01.
※表現を微調整しました
夜も深まり、月光が差し込む寝室。バルコニーへと続く窓は開け放たれており、臙脂色をした薄紗のカーテンが夜風に吹かれて舞い踊っている。
その中心で、薄暗い室内に溶け込むような黒衣に身を包んだ一人の青年が跪いていた。寝室の主である令嬢の手を取る彼の顔は赤く染まり、瞳には狂気的なまでに熱い情熱が宿っている。
「シャルミーヌ、俺と結婚してくれ」
もしこれが王都の令嬢たちがこぞって買い求める恋愛小説や、数々の苦難を乗り越えた男女の愛を描く古典戯曲であったなら今がまさに最高潮の場面なのだろう。
ヒロインは喜びのあまり涙を流し、ヒーローはその細い腰を抱き寄せ月明かりの下で永遠の愛を誓う――そんな展開にお誂え向きの舞台が整っていた。
だが、現実は往々にして非常であるものだ。
「君を守るためなら、俺は国だって敵に回せる。……いや、なんなら今すぐこの国を滅ぼして君だけの王国を建国してもいい!」
「極端すぎるわよ、重いわ!」
『彼が先ほどまでシャルミーヌを暗殺しようとしていたこと』。そして『現在進行形で彼女の放った魅了魔法を全身に浴びていること』。
この致命的な二つの条件が加われば、どんな愛の告白だろうとドタバタ喜劇の一幕に成り果てる。
「は、はは……。死ぬ。私の社会的信用か、あるいは心臓が……」
シャルミーヌの口からは乾いた、あまりに乾いた笑い声しか出なかった。
……一体全体、どうしてこうなってしまったのか。
彼女は引きつった笑顔のまま、今にも白目を剥いて卒倒しそうになる理性を必死に繋ぎ止め、数分前に起きた悲劇――あるいは喜劇の幕開けを振り返った。
◇◇◇
時計の針が深夜二時を回った頃。
『美肌と精神の安定は良質な睡眠から』をモットーにするシャルミーヌは健やかに熟睡していた。
だがそよそよと顔に当たる風の感触に気がつき、ゆっくりと目を覚ましたのだ。
「……? 窓は閉めて寝たはず……」
寝ぼけ眼で窓の方を向いた瞬間、シャルミーヌはひゅっと息をのんだ。
そこには、抜き身の剣を手に持ち、音もなく佇んでいる黒い影があったからだ。
「——っ!?」
寝起きで一ミリも回らない頭ではあったが、緊急時の行動は身体に叩き込んである。
シャルミーヌはすぐにベッドから飛び出し、常にはめている指輪型の魔道具に素早く魔力を流し込んだ。
「<魅了>!!」
流れるように詠唱する。 それは彼女が生まれつき宿している固有魔法であり、最も発動しやすいものであった。
本来は自身へ恋慕されるような効果もある魔法だが、幼い頃から訓練して威力を調整しているためその効果は対象の敵意を喪失することに特化させている。
その魔法を正面から食らった黒い影は数秒ほど棒立ちになった後、カランと剣を床に落とした。そしてぷつりと糸が切れた人形のように、その場に膝をつく。
「……動かない、わよね?」
シャルミーヌは震える手でサイドテーブルのランタンを灯し、恐る恐る暗殺者の正体を確認した。そしてその顔を見た瞬間「は?」と淑女らしからぬ声を出した。
「アル? なんで、あなたが……」
ランタンの淡い光に反射して艶めく夜色の髪。
そして氷のように鋭い、しかし今はどこか焦点の合わない蒼眼。
そこにいたのは、彼女の幼馴染であるアルドリック・グラディオラスだった。
質実剛健を絵に描いたような『氷の騎士』。
今は第二王子の騎士を勤めている彼が、なぜここにいるのか。
あまりにも予想外の刺客の正体に混乱しつつ、ひとまず彼から事情を聞こうと手を伸ばしたその時だった。
ガシッ。
力強く彼女の手首を掴み、彼は叫んだ。
「シャルミーヌ! もう君なしでは生きていけない! 結婚しよう!!」
……結果、現在進行形の奇怪すぎるプロポーズへと至るわけである。
◇◇◇
「とりあえず、そこに座って話しましょうか。あと、いったん建国とかの話は忘れましょう」
こめかみを押さえつつ、そう言ってシャルミーヌはソファを指さした。
「……わかった」
アルドリックはしゅんとした様子で、大人しくソファへ腰を下ろした。心なしか項垂れた犬耳としっぽの幻覚まで見え、罪悪感と庇護欲を刺激される。
(落ち着け私! これは魔法のせいよ!)
