18.
「……ああ、なんて愛らしいんだ。君こそが俺の真実の光だ」
夢の中のアルドリックは甘ったるい笑みを浮かべ、見知らぬ令嬢の手を取っていた。
彼が跪きうやうやしくその手を取っている相手は、シャルミーヌではない。
その見知らぬ令嬢は物理法則を無視したかのように巨大な縦ロールを誇らしげに揺らし、こちらを向いて勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「あーら、アルドリック様? あちらのシャルミーヌ様が、まるで捨てられた仔犬のような顔でこちらを見ていらっしゃいますわ。おーっほっほっほ!」
高笑いとともに、縦ロールが凶器のようにしなる。
アルドリックはシャルミーヌに向けていたはずの情熱的な瞳を、冷え切ったものに変えて振り返った。
「シャルミーヌ? ああ……そんな人もいたね。悪いけれど俺は今この婚姻届にサインをするので忙しいんだ」
彼は冷淡に言い放つと、羽ペンを執った。
「せめてものお祝いだ。俺たちが食べるウェディングケーキのイチゴを、一つ分けてあげるといい」
無慈悲な言葉と共にアルドリックのペン先が紙に触れる。
「やめてえええええ!」
シャルミーヌの絶叫は、空しくも豪華な結婚披露宴の拍手にかき消され――。
「……っは!!」
シャルミーヌは、撥ねるようにしてベッドから起き上がった。
シーツを握りしめる手は小刻みに震え、背中にはびっしょりと冷や汗をかいている。
「……夢。そう、夢よね。アルがあんな、趣味の悪そうな令嬢と結婚するなんて……ありえないわ」
自分に言い聞かせるように呟き、乱れた髪を払った。
しかし一度こびりついた不安はインクが染み込んだように、拭っても拭っても心の奥底に広がっていく。
登校中の馬車の中でも、その不安は大きくなっていく一方だ。昨夜母が放った不吉な予言が、馬車の揺れに合わせて呪文のように脳内で再生される。
『いい男っていうのはね。あなたが悩んでいる間にも、他の女が罠を張って待ち構えているものよ』
『うかうかしてると、横から盗られちゃうかもしれないわね?』
シャルミーヌは窓の外を流れる景色を眺めながら、重い溜息をついた。
確かに、自分とアルドリックの関係は奇妙なバランスの上に成り立っている。
魅了の魔法のせいとはいえ彼の異常なまでの執着にどこか安心し、胡坐をかいていた自覚はあった。
「落ち着いて。アルはあの魅了魔法にかかる前は女性に興味はなかったし婚約者もいなかった……。いずれ結婚するとしても、まだ先の話のはず……」
ひとまず生徒会室へ行こう。
カシウスに先日、魔道具店を紹介してもらった礼をしなければならない。
そんなそれらしい理由を自分に言い聞かせる。
しかし、本音では一刻も早く重苦しいほどの愛情をぶつけてくるアルドリックの姿を見て、この胸のざわつきを霧散させたかったのだ。
◇◇◇
「……失礼します」
シャルミーヌが生徒会室へ続く扉を開けた、その瞬間だった。
「アルドリック様がっ! アマリリス帝国の第四皇女とお見合いするぅぅぅぅぅーーーーーー!!???」
鼓膜を突き破らんばかりの絶叫が、室内を震わせた。
叫んだのはセレナであった。
彼女は驚愕のあまり目を限界まで見開き、アルドリックの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで身を乗り出している。
対照的に渦中の人物であるアルドリックは、平然とした様子で湯気の立つ紅茶を口に運んでいた。
「セレナ嬢、声が大きい。……政略的な話だからな。貴族という特権階級に属している以上、義務が伴うのは仕方のないことだ」
その瞬間、シャルミーヌの思考は完全に停止した。貴族である以上仕方ないというあまりにも正論で、あまりにも残酷な言葉が彼女の心を抉る。
(お母様……昨夜の予言、いくらなんでも的中するのが早すぎませんか……?)
開いたままの扉のそばでシャルミーヌは氷のように固まり、手にした鞄を床に落とした。そのままの状態で数秒が経過した後、はっと意識を取り戻し弾かれたように部屋へと踏み入る。
「ちょ、ちょっと待って! お見合い!? しかも、帝国の皇女様とですって!?」
シャルミーヌの存在に気づいた瞬間、アルドリックの表情は劇的な変化を遂げた。眉尻が下がって目は柔らかく細められ、柔和な笑顔を浮かべる。
「落ち着いてくれ、シャルミーヌ」
彼はそこから、息を継ぐ暇もないほどの熱弁を振るい始めた。
「俺にとって愛という名の感情を捧げるべき対象は、後にも先にも君という太陽だけだ。夜空に輝く月がどれほど美しくとも、太陽の眩さの前ではその光を失う。君のその怒りに震える表情でさえ俺にとっては至高の芸術品であり――」
「いい、いい! ごめん、今そういうのいいから!!」
シャルミーヌは圧を感じるアルドリックの愛の言葉を全力で遮った。
「どういうことなの!? 説明して! なぜアルに、よりによって皇女様との縁談が舞い込んでくるのよ!」




