の取り乱しようを見てアルドリックの目から光が消えた。
周囲の温度が数度下がったような錯覚を覚えるほど、剣呑な雰囲気が漂い始める。
「アル、落ち着いて! カシウスのいつもの病気だから! 気にしたら負けよ、負けなのっ!」
シャルミーヌはぱたぱたと手で顔を仰ぎ、顔の火照りを冷ましながらアルドリックを制止した。
「今のは、その……ソファに座ると魔物の変な声が聞こえるっていう、幼稚な魔法だっただけよ。……ええ、それだけよ。それ以上のことは何もなかったわ」
「へえー? 最後のは随分と取り乱していたようだけど、それも魔物の声だったのかな?」
「あなたは今すぐ黙って!!」
これ以上余計なことを言えばただじゃおかないと目で脅すと、カシウスはニヤニヤしたまま降参するように両手を上げて反対側のソファへと座った。
シャルミーヌも熱を冷ましながら窓際から戻り、アルドリックの隣に座る。
そして仕切り直すように無理やりコホンと咳払いをすると、本題の話を切り出した。
「……さて、殿下。お遊びはここまでです。昨夜屋敷に届けられた『素晴らしい贈り物』について、詳しく伺いましょうか」
「ああ、そういえばその話をしに来たんだったね」
カシウスの態度を見る限り、彼が真面目に暗殺を企てたとは到底思えない。
だが、生真面目すぎるアルドリックが嘘をつく理由もないのだ。
(さて、何から問い詰めたらいいかしら……)
シャルミーヌは思考を整理するため、カシウスが淹れたばかりの紅茶を一口含んだ。
そして、そのまま紅茶を飲みこみかけた時。
カシウスはニヤニヤとした笑みを深め、目をきらりと輝かせてこう言った。
「で、単刀直入に聞くけど。君たち、もうヤったの?」
「ぶふぉっっ!!」
王子のあまりにも直球ど真ん中、かつ下世話なジェスチャーを伴う発言。
その予想外すぎる爆弾発言に、シャルミーヌは口に含んでいた最高級の紅茶を吹き出したのであった。
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