本来であればせいぜい見惚れる程度まで調整しているはずの魔法でなぜこうなってしまったのかはわからないが、この反応が魔法の効果であるのは間違いないはずだ。
シャルミーヌは自身を叱咤した後、念のため彼が落とした剣をベッドの下に隠した。
そして、十分な距離を開けて彼の隣に座る。
魅了魔法の効果時間は平均して数時間程度であるが、精神耐性によって個人差がある。
場合によってはすぐに魔法が解けることもありえるのだ。
そのため、魔法が効いている今のうちに情報収集をして、現状を把握しておかなければならない。
「率直に聞くわね。なぜアルが、私を暗殺しに来たの?」
「カシウス殿下に命令された。『シャルミーヌを襲え、そうすればお前も自由になれる』と」
そのあまりに予想外な名前に、シャルミーヌは思わず目を丸くした。
幼い頃からの婚約者であるカシウス・クリサンセム第二王子。
彼とシャルミーヌの仲は、言うならば腐れ縁に近い。
婚約関係も政略的なもので、恋愛感情のようなものはお互いに欠片もなかった。
「あんのバカ王子っ……!」
最近どこぞの男爵令嬢と「真実の愛」を語り合っているとは聞いていたが、まさか刺客を送るとは。
しかもよりによってわざわざ共通の幼馴染であるアルドリックに命じるなんて、悪趣味にもほどがある。
シャルミーヌがカシウスに対して強い憤りを覚えていると、アルドリックは「だが」と続けた。
「俺に、愛しい君を殺せるわけがないだろう?」
「え……。そ、それなら、どうするつもりだったの?」
愛しい君というアルドリックの言葉に胸をドキッとさせつつ、シャルミーヌは尋ねた。
「君を国外へ連れ去り名前を変えて、誰にも見つからない場所で二人きりで暮らそうと思ったんだ」
「そ、そう……」
魔法をかけていなければ暗殺か誘拐かの二択であったらしい。
その事実に内心恐怖しつつ、シャルミーヌは震える声で次の疑問を投げかけた。
「じゃ、じゃあ、うちの護衛はどうしたの? ローズブランシュ家の警備は王宮並みに厳重なはずだけれど」
シャルミーヌの問いに、アルドリックはこともなげに首を傾げた。
「ああ、彼らなら心配ない。少しばかり眠ってもらっただけだ」
「眠った……? 睡眠薬か何かで?」
「いや、殿下から預かった特別な魔道具を使ったんだ。屋敷にいる使用人全員にね」
当たり前のようにアルドリックの口から飛び出してきた使用人全員という言葉にシャルミーヌは驚きを隠せない。
「全員!? 嘘でしょ、この屋敷には五十人以上いるのよ。そんな強力な魔法……いつ解けるのよ!?」
「丸一日は起きない。明日の深夜までは隣で大砲を打ったとしても熟睡したままだろう。だから安心していい」
「安心できるわけないでしょ!!」
そうつっこみつつ、シャルミーヌの背筋に冷たいものが走った。
この広大な屋敷にいる人間すべてを眠らせた?
