第2話 Side レア 迫り来る強敵
「レア様!」
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
突如響き渡る咆哮にジークの呼び声がかき消された。その咆哮はビリビリと大気を震わせ、振動が頬にまで伝わってくる。
そんな中であってもジークは恐れる素振りを見せず、帯刀していた剣を抜き放ち正眼の構えを取った。
「この殺気は我々に向けられたものではありません。気をしっかり持ってください」
ジークが森を睨みつけたままあたくしに呼びかけてくる。
これほどまでに強く感じられる殺気が自分に向けられたものではないとは信じられなかったが、ジークがそう言うのなら間違いはない。しかし、そうであるならば、実際に殺気を向けられた本人はどうなってしまっているのだろうか。想像しただけで身が凍る思いがする。
「レア様、一旦この場から離れましょう。コリン!レア様をお連れしろ!」
「は、はい」
ジークが慌しく指示を出すと、コリンと呼ばれた騎士がようやく我に返り、動き出す。騎士はすぐにあたくしのところまで来て、失礼しますと手を取り、今まで来た道を引き返して行く。あたくしはその騎士に促されるまま何とか足を前へと動すだけで精一杯だった。
森の中から激しい打撃音とそれにともなう地面のわずかな揺れが伝わってくる。
ここにきてようやくあたくしは理解した。
森の中で戦闘が始まったのだと。
「このままではいつ我々が戦闘に巻き込まれるのか分からない。自分とクリフは森を警戒!コリンはレア様を!他の者は周囲を警戒しろ!このまま後退するぞ!」
「はっ!」
ジークの指示に周りの騎士たちが声を合わせて返事をする。周りを見渡すとみんな険しい顔をしている。
「ありがとう、あたくしはもう大丈夫よ」
あたくしはコリンにそう言い、支えを解いてもらった。とはいえ、完全に立ち直ったわけではない。
しかし、この程度のことで身動きが取れなくなるようではダメだ。こんなことでは、これから先とてもではないが生きてはいけない。その思いだけが今あたくしの身体を支えてくれた。
「キュオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
そのとき再び魔物の咆哮が響き渡った。
それは先ほどの大気を震わせるような咆哮ではなく、遠くへと響き渡るような甲高い咆哮だった。森の中で何かが起こったのだろうか。ともあれ、このままここにとどまるのは危険過ぎる。少しでも離れないと。
それからしばらくして地面に伝わってくる揺れが徐々に大きくなっていることに気付いた。
「魔物が、近づいてきてるの!?」
あたくしは驚きの声をあげた。こちらからはまだ見えないような距離からあたくしたちを捕捉したとでもいうの?!
「クリフ、アルベルト!魔物を食い止めるぞ!他の者はレア様をお連れしろ!」
「全く・・・無茶を言うね。我らが隊長は」
アルベルトは足を止め苦笑いを浮かべる。
「―古代語魔法・兇刃を退けし魔法の衣―」
クリフが魔法を唱えると青い光が私たち全員を包み込む。
―兇刃を退けし魔法の盾―の魔法は対象の防御力を強化する基本的な魔法であり、―兇刃を退けし魔法の衣―はそれを複数人にかけることを可能にした魔法だ。
「たった3人でなんて無茶よ!」
あたくしは三人に向かって叫んだ。
確か二人は同じ近衛騎士隊の中でもジークが信頼をおいている者たちだった。それはもちろん力量においても。
しかしだからといって、これだけ離れていても戦っていることが分かる程巨大な魔物・・・おそらく暴獣に相対するなんて無謀を通り越している。
「大丈夫です。死ぬ気はありませんよ。少し時間を稼いだら我々も逃げますから」
そう言ってジークはあたくしに向かって笑いかけ、またすぐに真剣な表情に戻す。
