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13.

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 魔道具店の扉をバタンと勢いよく閉めた後、シャルミーヌは深いため息をつく。そのまま地面に崩れ落ちそうになるのを何とかこらえ、彼女は力なく歩き出した。

 結局、アルドリックにかけてしまった魅了魔法を解く手がかりは得られなかった。その落胆は大きく、シャルミーヌの肩にずしりと重くのしかかる。


「はぁ……。私、一体何のためにここまで来たのかしら……」


 場違いなほど青く澄み渡った空を見上げ、彼女はぽつりと呟いた。

 空回りした自分への情けなさと、振り回してしまった彼への罪悪感が胸を締め付ける。


「シャルミーヌ……大丈夫か?」


 背後からそっと声をかけられ振り返ると、アルドリックは彼女のことを心配そうに見つめていた。


「大丈夫とは、お世辞にも言えないわね……」


 シャルミーヌは力なく首を振った。その顔には疲れが色濃く滲んでいる。


「ごめんなさい、アル。私のせいでこんなことになったのに、元に戻す方法も見つからないなんて」


「元はと言えば全てカシウスのせいだ、君が謝る必要はない。……だから、そんな顔をしないでくれ」


 アルドリックは彼女の憔悴しきった姿を見て、眉を深く寄せた。今すぐにでも彼女を抱き寄せ、その重荷をすべて肩代わりしてやりたい。そんな衝動を理性で抑え込みながら、彼は彼女の歩調を合わせてゆっくりと歩を進める。


「……シャルミーヌ、もしよかったら少し休んでいかないか。この近くにタルトが美味しいと評判のカフェがあるんだ」


 アルドリックは、誘うように優しく左手を差し出した。


「君に今日、沈んだままの気持ちで帰ってほしくはない。……少しだけ、俺に君を癒やす時間をくれないか?」


 その声は魔道具屋の地下室で狂っていた男と同一人物であるとは思えないほど静かで、慈愛に満ちていた。シャルミーヌは、彼のあまりに真摯な態度に拒絶する言葉を失い「……そうね、少しだけなら」と小さく頷いた。




 ◇◇◇




 二人が辿り着いたのは、下町の広場に面した開放的なカフェだった。広場の噴水がきらきらと輝き、大道芸人が奏でるリュートの陽気な旋律と子ども達が遊ぶ声が風に乗って流れてくる。


「お待たせいたしました。本日の日替わりタルトでございます」


 運ばれてきたのは、真っ赤なラズベリーが零れんばかりに並んだタルトだった。

 アルドリックは迷いのない手つきでナイフを入れ、一口大に切り分けるとそれをフォークですくい上げた。


 そして、当然のことのようにシャルミーヌの口元へと運ぶ。


「……アル? あの、自分で食べられるわよ?」


「いいや、君は疲れている。今は指一本動かさず、俺に甘やかされてほしいんだ。さあ、食べてくれ」


 その目は、彼女が口を開くまでは決して引き下がらないという鋼の意志を宿している。シャルミーヌは周囲の客の視線に頬を染めつつも、彼の熱意に押し切られる形で小さく口を開いた。


「ん……」


 口内に広がるラズベリーの甘酸っぱい味に、バターの香るサクサクとした生地の食感。確かに絶品だ。落ち込んでいた心が、甘さによって少しずつ満たされていく。


「……美味しい」


「それは何よりだ。君が幸せならこのタルトも本望だろう」


 満足げに頷いたアルドリックだったが、ふと、その整った顔立ちに憂いの影を落とした。彼は芝居がかった仕草で胸に手を当て、切なげに彼女を見つめる。


「さて。君は先ほどから、ずっと俺に対して申し訳なさそうにしているだろう?」


「……それは当然でしょう。貴方をこんな状態にしてしまったんだもの」


 シャルミーヌはいまだに自分を熱っぽく見つめ続ける彼を見てうつむいた。

 もともと大真面目だった彼にここまで必死に尽くされると、いよいよ逃げ場がなくなって心が痛む。


「それなら、その罪悪感を少しでも減らすために一つお願いをしてもいいか?」


「もちろんよ。私にできることであれば」


 彼女が真っ直ぐに彼を見つめて答えると、彼はにっこりと微笑んだ。


「じゃあ君の手で、俺にも一口タルトを食べさせてほしい」


「なっ……!」


 シャルミーヌが絶句する中、アルドリックは悲劇の主人公のような顔を作って訴え始める。


「思い出してみてくれ、あの店で最初に君に飲まされた魔法薬を。あれは奈落を煮詰めたような絶望の味だった……」


「うっ……そ、それは……」


「まだ口の中が苦い気がするし、舌も少し痺れているような気がする」


「それはっ! 確かに、悪かったと思っているけれど……!」


「だからその罪滅ぼしも兼ねてということでどうだ? この苦い記憶を上書きできるのは君の優しさだけなんだ」


 ニコニコと笑いながらあーんのお返しを希望するアルドリック。

 彼をこんな状態に陥らせた張本人であるシャルミーヌにとって、これほど断りづらい要求はなかった。


(それじゃ、本当に恋人みたい……っじゃなくて! で、でも、私が拒否したらアルはもっと悲しむかもしれないし……)


