19.
「どういうことなの!? 説明して! なぜアルに、よりによって皇女様との縁談が舞い込んでくるのよ!」
シャルミーヌの必死な形相を前にして、アルドリックは少し気まずそうに目を泳がせた。
「……表向きは、我が王国と帝国との同盟関係をより強固なものにするためだ。だが実態は、俺と君の仲を快く思わない奴らの差し金だろうな」
彼の低い声には、苦い薬を飲み込んだような響きがあった。
「父上も最初は驚いていた。だが王家からの正式な打診ともなれば、グラディオラス家としてこの破格の縁談を無下に断る理由はどこにもないんだ」
その言葉を引き継ぐように、ソファに深く座り込んでいたカシウスが重苦しい溜息をつく。
「大方、僕の父上――国王陛下の仕業だろうね。ここ最近、君たち二人が急激に距離を詰めているのは学園内でも噂になっている」
カシウスは冷めた紅茶のカップをソーサーに戻した。
カチャリと硬い音が室内に響く。
「……僕らがどう思っていようと、対外的にはシャルは僕の婚約者だ。王家の顔に泥を塗りローズブランシュ家との婚約を揺るがすような振る舞いを、陛下は見過ごせなかったんだろう」
「でもセレナさんには何のお咎めもないのに、どうしてアルだけが……」
シャルミーヌが泣き出しそうな顔でカシウスを見つめると、彼は自嘲気味な笑みを浮かべた。
その視線の先には不安げに自分の指をぎゅっと組み、小さくなっているセレナがいる。
「セレナは男爵家の娘だ。いくら奇跡を起こす聖女と崇められようと家格の壁は厚い。彼女が僕の正妃になることはこの国の法と伝統が許さないんだ」
カシウスは隣に座るセレナの細い肩を抱き寄せようとして、一瞬だけ指を止めた。
結局、彼は彼女の背中に軽く手を添えるだけに留める。
「父上も、僕と彼女の関係については若さゆえの一時的な火遊びだと高を括っているんだろう。放っておいてもそのうち冷めるとね」
カシウスの言葉は貴族社会の冷たい現実を突きつけるものだった。身分違いの恋は王家にとって脅威にすらならないのだ。
しかし、アルドリックとシャルミーヌの場合は話が別である。
二人は共に国内屈指の高位貴族だ。ローズブランシュ家は政治・外交の中枢を担い、グラディオラス家は精鋭騎士団を擁して軍事の要となっている。
この二つの家が婚姻によって結びつくことは、国内の政治バランスを根本から揺るがしかねない。
「つまりだ。婚約者のいる女に手を出す不届きな男に断れないほど身分の高い相手をあてがって、力ずくで引き離す。――よくある権力の使い方だよ」
カシウスは突き放すように言った。
「それに、今回の件にはもう一つの理由がある。あのヘリオトロープ家が作り上げた特別な軍事技術。それを受け継いで管理しているのはグラディオラス家だろ? 帝国側としても、喉から手が出るほどその技術が欲しいはずだ」
「……ヘリオトロープ家?」
それまで黙って話を聞いていたセレナが、眉をひそめて首を傾げた。聞き慣れない単語に戸惑う彼女へカシウスは理解を示すように頷いた。
「ああ、知らないのも無理はない。十年前、王位を狙って返り討ちにあった大逆人の家名だ。一族は根絶やしにされ、その名は歴史から塗り潰された。……だが皮肉なことに彼らが遺した技術だけは、あまりに有用すぎて捨てられなかったんだ」
カシウスはそこで言葉を切り、アルドリックを真っ直ぐに見据えた。
「その一族はね。感情の高ぶりに応じて瞳の色が変わり、魔力を爆発的に増幅させるという体質を持っていたんだ。彼らはそれを利用し、他国を圧倒する軍事技術を築き上げたんだよ」
語られる異能の記憶に、室内がわずかに冷え込んだような錯覚を覚える。
「反乱軍を鎮圧したアルの父上は、陛下からその血塗られた技術を褒美という建前で押し付けられた。それが今のグラディオラス家の軍事力の源であり、帝国が喉から手が出るほど欲しがっているものの正体さ。――つまり、彼らはそのヘリオトロープの遺産ごとアルを奪い取るつもりなんだよ」
語られる国家レベルの陰謀、そして血塗られた過去の因縁。あまりにもスケールの大きな話にシャルミーヌは指先が冷たくなるのを感じた。自分たちの恋が邪魔されているといった、単純な痴話喧嘩のレベルではない。
アルドリックという存在そのものが、王国が平和を買い取るための高価な商品として帝国に差し出されようとしているのだ。
シャルミーヌはそれが貴族というものであると、改めて釘を刺された気がした。
「父上にとってはアルを帝国に差し出すことで得られる平和の方が、僕たちの気持ちよりずっと価値があるんだ。……力不足で済まない、シャル。僕の立場ではこれ以上の介入はできなかった」
カシウスが済まなそうに深く頭を下げた。
室内が重苦しい沈黙に包まれる。
しかし、それを破ったのは、当の本人であるアルドリックだった。
彼はなぜか、どこか狂気すら感じさせる不敵な笑みを口元に浮かべていたのである。