「お前たち、レア様を無理やりにでもお連れしろ!」
「は、はいっ!レア様、失礼します」
あたくしは抵抗するが、騎士の力には敵うはずもなく抱え上げられた。
騎士はあたくしを抱えたまま町に向かって走り出す。
「ジーク!」
抱えられたままジークたちの方を見て、息を飲んだ。
ついに暴獣が森の中から姿を現したのだ。
遠く離れていても分かるほどの巨大な体躯。高さだけでも3メートルはあるだろうか。全身くすんだ緑色をしており、トカゲとドラゴンを掛け合わせたかのような姿は獰猛という言葉を体言しているかのようだ。
「バジリスクの成体か!?ブレスには注意しろ!」
ジークの叫び声が聞こえてくる。
バジリスク・・・聞いたことはある。
成長すると体長は十メートルを超え、全身を覆う硬い皮は並みの剣では傷を負わせることもできず、口から吐き出すブレスは生き物を石に変えるという。
暴獣の中でもかなり手強く、少なくとも数人でどうにかできる手合いではない。
あたくしたちを視界に捉えたバジリスクはそのまま信じられない速度で迫ってくる。その巨大な体躯のせいで一歩踏み出すごとに大地が悲鳴をあげる。
バジリスクは咆哮をあげながらジークたちに向かって突撃するかのように大きく頭を振り下げた。
「突撃を右に逸らせる!こちらに注意を引くぞ!」
「あいよっ!」「了解!」
二人の騎士は返事をするとジークの右側後方に散開した。
ジークは左手に持っていたカイトシールドを両手に持ち直し、前面構えてバジリスクと対峙する。
「―神聖魔法・神を守護せし善なる楯―!」
ジークが呪文を唱えるとカイトシールドを中心に直径2mを超える巨大な魔法の楯が展開する。
しかしそれだけであの巨体が織り成す突撃を止められるのだろうか。バジリスクはそれを意にも介さず、ジークに向かってその巨体をぶつけてきた。
「破ァァッ!」
ジークとバジリスクが衝突する。
激しい衝撃音が鳴り響き、火花が舞い散る。バジリスクはその衝撃に耐え切れず、クリフとアルベルトが待機している方へと進路を変えていた。
すごい。力だけではあれだけの巨体を逸らすなどとても無理だったはずだ。恐らくジークが何らかの技を使い、バジリスクの軸を逸らしたのだろう。
そこへ待ち構えていた二人が迎え撃つ。
「魔法は苦手なんだよな」
「愚痴るな、全力でいくぞ」
クリフがアルベルトの愚痴を叱咤する。しかしアルベルトはにやりと笑って魔力を溜めはじめた。
「わーってるって」
二人の身体から魔力が高まりを感じる。
「―精霊語魔法・撃ち放つ炎帝の業弓―!」
「―古代語魔法・飛び爆ぜし無情なる焔―!」
アルベルトの突き出した右手から燃えさかる炎の槍が、そしてクリフから爆炎の玉が飛び出しバジリスクの顔面に襲い掛かる。とても魔法が苦手だと言っている人間の威力だとは思えない。
着弾と同時に爆音が鳴り響く。―爆ぜし無情なる焔―が爆散したようだ。もしこれが生身の人間だったら確実に致命傷となっているだろう。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
しかしバジリスクは爆発から顔を逸らし嫌がるそぶりはみせるものの、咆哮をあげながらクリフにその巨体をぶつけていく。
「くっ、すまない!」
突撃を避けきれなかったクリフがバジリスクに撥ね飛ばされ宙を舞う。
バジリスクの顔を見ると炎で少し焦げているようだが、深いダメージを与えているようには見えない。
とはいえ、本来魔物は本能に従い行動する傾向が強い。そしてバジリスクは暴獣とはいえ魔物である。明らかな敵意、魔法による攻撃を受けたバジリスクはジークたちに牙を向けるべく反転するはずだった。
しかしバジリスクは歩みは止まらない。
「レア様をお守りしろ!!!」
ジークの切羽詰った声が辺りに響き渡った。