 ちらっと彼の顔を見た後、シャルミーヌは覚悟を決めた。耳まで真っ赤にしながら、震える手でフォークを握る。

 そしてタルトの欠片が落ちないよう慎重に運び、彼の方へと差し出した。


「……あ、あーん……っ」


 恥ずかしさのあまり限界まで目を逸らし、半ばヤケクソな気持ちで彼の前にフォークを突き出す。

 アルドリックはそれを至福の表情で受け止めると、この世の何よりも素晴らしいものを得たかのような輝かしい笑顔を見せた。


「ああ、美味しいな。この褒美のためなら何回でもあの薬を飲めるかもしれない」


「もう絶対に飲ませないから安心して!」



 その後も、アルドリックの献身的な愛は止まらなかった。


 彼は、シャルミーヌが眩しそうに目を細めれば、即座に立ち上がって日傘代わりに己の身で影を作った。そして、運ばれてきた紅茶が熱すぎると感じれば魔法で完璧な温度にまで調整したのだ。

 極めつけは、隣のテーブルの男がシャルミーヌを数秒眺めただけで剣呑な威圧感を放ち、あわや決闘の勢いで追い出そうとしたことだ。


 その間、律儀にツッコミを入れ続けていた彼女だったが、ついにその過剰すぎる愛情表現に耐えきれず吹き出してしまった。



「……ふふっ、あははは!」



 あまりにも大真面目に、あまりにも過剰に。世界で一番大切な宝物を扱うように彼は振る舞う。それが魔法や薬の影響であることも、度を越していることも、頭では理解している。


 けれど、これほどまでに真っ直ぐに向けられる想いが、今の彼女にはどうしようもなく愛おしく感じられてしまったのだ。


「どうしたんだ、シャルミーヌ。急に笑い出したりして」


「いいえ、なんでもないの。ただ、あなたがあまりに一生懸命だから……」


 シャルミーヌはそう言って、彼をそっと見つめた。

 魅了魔法は本人の内側にある好意を燃料にして増幅させるものだ。

 アルドリックの愛の大きさとやらについては、幼馴染としての友愛や親愛だとすれば納得できる。


 けれど、もし。この過剰な振る舞いの数分の一でも、魔法がかかる前の彼自身の本音が混ざっているのだとしたら。

 彼女は、トクンと跳ねる自分の鼓動を自覚せずにはいられなかった。



「……あなたにそんな風に大切にされるのが、実は……凄く、嬉しいのよ」



 不意にこぼれた彼女の本音にアルドリックは静かに笑って答えた。

 今度は過剰な演技も、芝居がかった言葉もない。ただ穏やかで、深い海のような双眸で彼女を見つめ返す。



「勘違いしないでくれ、シャルミーヌ。魔法があろうとなかろうと、俺の想いは変わらない」



 彼はテーブル越しに彼女の手をそっと包み込む。その指先から伝わる熱は魔法の強制力などではなく、彼自身の確かな意志のように感じられた。



「こうして君と過ごしたいと、君を甘やかしたいと……俺はずっと前から、それだけを望んでいたんだ」


「…………っ」


「愛してる、シャルミーヌ。心から、君のことが好きなんだ」



 それはあまりにずるい言葉だった。そんな真剣な声で言われたら、魔法のせいだと言い聞かせている理性が溶けてしまいそうになる。シャルミーヌは耳の裏まで熱くなるのを感じ、それを誤魔化すように慌てて席を立った。



「もっ……もう、行きましょうか! 十分休めたし!」


「ああ、慌てて席を立つその仕草すら舞い散る花びらより美しいな……。さあ俺の腕を掴んでくれ。まだまだ愛の巡礼(デート)を続けよう、シャルミーヌ!」


「また始まった! 馬鹿なこと言ってないで早く行くわよ!」



 席を立つ彼女を、アルドリックはごく自然な動作でエスコートする。

 呆れながらも、シャルミーヌは彼が差し出した手を拒まなかった。


 繋がれた手から伝わる熱は午後の柔らかな日差しよりもずっと心地よく、シャルミーヌの胸の奥をいつまでも温め続けるのだった。





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