「いや、まだ婚約が確定したわけじゃない。策はある」
「策……? どんな策よ」
シャルミーヌが半信疑で聞き返すと、アルドリックは彼女の両手を力強く握りしめた。
「見合いの席で俺がいかに君を深く愛しているか、君がいかに美しく聡明で慈悲深い女性であるか……その魅力のすべてを、朝まで語り明かせばいい!」
「ちょっと、バカじゃないの!? 相手は皇女様よ! そんなことしたら国際問題になるでしょう!」
シャルミーヌの激しいツッコミにも、アルドリックは全く動じなかった。
「そうすれば、皇女殿下も最後には俺の度を越した情熱に呆れ果てるに違いない! いや、あるいは君のような素晴らしい女性がこの世に存在することに感動し、涙を流しながら自ら縁談を白紙に戻してくれるかもしれない!」
「感動するわけないでしょ! そんな頭のおかしい男との縁談を出した、我が国の正気を疑われるのがオチよ!」
シャルミーヌは、あまりの言葉に眩暈を覚えた。
この男は本気だ。本気で国際問題に発展しかねない外交の場を、ただの「惚気独演会」に変えてしまうつもりなのだ。
愛が重い。あまりにも重すぎる。
もしそれが功を奏せば万々歳だが、万が一皇女が「これほどまでに一途で狂おしい愛を捧げる殿方……なんて刺激的で素敵なのかしら!」と変な方向に盛り上がってしまったらどうするのか。
それに、アルドリックは黙っていれば最高に顔がいい。
騎士としての立ち居振る舞いも完璧で、声も低く耳心地がいい。そして、貴族が重視する魔力量だって申し分ないのである。いくら中身が残念でも、相手がそう簡単に諦めるとは思えない。
立場上はカシウスの婚約者であるシャルミーヌに、この縁談を止める権利はない。
だが言いようのない焦りと、自分でも驚くほどの独占欲が彼女の心臓をうるさいほどに叩いた。
(アルが私以外の誰かと指輪を交換して、愛を誓って、同じ屋根の下で暮らす……?)
そんな光景、想像したくもない。
『うかうかしてると、横から盗られちゃうかもしれないわね?』
母親の意地悪い予言が頭をよぎる。しかし母のように強引な手段を取る勇気は、今の彼女にはまだなかった。
「……っ、どうすればいいの……。このままじゃ、アルが……」
シャルミーヌが目の前が暗くなるような絶望感に襲われ、思わず顔を覆ったその時。
バァン!
重苦しい沈黙を切り裂くように、勢いよく机が叩かれた。
「――よしっ、決めました。シャルミーヌ様!」
葛藤するシャルミーヌの両肩を、ガシッと強い力で掴んだのはセレナだった。先ほどまで小さくなっていた姿はどこへやら。その頬は興奮で赤らみ、呼吸は荒くなっている。
「ここで考えていてもどうしようもありません! こうなったら潜入しましょう!!」
「えっ? 潜入って……どこに?」
「決まっているじゃないですか! そのお見合い会場に、ですよ!」
セレナは、鼻息荒く一気にまくしたてた。
彼女の指先はワクワクを抑えきれないのか、小さく震えている。
「アルドリック様の専属メイドとして潜入すればいいんです! そこでアルドリック様の惚気を全力でサポートしながら――そのお見合い、ぶっ壊しちゃいましょう!」
セレナの提案は、冷静に考えればあまりにも無茶苦茶だった。
貴族令嬢がメイドに変装して他家の見合いに乱入するなど、発覚すれば廃嫡どころか投獄されてもおかしくない。
しかし混乱と焦りの極みにあったシャルミーヌの耳には、それが天から降ってきた唯一の神託のように聞こえてしまった。
「メイドとして、潜入……?」
「そうです! シャルミーヌ様が皇女の目の前で甲斐甲斐しくお世話を焼けば、アルドリック様の惚気話にも説得力が増すというものです。見せつけてやりましょう、お二人の絆の深さを!」
セレナの瞳は、まるでこれから敵陣を焼き払いにいく戦士のように爛々と輝いている。
「……そうね……そうすれば、現場で直接状況を監視できるし王女様だってアルを諦めてくれるかもしれない!」
「その意気です! さあそうと決まれば、さっそく作戦会議を始めましょう。衣装の手配と、バレないためのメイクの練習もしないと!」
熱に浮かされたように盛り上がり、机に身を乗り出す二人。
その背後でカシウスは一瞬呆気にとられた後、観念したように吹き出した。
「……ははっ! さすがセレナ。その発想は僕になかったよ。わかった、じゃあ会場までの潜入ルートは僕が確保しよう」
そう言いながらカシウスも面白そうに身を乗り出し、作戦会議の輪に加わる。
そして、肝心のアルドリックはといえば。
「……潜入中は、俺のことを旦那様と呼んでくれるんだろうか? ……旦那様か……いいな……」
そう言って一人で明後日の方向を見ながら、恍惚とした表情で自分の世界に浸り深く頷いていた。
こうして歪んだ愛と暴走する独占欲から始まった、前代未聞のお見合いぶち壊し大作戦が密かに幕を開けたのである。