確かにカシウスは魔法——とりわけ自分が興味を持った分野に関しては才能を発揮するが、そうまでしてでもシャルミーヌを殺したかったとでもいうのだろうか。
(いくら何でも、あのバカ王子にそこまでされるような恨みを買った覚えはないのだけど……)
何かがおかしい。だが今はその謎を解くよりも目の前の問題の方が大事だ。
そう考え直し、シャルミーヌはアルドリックに向き直る。
「……つまり今、この屋敷で起きてるのは私とあなただけってこと?」
「そうだ。誰にも邪魔されず明日の夜まで君と二人きりで過ごせる。これ以上の幸福があるだろうか」
アルドリックはうっとりと目を細め、じりじりと距離を詰めてくる。 シャルミーヌは引きつった笑いを浮かべながら同じ分だけ逃げるしかなかった。
「うん、わかった。ありがとう、アル。だから、その、離れて――」
「いや、離さない」
ガシッ、と。
逃げようとした彼女の手首が、鉄の枷のような力で掴み上げられた。
「……っ、アル!?」
「心から愛しているんだ、シャルミーヌ。きっと俺は生まれたときから、君の存在そのものに魅了されていたんだろう!」
「そんなわけあるか!! 魅了魔法のせいだからとりあえず落ち着きなさい!!」
シャルミーヌは急に血迷ったことを言い出した彼から逃げようとしたが、日々鍛えている騎士の腕力には勝てるはずがない。
彼は彼女の両手を左手一つで封じると、そのまま彼女をソファに押し倒した。
「シャルミーヌ……」
至近距離で響く低く甘い、熱を帯びた声。
シャルミーヌの脳内では理性が「彼は魔法の影響で一時的な錯乱状態にあるだけよ! 勘違いしちゃダメ!」と叫ぶ一方で、本能が「うわあああ! 顔が近い! 声が良い! 無理ぃぃ!」と大合唱を始めていた。
(魔法のせいで狂っているだけよね!? それともこれが彼の本心!?)
混乱しぐるぐると目を回す彼女の顔に、アルドリックの鼻先が触れ熱い唇が近づく。その瞬間、本能と理性の板挟みで限界を迎えたシャルミーヌの脳は衝動的な選択をとった。
「ごめん、アル!!!!」
ゴッ!!
鈍い打撃音。シャルミーヌが渾身の力を込めて放ったローズブランシュ公爵家秘伝の頭突きが、アルドリックの眉間を的確に捉えた。
「——うぐっ」
脳を直接揺らされたアルドリックは、白目を剥いてそのまま床にどさりと崩れ落ちる。
そのままぴくりとも動かなくなった彼を見下ろし、シャルミーヌは考え込んだ。
暗殺されかけたことを家族に知られれば、彼がどうなるかわからない。
従って、この一連の騒動は全て無かったことにするのが最善である。
(でもバカ王子が暗殺を依頼したと言っている以上、安易に彼を逃がすわけにもいかないわよね……)
幸か不幸か屋敷内の人間は皆夢の中だという。
(……よし。とりあえず地下牢に入れておいて、明日の朝魔法が解けたら改めて事情を聞きましょう)
シャルミーヌは迷った末にそう結論を出すと、覚悟を決めアルドリックの両肩を引きずりながら牢屋へと向かった。そして時間がかかったものの、何とか彼を地下牢へ押し込むことに成功したのだった。
容赦なく牢屋の扉に鍵をかけ、元来た道を戻る。
一仕事を終えようやく部屋へと帰った彼女は、躊躇なくベッドにダイブした。
「うわああああ! 好きな人にあんな、あんなことされるなんてえええ!!」
枕に顔を埋めてじたばたと悶絶する。顔から火が出そうなほど熱い。
魅了魔法は洗脳魔法と異なり、魅了中の記憶は鮮明に残る。残ってしまうのだ。
明日の朝、牢の中で正気に戻った彼と一体どんな顔をして向き合えばいいのか。
「ああ、どうかアルが今日のことを綺麗さっぱり忘れてくれますように……」
そんな都合のいい祈りを捧げながら、シャルミーヌは目を閉じたのであった。
第二話は本日21:10、第三話は本日23:10に投稿します。
その後は毎日一話ずつ更新予定です。
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